makcolli2023年1月31日読了時間: 23分神仏分離 横須賀市浦賀の神社を事例に初めに この文章のもととなったものは、6年前に記した「浦賀の神社について」と言う文章で、最近それを読み直したところ、これを大幅に修正、加筆を加えて、明治初年代に全国で展開された神仏分離、廃仏毀釈の具体例として記すことにしてみてはどうかと思った。...
makcolli2017年4月19日読了時間: 9分浦賀の神社に関して灯台下暗しとはよく言ったものである。 ある日、なんの気はなしに横須賀の浦賀にある東叶神社のホームページを見てみたら、驚くべきことが記されていた。 江戸時代まで東叶神社は単なる神社ではなく、別当寺が管理している社で代々その別当は阿闍梨や僧正と呼ばれる僧侶としては、位の高い人間...
makcolli2016年10月13日読了時間: 11分ヨーガの哲学最近、東光寺の阿字観瞑想に行くと、ヨーガを実践している人たちがくることが多い。 阿字観が終わったあと、住職も含めて雑談になるのだが、当然のことながら話はヨーガと阿字観との共通性などに及ぶ。 元来、密教も好きだがヒンドゥー教や、その実践方法、ヨーガにも多大な関心を抱いてきた自...
makcolli2016年4月1日読了時間: 10分観音菩薩と龍神をめぐる雑孝その関心は、かなり以前から抱いていたのだと思う。 密教の修法で大事にされるものに、宝珠というものがある。この宝珠を祀れば、どのような願いも不思議な力によって、叶えられるというマジカルなボールなのことである。 だが中世になると、この宝珠を僧侶らが人工的に生み出す、能作性宝珠の...
makcolli2015年9月10日読了時間: 5分三尊合行法 もしくは一仏二明王法に関する雑考密教の行法に三尊合行法というものがある。 中央の本尊に対して、脇侍として左に愛染明王、右に不動明王を配して拝むものだ。 この三尊合行法を始めて知ったのは、多分2011年に県立金沢文庫で行われた「愛染明王 愛と怒りのほとけ」展に行ったことがきっかけだったと思う。...
makcolli2015年2月22日読了時間: 6分唯識論に関する一雑考仏教の世界認識論に唯識というものがある。 世界を構成しているのは、ただ人間の意識だけであるとするものである。 この唯識論を知ったのは確か、もう20年くらい前、ダライ・ラマが来日した際の法話で、 「目の前にコップがあるからコップがあるのか。コップがあると認識している自分がいる...
makcolli2014年12月11日読了時間: 10分吉田神道の四百年 神と葵の近世史神道界において最も権威ある神社とはどこだろうか? やはり伊勢神宮であろうか?それとも出雲大社であろうか? しかし、そのふたつとも違うのである。現在の京都大学の近くにある吉田山にひっそりと鎮座している吉田神社。こここそがおよそ室町期から江戸時代まで、神道界の王道を歩いてきた吉...