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狙撃
ビルの屋上にいる加山雄三。彼は狙撃用の肩当てや、肘当てが付いている革ジャンを着ている。彼は慌てた様子もなく、タバコを一服すると、その火を消し、証拠が残らないように、そのタバコをポケットの中にしまった。 彼がライフルを構え、スコープを覗くと眼下に新幹線が走り込んできた。車窓の中の一人に照準を合わせると、加山は引き金を引き、新幹線車中の人物は絶命した。 そして、加山はライフルをゴルフバッグに仕舞うと、そのままビルの下に停めてあったトヨタ2000GTに乗り込み現場をあとにした。 そして始まるタイトルバック。ここまでの描写で、加山がいかに凄腕なスナイパーかを説明している。 ある日、加山が射撃場で射撃をしていると、グラビアか何かの撮影班と思しき一団がやってきた。その中の女が加山に話しかけてくる。 「ねえ。撮影の背景をお願いしたいんですけど」 その女こそ、浅丘ルリ子だった。 「断る」 と加山。一団はそのまま行ってしまったが、ルリ子は加山から遠ざかりながらも、彼に視線を送っていた。 そのあと、ロッカールームで加山とルリ子は一緒になった。 「さっきはすまなかった
高橋宏幸
3 日前読了時間: 17分


海女の戦慄
またしても新東宝の映画を見てしまった。かく言う俺も好事家の一人なのだろうか。 その映画『海女の戦慄』(1957年公開)のタイトルバックで、主演女優の前田通子は、海女の姿をして、手ブラを披露する。 終戦から十二年経っているとはいえ、エロの情報が極端に少なかった時代故に、これだけでも十分に男の本能を掻き立てるものがあっただろう。 『海女の戦慄』は新東宝が手がけた「海女シリーズ」の第一作であるらしい。続く『女眞珠 王の復讐』は引き続き前田通子を主演に据えたもので、そこで彼女は日本映画初となるフルヌードを披露した。 と言っても、前田通子が磯で後ろ向きになっているのを、望遠で撮っているぐらいのものだったのだが、それでも彼女は日本初のフルヌード女優として、邦画史に名前が刻まれることになった。 これは新東宝の映画に関する文章を書いている度に記していることだと思うが、当時の新東宝社長、大蔵貢は元々無声映画の活弁士あがりで、映画に芸術性や文芸性などいらないとばかりに、エロス、グロテスク、サスペンス、ホラーをミックスした、今から考えればキッチュでモンドな映画ばかりを
高橋宏幸
9月2日読了時間: 15分


海人の化物屋敷
なぜあんなにも新東宝と言う映画会社は、「海女映画」を量産したのだろう。時代は50年代の後半。映画のスクリーンがまだ、銀幕と呼ばれ、そこに映る俳優、女優は銀幕のスターと呼ばれていた時代である。 当時、日本の映画産業は全盛時代で、テレビの普及率も低く、庶民たちは娯楽を求めて映画館に詰め掛け、銀幕のスターたちに熱い視線を送った。 それなのに新東宝という映画会社は、「海女映画」をこれでもかと言わんばかりに作っていった。 小津安二郎が『東京物語』、成瀬巳喜男が『浮雲』を撮っている時代にあって、新東宝という会社は「海女映画」を量産していった。 そこには活弁士あがりの新東宝社長、大蔵貢のこのような考えがあった。 「狸映画を撮れ!狐映画を撮れ! 各社が気取った映画を撮っているうちに、うちはお化け映画を撮るんだ!」 この社長命令によって新東宝は、エログロナンセンス路線をひた走ることになるのだが、中でも力を入れていたのが、「海女映画」ではないかと思う。 しかし、大蔵貢の現在から見ても先鋭的すぎる考えが災いし、新東宝は1961年に倒産した。まさに邦画界の徒花として新東

makcolli
7月26日読了時間: 14分
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