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関東テキヤ一家

  • 執筆者の写真: makcolli
    makcolli
  • 21 時間前
  • 読了時間: 18分

一時代を築いた東映任侠映画のセオリーとはなんだったのだろうか。そこには間違いなく、善悪二元論の考えがあった。

つまり、良いヤクザがいて、悪いヤクザがいる。良いヤクザは悪いヤクザが仕掛けてくる様々な悪事を我慢するが、最終的に、それも限界に達し最後は着流し姿に長ドスを持って、単身悪のヤクザに殴り込みをかけると言う話が鉄則だ。


大体においてこの場合、良いヤクザを演じたのが、高倉健であり鶴田浩二であった。そこに女との事情や兄弟分との友情などが絡み合い、幾多の作品において、任侠映画はその黄金率を紡いでいった。


任侠映画を演劇に例えるなら、大衆演劇のようなものである。もう話の筋が、ここでこうなって、こうなって、最終的にこう終わると言うのが分かる、それでも最後まで見てしまう。だからこそ大衆演劇は、大衆的な分かりやすさがあると言える。

任侠映画も大衆に支持されたものであった。そこでは芸術性や前衛性などが重きを置かれるはずはなかった。


映画館のスクリーンを前にして、東映任侠映画を見るために詰めかけた人々は、「よっ!健さん!」、「待ってました!」と声を高らかに上げた。そんな大衆の熱狂の前にはオツにすました芸術性など不要だった。


1969年。監督、鈴木則文。主演、菅原文太によって公開された『関東テキヤ一家』も、そんな任侠映画の一本であった。


場所は東京浅草。そこにある菊水一家では、これから旅に出るという若い衆が、ゴロメンツウ、つまり仁義の切り方を練習していたが、なんとも締まりのないものだった。


「馬鹿野郎!なんてだらしねえゴロメンツウの切り方してやがんだ!ゴロメンツウって言うのは、一家の看板見てえなもんなんだぞ!てめえら!うちの組に泥塗るつもりかよ!」


そう吠えたのは菅原文太であった。

69年当時、文太はまだ東映のトップスターに躍り出た訳ではなかった。むしろ高倉健や鶴田浩二を前にして、燻っているより仕方がなかった。

主演作よりもむしろ梅宮辰夫の「不良番長」シリーズや、藤純子の「緋牡丹博徒」シリーズの助演の方が多かったのかもしれない。


だがである。文太を文太たらしめているものはなんなのか。高倉健でもなく、鶴田浩二でもないものとはなんなのか。それは文太の咆哮である。高倉も鶴田もあのようには吠えない。あの獣のような吠え方。そこにこそ文太が文太である所以があるだろう。


ファーストシーンで、のちの実録ヤクザ映画におけるトップスターの片鱗を見せた文太であったが、そこに現れたのが南利明であった。


「あらもう。兄貴、任してちょうよ。わしがゴロメンツウの手本を切ってみせるからよお。お控えなすって。早速、お控えなすって、ありがとうにござんす。あっし生まれも育ちも尾張の国だからよお。尾張って言ってもちと広いんだがよお」


そんなことを名古屋弁で言っていたら、南利明は文太に頭こづかれた。この南利明が文太の弟分で、終始コメディリリーフとして作品に彩りを加えることになる。


『関東テキヤ一家』は、文太としては東映における初めての主演作であったのだろうか。この作品も先に記したような任侠映画の鉄則を踏んではいるのだが、一つ従来の任侠映画と違うことがある。


それは従来の任侠映画が、ヤクザ渡世を描いているのに対して、この作品はテキヤを描いているのだ。テキヤと言うのは祭りや縁日で屋台や模擬店を出している人たちである。現在ではほとんど見なくなったが、かつてのバナナの叩き売りなどの口上を使って、物を売る人たちもそこに含まれていた。


