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  • 執筆者の写真makcolli

極悪坊主


「坊主、殺しゃあ七代祟るってな」

これは100年後の日本にも遺しておきたい名言である。

その言葉を発したところの若山富三郎は、東映映画『極悪坊主』にて、破戒僧真海を演じ、女郎屋で女郎のへそに酒を注ぎ、さあこれからいただきます、というところに辺りを取り仕切る鬼頭組の連中が、助けを求めて真海の部屋に入ってきた少女を取り戻そうとしたことから、真海は奴らと乱闘になり、鬼頭組の連中はパターンとして、

「覚えておけよ!」

の捨て台詞を残して逃げて行った。

その乱闘の模様がタイトルバック。長襦袢を着ていた真海の背中に、鬼頭組の三下がドスを向けると、背中の布が裂けそこから観音様の彫り物が顔をのぞかせる。

現在では飲む・打つ・買うの三拍子が揃った破戒僧である真海であるが、5年前までは違っていた。

ある夜、真海と同門の僧で菅原文太演じる了達がやくざ者たちといさかいになっていた。

「やめてください!やめてください!」

真海は仏教の非暴力の精神で、その場を収めようとしたが、いつの間にか相手を容赦なくぶん殴っていた。

その後、真海は宗門会議にかけられた。

その場には菅長以下、宗門の幹部たちがいたが、そこに宗派内一腹黒い僧、小松方正(行徳)がいて、真海は本山から追放され、荒れ寺に赴任の上、一年間の謹慎処分となった。

それでもうヤサグレちゃった真海は、

「坊主、殺しゃあ七代祟るってな」

のセリフを発したのであった。

ただこの宗門、どういうことになっているのか、その僧たちは寺の境内にて拳法の特訓に余念がないのであった。これはリー・リン・チェン主演の『少林寺三十六房』よりもはるかに早かったと断言できるだろう。

博奕にも目がなくなった真海は、鬼頭組の賭場にやってきてフィーバーフィーバーぐらいの勢いで稼いでいく。

その隣にいたのが藤山寛美。最初は、

「もう。隣で念仏なんて唱えられたら耳障りでしゃあないわ」

なんて言っていたのだが、真海がついていると見るや、

「あんた。壺の中が見えまんの?」

と聞き、真海が、

「ああ。見える。悟りを持ってして見れば何事も見えるのだ」

と言ったと思ったら、

「サトリ八犬伝」

とキツイジョークをかました。とにかく68年当時の東映映画に、寛美さんの存在は欠かせないものであり、その演技のほとんどがアドリブであることも確かだろう。

都内のどこなのか分からないが色街の夜。その角には救世軍が立っていて、街には「天然の美」の楽の音が流れていた。

田舎から出てきたと見える娘は、不良たちに取り囲まれていた。そこへバンカラ風に学生服に高下駄を履いた男が現れ、不良たちをのしてしまった。その不良たちを見ると、アクの強い顔をした曽根晴美がいることはすぐに分かったが、さらに佐藤蛾次郎がいることに気づくまでには時間を要した。