ヤクザ渡世を任侠道と言うのに対し、テキヤの世界を神農道と言って、テキヤにも組があり親分子分の関係でもって組織が出来上がっていた。


文太が若い衆を務める菊水一家の親分は嵐であった。と言っても、ジャニタレの嵐ではない。かつて嵐といえば嵐寛寿郎のことを言ったものである。

でアラカンは大体、この時代の東映任侠映画では、良い組の親分を演じていた。


アラカンと同じくエンコ(浅草のこと)で縄張りを張るのが、渡辺文雄であって、その顔にはすでに悪と書いてあった。渡辺文雄は以前からアラカンのことを苦々しく思っており、刺客を差し向けた。


69年。浅草、浅草寺の境内。そこは現在とは違い露天商の店が立ち並んでいた。そこを子分と共に歩くアラカン。と、やにわに拳銃を持った男が現れ、アラカンを銃撃した。

アラカンは腕を負傷しただけで助かったが、巻き添えを食ってある露天商が死亡した。


渡辺文雄の組には文太の幼馴染、時枝がいた。渡部文雄はこのままアラカンの組とドンパチ始めようと、鼻息を荒くしたが、時枝が考えてくださいと諭した。


「おめえ。俺に菊水に謝れと言うのか」

「おやっさん。今は関東神農睦会を前にして大事な時じゃないですか」


ことを荒立てたくないのはアラカンも同じだった。ここは関東のテキヤ界で顔の効く河津清三郎の仲介で手打ちと言うことになった。


文太は時枝のアパートに行き、二人でビールの酌を着流し姿で交わした。そこには時枝の妻がおり子供がいて、平穏な時間が流れていた。


文太と南利明は北関東から福島のタカマチ(祭礼や縁日)を巡る旅に出ようとしていた。張り切る南利明。文太はアラカンに言った。謹慎している引地(待田京介)と一緒にいかせてくれと。

アラカンはそれはいいが、お前は喧嘩っ早いから、行く先々で揉め事は起こしゃならねえと言って、文太が持っているドスに紙の封印を付けた。


トラックに乗った文太、南利明、待田京介の三人は一路北を目指した。


その途中、ヒッチハイクをしているちんころ姉ちゃんがいた。

女に目がない待田京介は文太がやめろと言うにも関わらず、トラックを停めた。すると物陰に隠れていた女たちが続々と現れた。聞けば一向は女子プロレスの興業を行っていると言う。


ちんころ姉ちゃんは助手席に乗り、女子プロレスラーと南利明は荷台に乗り、トラックは再び北を目指して走り始めた。


それは群馬のタカマチで土地を仕切る三軒茶屋一家が、ショバ割りをしている時だった。そこに矢倉一家の若いもんが現れ、イチャモンをつけ始めたのだ。

すわ。乱闘になるかと思ったところに、お待ちの声がかかった。その声をかけたのは桜町弘子だった。


そう。「東映城のお姫様」と言われたあの桜町弘子である。彼女は三軒茶屋一家の女親分であった。その三軒茶屋一家に文太、待田京介、南利明の三人は草鞋を脱ぐことになった。


先にも記したように、桜町弘子は隆盛を極めた東映の時代劇において活躍し、「東映城のお姫様」と謳われた人であった。今までかなりの東映任侠映画を見てきたが、そこで桜町弘子の姿を見るのは初めてであり、このような作品に出演しているのは意外な感じがあったし、終始作品に彩りを添えるその演技は確かなものがある。


女子プロレスの一向とすでに親しくなっていた待田京介。三軒茶屋一家の親分である桜町弘子を前にして、ある頼みを願い出た。


「親分。聞いてやってくださいよ。あいつら矢倉一家と交わした約束を反故にされちまって、行くあてがないんですよ。どうか面倒見てやってくれませんか」

「でも。それじゃあ。矢倉さんとの筋目が立たないんですよ」

「そうですかい。じゃあ俺が直接、矢倉と掛け合ってきますよ」

「待ってください。その話、私がつけさせてもらいます」


矢倉一家の親分は、筋肉質的悪役と言ったらこの人、天津敏であった。

その天津敏の家に渡辺文雄、河津清三郎の二人が集まっていた。聞けば天津敏と渡辺文雄が兄弟分の盃を交わすらしい。


「なに。関東神農睦会なんて言えば聞こえはいいがな。要するに俺たち三人で、思うようにしていこうって仕組みよ」

「これで関東のテキヤ界もあっしらのものですね」

「兄弟。これからも頼むぜ」


こうして悪の枢軸は結成された。


ヤクザやテキヤにおける盃事。兄弟分の盃や親子の盃。これを民俗学的に考察することは、学術的に無意味なことではないだろう。

四方同席と書かれた幕。十二本のろうそく。厳粛にしつらえられた祭壇。これらを前にして彼らは血よりも濃いとされる盃を交わす。

そして渡辺文雄と天津敏が兄弟分の盃を終えたところに、桜町弘子が現れた。


「本日はおめでとうございます。わたくし、三軒茶屋一家の三代目として、まかり越しました」

「おお。三軒茶屋の。ありがとうよ」

「矢倉さん。でも。この晴れの日にわたくし、案内状もいただいておりませんし、正式には招かれておりませんのよ」

「なにおう!このアマ!」


矢倉の子分が桜町弘子に襲い掛かろうとした。


「やめろ!」


その声を発したのは大木実であり、その顔には善と記されていた。


「せっかくの晴れの舞台を壊す気か」

「お前ら。やめておけ」

「矢倉さん。一つ確認したいのですが、オタクで契約を反故になすった女子プロレスをウチで引き取ってもいいんですね」

「勝手にしろ」


街の神社のタカマチ。そこで文太、待田京介、南利明の三人は万能包丁の啖呵売をしていた。啖呵売とは口上に乗せて物を売ることで、現在で言うなら実演販売にも似たものである。

待田京介が見事な口上に乗せて、万能包丁の切れ味を試すと、あっという間に人だかりができてきた。


ならば俺もと南利明が挑戦し始めたが、それが一向に閉まらぬ口上で、人はまた一人、一人といなくなっていった。そこに一人だけ残った娘がいた。


「あれ。お嬢さん。買ってくれんの」

「バカ。この人はサクラだよ」


と文太。


娘の名前はしずと言い母親と二人で露天商をしていた。しずがビニール傘を売っていると文太が加勢した。


「ねっ。ちょっと足を止めたからって言って損することはないんだよ。きょうここに取り出しましたのはビニール傘。でも。ちょっとやそっとのビニール傘とは訳が違うんだよ。ちょっとそこのお母さん。このビニール傘に触ってみて。まるで十八や九の娘の肌のような触り心地だろ」


『関東テキヤ一家』以外にも、テキヤを描いた有名な映画はある。そう。「男はつらいよ」シリーズである。あの作品における寅さんもテキヤではある。

しかし寅さんの親分というのは登場してこない。寅さんがどこかの組に所属しているというのも聞いたことがない。寅さんも啖呵売をするシーンはあるが、その商品をどこから仕入れているのかは描かれることがない。全ては「フーテン」という言葉の中に誤魔化されているのであり、寅さんをテキヤとしながら、完全なアウトローとしては描かない山田洋次の偽善性を感ぜずにはいられないのである。


街には矢倉が仕切っているストリップ劇場があった。そこで繰り広げられる特出しショーに男たちは夢中になって見入り、ある者は涙まで浮かべていた。

その楽屋に入ってくる由利徹は刑事であった。


「法律に反することはやっておらんだろうな」

「キヒヒ。ダンナ。何をおっしゃいます」


そう子分の一人が言うと、由利徹の懐に札をねじ込んだ。


「ダンナ。言うこと聞くコがいるんですよ」


それは刑事がダンナと呼ばれる時代のことであり、その様子を物陰から見ていたのは南利明であった。南利明は劇場の外に出ると、中に矢倉と密通している刑事がいることを待田京介にチクった。そして二人は刑事に変装して劇場に乗り込んだ。