「さあ。お嬢さん。行きましょう」

「はい。ありがとうございます」

男は娘を建物の一室に招き入れると態度を一変させ、その体を無理やり奪おうとした。

「なにをするんです!やめてください!」

「ばかやろう!東京はそんなに甘いところじゃねえんだよ!」

娘絶体絶命のピンチという時に、部屋の襖が開き、そこに入道のように立っている男がいた。

「な、なんでえ!てめえは!」

その男こそ我らが若山富三郎、おっと真海なのであった。

「なんか文句あんのかよ!クソ坊主!」

「クソ坊主?そりゃあ俺は飲む、打つ、買うが大好きな生臭坊主よ。だがな。女を泣かすようなヤツは大嫌えなんでえ!このテンプラ!」

そういうやいなや真海はテンプラ学生をねじり上げ、膝でその顔を押さえつけるのであった。

「タバコ出せや」

苦悶の表情を浮かべながら胸ポケットからタバコを出す偽学生。

「ガキのくせにいいタバコ吸ってやがるぜ」

「ガキだと!」

真海の膝がその顔にさらに食い込む。

「マッチも出すんだよ」

ズボンのポケットからマッチを出す偽学生。

「お嬢さん。こいつはテンプラだ。気をつけなくちゃいけないよ。はやく故郷に帰った方がいい」

「テンプラ?」

この偽学生健太郎と不良たちはグルで、田舎から出てきた家出娘などを狙ってはスケコマシをしているのであった。

しかしえにしというものは不思議なもので、スケコマシを妨害されながらも健太郎の心は次第、次第に真海に傾倒していった。

なぜ健太郎がスケコマシをしているのかというと、それは辺りを取り仕切っている鬼頭組の命令でもあった。

健太郎が騙して連れてきた娘を鬼頭組は、自らが経営する女郎屋で働かせていたのだ。

さらにその女郎屋にいる小菊という女と健太郎は、ねんごろの仲になっていた。

「わたし。もうすぐで三年の年季が明けるんだわ。そうしたらケンちゃん約束とおりわたしをおかみさんにしてくれるんでしょうね」

「ああ」

「そうしたら二人で一生懸命に働くのよ。どんな小さな店でもいいわ。ケンちゃんがお寿司の板さんで、わたしが女将さん。ねっ。いいでしょ」

「寿司屋の板前か。それもいいかもな」

「そうしたら。今みたいなことはやめて、真面目になってね」

「わかっているよ」

そんな小さな夢を二人は女郎屋の一室で語り合っていた。

この小菊を演じているのが橘ますみ。

同じ時期、石井輝男監督の異常性愛路線で散々な目というか、のちのちの人生にまでトラウマを残すような作品に出ていた人。

だが橘ますみはその中にあっても可憐なところがある人だったので、そのエロ・グロ・ナンセンスな世界の中においても独特な存在感があった。だから逆に被虐感さえ感じさせた。

で、この『極悪坊主』の中における薄幸な女郎という役が、また出色のできなのである。

橘ますみには楚々とした魅力がある。おそらく異常性愛路線のあまりの異常さに映画界に嫌気がさして消えていってしまったのかもしれないが、68年から69年ぐらいにかけての東映作品には欠かせない人だった。

その橘ますみが年期明けを間近にして、思う男と小さな幸せを語り合うなんていいシーンじゃないか。

一方真海の放蕩ぶりは治らず心配した宗門の管長は、様子を見にきたが檀家の法要があるというのに袈裟を質屋から出さなければならないという始末だった。

で、その質屋の女将が京唄子で、なにやら真海とはやんごとなき仲のようであり、いきなりその分厚い唇を真海の唇に浴びせてきた。

二人は抱き合ったが、真海が、

「オエッ」

というジェスチャーをしたのには笑った。

袈裟を身につけた真海が檀家の家にやってくると、そこにはすでに行徳がいてお経を上げていた。

「真海さん。遅いじゃないですか。もうお経は唱え終わりましたよ」

「行徳さん。あんたもやり方が汚いね。そうやって檀家さんを取っていく腹づもりなんですか」

するとそこに列席していた未亡人が言った。

「もうやめてください!お経はこれまでどおり真海さんに上げてもらいます!」

その言葉を聞くと行徳は、そそくさとその場を後にした。

それでその未亡人が何かの用で真海の寺にやってきた時、お堂にネズミが出て、ビックリし真海に抱きついた。

「和尚さんの腕、たくましいのね」

「奥さんも居心地がいいようで。人間生きているうちが花なんですよ。生きているうちがね。いただきます(合掌しながら)」

そう言って真海は女盛りの奥さんの体をいただくという、真言密教でいうなら煩悩即菩提の境地を実践したのであった。

女が帰るとそこにかんざしが落ちており、真海はそれを拾い上げるとお堂の隅にいたネズミに投げつけ串刺しにした。

鬼頭組の事務所。

そこに健太郎は呼び出されていた。事務所には組長鬼頭を演じる脂ぎった悪役と言ったらこの人、遠藤太津郎。さらに若頭を演じる東映の絶倫帝王、名和宏が待ち構えていた。

「おい。ケン。おめえ最近、スケコマシに身が入っていねえようじゃねえか」

「なんだか。気が乗らなくてよ」

「まさか。てめえ。真海に説教されて。あのクソ坊主。一度釘刺さなきゃならねえな」

そう言って名和宏とその子分は、真海の寺にやってきた。

が、真海は笑顔を見せて、

「まあ今日はいい酒と肴が入っているのよ。遠慮しないでよ。やってくれよ」

と言うのであった。名和宏たちが怪訝な顔をしていると、

「なんだ!てめえら!俺の酒が飲めねえって言うのかよ!」

と凄む真海の迫力に圧倒されて、酒を一口飲むと次第にいいこんころもちになり、寺の本堂で酒盛り大会が始まり、肴の刺身もなくなるまで平らげた。

「また機会があったら寄ってくれよ」

「ああ。あの刺身もうまかったぜ」

「そうかい。あれならまだたっぷりと用意してあるぜ。なにしろうちで飼っているネズミだからな」

「ネズミ・・・」

血相を失う一同。するとフィルムが早送りになり一同は逃げてゆく、と言うスラップスティックコメディ的な演出が施される。

この作品の監督は佐伯清という人物らしい。

しかし演出的になにか非凡なものを感じさせるということもない。またこのあとの展開を見ても、この作品になにか突出した面白さがあるわけでもない。

むしろ連発されていた東映任侠路線の中にあって、とりあえず毛色の変わったものをやっておくか程度に軽く作られた作品なのかもしれない。

脚本的にも物語の主軸をなしているのは主人公の真海というよりも、不良少年である健太郎にスポットが当たっている。

一作目のこの時点では真海のキャラもそれほど完成しているとは言えない。

だが、この「極悪坊主」シリーズが二本、三本、四本と連作された理由は、この一本目がなにかの間違いでそこそこヒットした為なのかもしれない。

逆に鶴田浩二や高倉健の本流任侠映画ではなく、亜流でしか描けない喧嘩や博奕、女に明け暮れるが義理には厚いという破戒僧という設定が68年の日本。しかも文芸映画や芸術映画とは無縁な人々に受けたのかもしれない。

街にて健太郎は、今度は袴を履き学帽を被ってスケコマシをしていた。そこに現れたのがまたしても真海。

「健太郎。あれほどスケコマシだけはやめておけって言ったろ。お嬢さん。こいつは学生なんかじゃねえ。帰るんだ」

健太郎の襟首をつかんで路地に引きずり込む真海。そして健太郎のことをぶん殴る真海。するとそこへ一人の女が現れ、健太郎のことをかばった。

「やめてください!この子のことは噂でよくないことをしているということは聞いています!それでも我が子は我が子なんです!どうかブツならわたしのことをブってください!」

その声を聞いて真海は、

「おい。健太郎。いいおっかさんを持っているじゃねえか。おっかさん大事にしないと罰が当たるぜ」

と言って去って行った。この頃から健太郎は、真海のことを兄貴、兄貴と呼び、より傾倒していった。

またしても鬼頭組に呼び出しを食らった健太郎。

「小菊の年季は三年だ。もう自由になってもいい頃だろう」

「てめえ!それが義理も恩もある組長に向かって言う言葉か!」

「俺はヤクザなんかじゃねえんだ!義理も恩も知ったこっちゃっねえや!小菊はどうなっているんだよ!」

「三年の年季のうちにゃこっちが建て替えているものもあるし、利子っていうものもあらあな。小菊にはあと一年は働いてもらわなくちゃな」

「そんな!話が違うじゃねえかよ!」

ボディーヒート、いやヒートアップしてくる健太郎。

「じゃあ、あといくら払えば小菊は自由になれるんだよ!」

「うっせい!てめえみてえなガキに払える額じゃねえんだ!」

そう言われると、健太郎は子分たちによって事務所の外に放り出されてしまった。

夜の色街。

そこでは娼館の軒先に妖しく提灯の火が灯り、女たちが呼び込みをしていた。その通りを行く盲目の按摩に真海は声をかけた。

次のカットになると按摩に化けた真海が、鬼頭親分を横に寝かせて、その体を揉んでいる。

「その女郎屋って言うのは儲かるんですかね」

「まあな。痛えな。もっと優しく揉めよ」

「じゃあ親分さんもお女郎衆には、儲かった分きちんと返しているんでしょうね」

「うるせえ按摩だな。いちいち、いちいち」

そう言って遠藤太津朗が振り向くと、そこにはグラサンと頭巾を取った真海が不敵に笑っていた。

「て、てめえは!」

「そうよ。真海様よ」

騒ぎを聞いた名和宏以下、子分たちが駆けつける。

「騒ぐんじゃねえ!騒ぎゃあ親分の首へし折るぞ!小菊の証文持ってこい!」

と言って、遠藤太津朗の首にガッツしスリーパーホールドを決めた真海であったが、ここ完全に記憶に残ってないのだが、なんか逆にピンチになり、簀巻きにされて、そのまま川に投げ込まれた。