「警察だーっ!猥褻陳列罪で逮捕するーっ!」

「なに。警察だあ?警察はここにいるってーの」

「我々は本署の者である」

「えっ!?本署の方!それは困るんだなー」

「すぐさまここを閉鎖しなさい!」

「はい!分かりました!」


由利徹は舞台に出ていくと、


「閉鎖!閉鎖!」


と叫んだ。その由利徹目掛け飛んでくる座布団や空き缶の数々。


南利明は別の夜、浮かれて街の繁華街を歩いていた。と思ったら、矢倉一家に拉致されてリンチを喰らった。それを聞いた文太は単身、南利明が痛めつけられている倉庫のような場所に乗り込んだ。


怒りに任せてドスを抜こうとする文太。しかし、そのドスは封印がしてあり抜くことができない。あっという間に矢倉の子分たちに囲まれる文太。その顔面に渡辺文雄が拳を叩き込む。


「ふっ。てんでやわだぜ」


そう言う文太を子分たちは袋叩きにしていった。そこへ現れる桜町弘子と、彼女の子分たち。


「待ちなさい!この人たちはわたしの客人ですよ!」

「お前らその辺にしておけ」


文太と南利明は肩を抱かれて、三軒茶屋一家に戻った。だがなぜか、このあたりから南利明が登場することは二度となかった。


待田京介はあとのことは俺に任せておけと、しず親子と一緒に福島のタカマチに出発することになった。しずは寝たきり状態になっている文太のそばにいた。


「し、しずちゃん」

「なに」

「いや。なんでもねえ。また今度にするよ」


文太はしずに好意を寄せているようだったが、言葉を濁した。

その三軒茶屋一家の縁側に現れたのが時枝で、彼は見舞い品を持っていた。


「すまねえな。こんな遠いところまで。しかも無様な姿見せちゃってよ」

「気にするこたあねえよ。それより、しばらくはじっとしているんだぞ」


街では例の女子プロレスが開催されていた。しかし、矢倉一家は嫌がらせをするために、会場に子分を送ってきて、その子分たちは客席で七輪でもってにんにくを焼いて悪臭を放ったり、リング上に蛇を投げ込んだりするのであった。

だが女子プロレスラーたちが怒りの反撃に出ると、彼女たちに観客はやんやの喝采を送った。ちなみににんにくを焼いたが、女子プロレスラーに投げ飛ばされ、首四の字を決められた子分が川谷拓三であったことは記しておかねばなるまい。


その頃、待田京介としず親子はトラックに乗り福島のタカマチを周っていた。雨が降ってくれば待田京介は商品のビニール傘を急いでしまってやった。それを嬉しそうに見つめているしず。三人でトラックにて移動中、しずは真ん中の席に座り、待田京介の口にみかんを運んだ。


それはタカマチのあとだったのだろうか。二人は林のような場所にいた。


「わたしのことどう思う」

「どうって」

「わたし。引地さんのことが好きなの」

「しずちゃん」

「本当に好きなのよ」


二人は静かに抱き合った。


文太の身体はすっかり癒えていた。その文太が歩いていると、群馬の街に帰り、橋の上でいちゃついているしずと待田京介の姿が目に飛び込んできた。文太は待田京介に、ちょっと来いと言って河原に連れていった。そして、いきなり待田京介の顔を殴りつけた。


「てめえ!また悪いくせ出しやがったな!よりによってしずちゃんを!」

「今度は違うんだよ!」

「てめえの言うことなんか信じられるか!」

「俺としずちゃんは、もう約束しているんだよ!」

「約束ぅ?」

「ああ。東京に帰ったら結婚してお袋さんを安心させてやるって約束したんだよ」

「本当だろうな? 」

「ああ」

「しずちゃんを幸せにするんだぞ・・・」


この作品の監督は鈴木則文。そう1975年に菅原文太と組み、「トラック野郎」シリーズを大ヒットさせる監督である。

鈴木則文は70年代に入ると、「女番長(スケバン)」シリーズ。「温泉芸者」シリーズ。さらにポルノ時代劇において、『徳川セックス禁止令 色情大名』、『エロ将軍と二十一人の愛妾』と言う傑作、佳作をものしていくことになるが、60年代のこの頃はまだ任侠映画をそつなく撮っているという感じがする。


逆に言うと同世代の東映の監督である深作欣二や中島貞夫が、任侠映画の鉄則である善悪二元論に拒否反応を示し喘いでいたのに対し、鈴木則文はそつなく撮ることができたのだろう。ただこの中にいる限り、彼の作品も二番煎じ、三番煎じの任侠映画でしかないと言える。またそれを演じている文太も、高倉健や鶴田浩二の二番煎じでしかなかっただろう。


六年間をおいての「トラック野郎」における再びの邂逅が二人の才能を開花させたと言えるが、この作品においてトラックのハンドルを握る文太に、すでにその兆しはあったように感じる。何しろこの作品はロードムービーの箇所が一番面白いのだから。


あるタカマチでまだショバ割りもしていないのに陣取っている連中がいた。


「困りますね。ショバ割りはこれからですぜ」

「なにい。どこに店出そうと俺たちの勝手じゃねえか」


そう凄んだのは東映の怪優にして顔に灰汁が滲み出ている悪役と言ったらこの人、汐路章であった。


「なんだと!この野郎!下手に出ていりゃつけ上がりやがって!」

「おう。面白え。やるって言うのか」


そこに現れたのが良いテキヤの大木実であった。


「おい。お前ら。うちの縄張りはお前らのような馬賊が顔を出すところじゃねえんだ」

「なに」


そう言うと汐路章は大木実の顔をドスで切りつけた。


「てめえ!この野郎!」

「お前ら。やめておけ」


汐路章たちは良いテキヤたちを混乱させるために、河津清三郎に雇われたグループであったが、それを馬賊と呼ぶのは今ひとつ分からなかった。


その河津清三郎が発起人になった関東神農睦会準備会なるものが開催された。河津清三郎が会場の上座に座り、向かって右側に悪いテキヤ、天津敏、渡辺文雄が座り、向かって左側に良いテキヤ、アラカン、大木実、桜町弘子が座り、その他の衆もめいめいに座った。


「どうだろう。俺たちの世界も、もう古臭いことをやっちゃいられねえ。そこで関東睦会を作るって言うのは。そうすりゃ露天商からの上がりも着実に入るし、馬賊のような奴らが入ってくることもなくなる」