なんとか引田天功並みの脱出劇で、岸までたどり着いた真海であったが、すでにフラフラ状態。その真海を助けたのが、健太郎の母であった。

母の家に行ってみて真海は、あるものを発見した。それは管長筆による掛け軸と管長が愛用していたと思しき数珠であった。

「お母さん。これは」

「いえ。なに。うちが昔、管長さんのお寺の檀家だったものですから」

「そうですか」

健太郎の耳には曽根晴美によって、許しちゃおけねえ情報が入った。小菊が上海に売られるというのだ。

健太郎たちは早速、作戦を実行した。不良グループの中には、まだ小学校ぐらいの生意気な少女がいた。その少女が小菊のいる娼館の入り口で客を引いている女に、

「お母ちゃーん!」

と言って抱きつき、騒ぎを起こしたのだ。

そのうちに健太郎は娼館に裏口から侵入し、小菊を救出することに成功した。

母と真海がいるそのうちの扉が開き、そこに健太郎が現れた。

「おっかさん。人、一人かくまって欲しいんだよ」

「誰なんだい。その人は」

「小菊、入れよ」

母は最初、商売女の身なりをしている小菊に抵抗感を持っていたが、二人が愛し合っているならと小菊を家に住まわせることを理解してくれた。

これを契機に鬼頭組の娼館では足抜け女郎が続出し、彼女たちはみな真海の寺へと向かった。

「だいぶ人数が増えてきたな。こりゃ女郎屋でもやるか」

真海。応えて曽根晴美。

「この寺も女郎の駆け込み寺なんて最近では呼ばれてますぜ」

そこに管長が視察にやってきた。

「これは管長。ここにいる女たちは皆、苦界に身を落としたものたちばかり。少しでも助けてやりたいのです」

真海は珍しく坊主らしいことを言った。管長もそれに影響を受けちゃった。

組事務所では遠藤太津朗が苦虫を潰したような顔をしている。そこへ入ってくる行徳。

「どうしたんです。鬼頭さん」

「管長の野郎。うちが娼館に借りている観音寺の境内を使わせないって言ってきたのよ。そんなことされたらおまんまの食い上げだぜ」

「鬼頭さん。そんなに急くことはありませんよ。管長の一人や二人、宗門会議にはかればどうにでもなるんですから」

行徳がダーキッシュな笑みを浮かべたことは言うまでもない。

縁日の日であったろうか。

ごった返す人波の中で、健太郎の母は声をかけられた。

「ちかさん。ちかさんじゃありませんか」

その声の主は管長であった。

「こんなところで会うなんて奇遇ですな。今はどちらにお住まいなのですか」

そう聞かれても母は、今は答えたくないという風で、

「きょうは用事がありますから」

と言って、人波に紛れて行ったが、管長は、

「あの人の住んでいるところが知りたい」

と言って、お付きの僧侶に尾行を命じた。

ぶっちゃけた話、健太郎の母は管長の昔の愛人だった。そして健太郎の父親は管長だった。

しかし管長の父親は管長に妻、子を捨てるように命じた。それは僧侶としての栄達を願ったからなのかもしれないが、母にとっては残酷な運命だった。

そんな若き日の思い出を母と管長は、かき氷屋の前で語ったのだが、その時管長は自分に息子がいるということを初めて知った。

観音寺の境内。行徳が管長に話しかける。

「管長。面白い話を聞きましたよ。管長には隠し子がいるそうですな。いずれ宗門会議ではっきりさせてもらいますよ」

だが管長の危機を聞きつけた真海は、自身も宗門会議に出席することを希望。真海の登場によって形成が不利になると見た行徳は、宗門会議を流会にした。

それは冬であったのだろうか。夕暮れ時から時間が過ぎ、闇がその深さを増していた時、管長と母はその家の前で語り合っていた。

「あの時、わしがあなたを捨てなかったらよかったのに」

「もう。昔のことです。お互いにやめましょう」

「せめて。息子ができたことだけでも教えてくれれば」

その時、銃声が弾け母はその場に崩れた。それは宗門会議によって管長を追い詰めることができなくなった鬼頭組と行徳の放った刺客であることは間違いなかったが、その巻き添えを食って母は死んだ。