切り出したのは河津清三郎だった。


「俺は反対だ。俺たちは露天商からの上がりなんかを当てにしているからいけねえのよ。俺たちは真っ当な商人だ。こつこつやっていくのが一番なんだ」


そうアラカンが言うと、大木実、桜町弘子も反対の声をあげ、会場からは堰を切ったように反対の声があがり、準備会は流会となった。

面白くないのは悪の枢軸たちであった。


「俺は菊水の奴とは前からそりが合わねえと思っていたんだ」

「任せてください。東京に帰ったらなんとかしますから」


そう渡辺文雄は河津清三郎に言った。


東京に戻ると渡辺文雄は車中にて時枝に言った。


「菊水を殺れ」

「えっ!?」

「お前は国分(文太のこと)のダチ公だ。お前が行けば、菊水も警戒はしねえだろ」

「・・・」

「どうした。できねえって言うのか」

「やります」


アラカンは出先から組に戻ってきた。


「おやっさん。さっきから時枝さんがお待ちかねです」

「時枝が?」


アラカンと文太が部屋に入ると、そこには時枝が正座して待っていた。と思うと、時枝はドスを抜いてアラカンに襲いかかってきた。


「やめろーっ!時枝―っ!」


必死になって静止する文太。それでも時枝は無理矢理アラカンを襲おうとする。


「やめろーっ!」


文太が叫び続けた時、ふすまを破って子分たちが雪崩れ込んできて、時枝はあっという間に刺殺された。


文太は何事かを決した表情で夜の駐車場から立ち去ろうとしたが、そこに現れたのが待田京介だった。


「兄弟。行っちゃならねえよ」

「黙って俺をいかせてくれ」

「お前のドスには封印が付いているんだろ。俺に行かせてくれ」

「馬鹿野郎!お前はしずちゃんを幸せにするんだろ!」


待田京介は文太の腹に拳をめり込ませると、彼を失神させ、自身は渡辺文雄の組に向かった。駄菓子屋のようなところで、ジュースを飲んでいるしずと母親。画面の手前では風車が回っている。それを電柱に隠れて見ている待田京介。


渡辺文雄の組の事務所に乗り込んだ待田京介。ドスを振り回して暴れる待田京介に対して、多数の子分が襲いかかる。彼らはそのまま階下に移動すると、そこは閉店後のパチンコ屋だった。なおも暴れる彼らをカメラは、パチンコ代の列から列へと横移動で撮っていく。


待田京介も随分と渡辺文雄の子分を傷つけたが、鉄砲の弾を浴び、体力が次第になくなると、子分たちの刃がその身体を切り裂いていき、やがて絶命した。


菊水一家に戸板に乗せられて運ばれてくる待田京介の遺体。


「馬鹿野郎!俺たちは真っ当な商人なんだってあれほど言っただろう!」

「違うんです!違うんですよ!おやっさん!こいつは俺の身代わりになって!」


だがこれは東映方程式における「夢にまで見た不幸の数々」の序章にしか過ぎなかった。


アラカンが車に乗っていると、並走してくる車が現れ、アラカンの車を銃撃した。そのままアラカンは絶命したが、その後部座席における死に顔は素晴らしかった。


「おやっさん!おやっさん!」


アラカンの遺体を前に子分たちは泣き濡れた。そこへ大木実と桜町弘子が現れ、遺体に手を合わせた。


「このままじゃおやっさんが浮かばれねえよ!殴り込みだ!」


立ち上がる子分たち。


「お前ら!待て!オジキは普段から俺たちは、真っ当な商人なんだって言っていただろ!」

「そうよ。ここで我慢しなきゃいけないのよ」


大木実と桜町弘子はそう言ってみんなを諭したが、文太の目には決意が浮かんでいた。


雨の中傘もささずトレンチコートを羽織った文太は、時枝のアパートに向かった。そのアパートでは時枝の妻が遺影に向かって、涙を流し泣きはらしていた。

チャイムが鳴り玄関に行って見ると、そこに文太の姿があった。


「帰ってください!二度と来ないでください!」

「おじちゃん。パパはいつ帰ってくるの」


愕然とした文太は黙って懐から財布を取り出し、それを玄関において行った。


雨が降りしきる中を歩いていく文太。ある料亭に着くと、そのまま殴り込みをかけた。ここからはもう「東映キルキル・タイム」。封印がしてあるドスを抜くと、そこにいた悪の枢軸の子分たちを一人切り、二人切りしていく文太。


だがそこに大木実と桜町弘子が助太刀で現れる。これはこの作品がシリーズ一本目と言うことや、まだクライマックスの殴り込みシーンを文太一人に任せる訳にはいかないという判断だったのだろうか。


悪の枢軸たちは料亭から逃げ出した。そして辿り着いたのが、待田京介が文太を失神させた駐車場。天津敏を殺ったのは大木実だったと思う。渡辺文雄を殺ったのは桜町弘子だったと思う。


最後に残った河津清三郎は命乞いをしたが、文太に殺られたと思う。


ラストは駆けつけた警察に三人が収監されたような気もするが、記憶は定かではない。


調べてみると「関東テキヤ一家」シリーズは、まだ四作続くようである。親分を失った国分(文太)がどうなっていくか知りたいし、文太&鈴木則文のアーリーワークスを見るにはいい作品であろう。

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