布団の上に寝かされた母の亡骸。そこへ健太郎が帰ってくる。

「おっかさん!おっかさん!誰がおっかさんをこんな目にあわせやがったんだよ!」

「健太郎。すべてわしが悪いのじゃ」

「なんでえ!クソ坊主!気安く健太郎なんて呼ぶなよ!」

「わしはお前の父親なんじゃ」

「なんだとー!ふざけんじゃねえよ!今までうちは親一人の子一人でやってきたんだ!それをなに言ってやがんだ!」

それは当然だろう。健太郎にしてみれば、いきなり母親が死んだという頭が混乱して当然のところに、坊主が父親だと名乗り出てきたんだから、その混乱の度合いも増すに増すのも当然だろう。

「今までおっかさんがどれだけ苦労してきたのか知ってんのかよー!俺だってててなし子って後ろ指刺されてよー!」

健太郎の咆哮は止まらなかったが、その場にいた真海からぶん殴られた。

「健太郎。俺もお前と似たそらみのててなし子よ。そんなに親父が憎かったら俺を殴れ。そして気が向いたら親父と呼んでやれ」

真海の頬を打つ健太郎。だがそのうち、

「兄貴―っ!」

と言って、その膝に泣きついた。

「ケンちゃん。お父さんって呼んであげて」

そう言う橘ますみ。

「おとっつぁーん!」

健太郎は泣きながら管長に抱きついた。こここの映画の中で一番ジーンとくるシーンだと思うのだが、人間そんなにはやく頭を切り替えられるのかとも思った。だが映画だから仕方ないということにしておこう。

ここからは東映任侠映画セオリーよろしく殴り込みとなるのだが、真海の行く道には了達が待っていた。

「真海。もし生きて帰ってきたら水門のところで待っているぞ。そこで二人の決着をつけるのだ」

このダークな魅力を放つ文太さん演じる了達がいい。

あとはもう東映Kill Kill Time。

真海は滅多やたらと鬼頭組の子分たちをのしてゆく。その中に東映が誇る怪優・汐路章ともともと若山富三郎の付き人であった志賀勝の姿があったことを忘れてはなるまい。

だが、この殴り込みのシーンは鶴田浩二や健さんの場合だったら、ドスや長ドスの立ち回りとなるわけだが、『極悪坊主』の場合は、あくまで素手で拳法で敵を倒してゆく。

であるから悪徳坊主の行徳は、真海によって脳天唐竹割によって殺され、鬼頭組の親分である遠藤太津朗はモンゴリアンチョップで殺された。

そして水門にやってきた真海。了達との死闘が開始される。

突き、蹴り、飛び蹴りに関節技。一進一退の攻防が続く。こういうアクションシーンを見ると、やはり若山富三郎という人は稀な身体能力を持っている人だということに、改めて気づかされる。

この作品に限らず、そのずんぐりむっくりした体躯からは想像できないアクロバティクな動きを繰り出すことが多々あるのだ。

真海が頭から血を流し、すわピンチかと思ったその瞬間、真海の膝蹴りが了達の下腹部に見事に決まった。

両目が飛び出るくらいに顔を引きつらせる了達。そのあと胃液っていうの、もしくはゲロまいて、その上目潰しを喰らい、さらに脳天に手刀を喰らって完全に倒された。

その後、真海は寺を捨て旅に出るというシーンでラスト。

佳作ということができる作品かと思うが、『極悪坊主』はこの後、二作、三作、四作とシリーズ化され、そこにおいて真海と了達の死闘は続いていくことになる。

いわばこの作品は『極悪坊主』エピソード1と呼ぶべきものだろう。まあ。そんな大げさなものではないのだが。

「俺かい。極悪坊主だよ」

真海の旅と戦いは始まったばかりなのである。

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