その関心は、かなり以前から抱いていたのだと思う。
密教の修法で大事にされるものに、宝珠というものがある。この宝珠を祀れば、どのような願いも不思議な力によって、叶えられるというマジカルなボールなのことである。
だが中世になると、この宝珠を僧侶らが人工的に生み出す、能作性宝珠の製造が密かに進められた。
また空海著と仮託された『御遺告』という本には、空海が唐から請来した宝珠を室尾寺の山に埋めた、とされる伝説が記されていて、さらに室尾寺の守護神である龍が、それを守っているとされた。
宝珠という中世秘教をシンボライズする不思議なものもさることながら、この宝珠という存在を知った頃から龍や龍神といったものがやけに気になりはじめた。
それは単に、宗教知識として気になるだけではなく、龍が自分の内面のなにかを触発するものであり、創造力といった面でも刺激される存在になっていったからだ。
そうした思索を重ねて行く中で、ある一つのことに気づきはじめた。
観音菩薩と龍はワンセットのものではないのかと。
例えば東京の有名な寺院に浅草寺があるが、ここの本尊は聖観音。そして山号は金龍山。
それほど古いものではないのかもしれないが、浅草寺には金龍の舞というものがあり、先頭を行く者が、棒の先についた蓮のつぼみを持って、あとに続く龍を導いてゆく。
この蓮のつぼみは観音菩薩を象徴しており、解脱を願う龍を仏道に導いているのだ。
また観音菩薩のなかには、楊柳観音というものがいるが、その仏画には必ず龍が描かれている。
いわゆる仏教でいう天部、例えば聖天や毘沙門天などはインドのヒンドゥー教の神が仏教に取り入れられたものであり、日本の神祇信仰における神もいうまでもなく神である。
しかし神には煩悩がある。人間と同じように煩悩のただ中にいる。だから天部は人間の煩悩を理解し、煩悩の象徴ともいうべき現世利益を授けることができるのだ。仏教でいう現世利益と解脱とは、本質的に違う。
現世利益を例えるなら、毒を以て毒を制す、といった具合か。
だが一方で、天部、神は煩悩のただ中から脱したいとも願っている。それを叶えてくれるのは菩薩や如来たちだ。
観音菩薩は龍神を導き、龍神は観音菩薩を守護する。そんな関係性があるのではないのか。
博物館や美術館に企画展を見に行って、そのあとも自分の中に深く沈潜するものに出会う時がある。
今年サントリー美術館に見に行った「水 神秘のかたち」展が、まさにそれであった。
最初は神道の水分り信仰などに関する、素朴な展示内容なのかと思っていたが、会場内に入ってみてびっくりした。
そこには密教の請雨法の資料。巨大な宇賀神像。戦闘神を思わせる八臂弁財天。天河曼荼羅。高野山に伝わる善女龍王像。水神像。倶利伽羅龍剣。室尾山図。『御遺告』。
そしてなんといっても強烈だったのは、宝珠を納めていた箱である春日龍珠箱で、二重構造になっている箱のふた、側面などにはぎっしりと八大龍王、鬼神、波、風神、雷神などが描かれていて、この中に宝珠が納められていたとしてもなんら不思議ではないと思わせるものがあった。
こうして見てみると、密教と水の関係性は意外と密接であることが分った。
その展示物の中でも意外な発見というか、教えられることがあった。
それは奈良長谷寺の十一面観音にまつわる展示で、自分は長谷寺の十一面観音はテレビなどでしか見たことがないのだが、それはそれは巨大なものである。
だがあの本尊は、巨木が川から流れ着いたものを、掘り出したという水にちなんだ霊木信仰をもとにしていることが分った。
これとはやや異なるものの、浅草寺の草創にも似たような話があり、漁師が隅田川で網をすくいあげたところ、その中から観音が現れたという起源譚で、こちらも水との関係性がある。
さらに長谷式十一面観音は独自の形式で、右手には錫杖を持っているのだが、それは握っているというよりは、手を添えているという形に近い。
また普通、仏像は蓮台に乗っていることが多いが、長谷式十一面観音は四角い台座の上に乗っている。
さらに従えている脇侍も独特で、向かって左側に雨法童子、右側に難陀龍王が配されているのが特徴的である。
展示には奈良長谷寺の本尊の縮小サイズが展示されていたが、ここにも観音菩薩と龍の関係性、さらに龍を水の象徴と考えれば、観音菩薩と水の関係性が示されていた。
そもそもこの観音菩薩と龍との関係性は、どこからくるものなのかと、最近自分も東光寺の護摩の時に、観音経(法華経 観世音菩薩品)を唱えるようになったため、そこになにか記されているのではないかと、家にあった岩波文庫版の「法華経」の中から観音経の現代語訳を読んでみた。
すると、そこには観音菩薩のさまざまな功徳が説かれていたが、龍との関係は龍が観音菩薩の二十八部衆の一つであるということだけだった。
ちなみに観音経には、「念彼観音力」という言葉が頻出するのだが、これは観音を念ずる時、という意味で、海で遭難しそうになった時でも、観音を念ずれば助かる。盗賊に襲われても、観音を念ずれば助かる、といった具合に観音菩薩の功徳がとくとくと説かれる。
奈良の長谷寺だけではなく、全国には長谷寺という名称の寺院はかなりあり、それが奈良の長谷寺と関係があるということが、最近の研究では分ってきつつある。
そのどれもがやはり水との関連が深い場所に存在しており、かつては海上交通の要衝などに位置していたようだ。
そこには真言律宗の僧侶たちの活動のあとが見られ、現在ではマイナーな宗派となってしまっている真言律宗も、中世の宗教世界をひも解く上では、重要な鍵を握っていると考えられている。
学生の頃に行ったきり、訪れていない鎌倉の長谷寺は、やはりそういった寺院なのだろうか。
確かにあそこは、海に面した場所に立っている。その本尊は長谷式の十一面観音なのだろうか。やはり行ってみて、確かめたい気になる。
神奈川にもうひとつ長谷寺と名のつく寺院がある。
通称、飯山観音と呼ばれている場所で、正式名称は長谷寺(ちょうこくじ)である。
自宅から車で1時間30分と近い場所にあり、温泉旅行も兼ねて28日、29日と一泊二日で行ってきた。
東名高速厚木インターで降り、山に向かってほどなくゆくと飯山観音はあった。まさに山中の古寺といった趣きで、山門の仁王さんも田舎風といった感じである。
境内は無料で、本堂にも入ることができる。
本尊は厨子の中に入っていて、拝観をすることはできなかった。しかし本堂の脇のほうに、役行者像を見つける。
「南無神変大菩薩」の宝号を唱えたあと、写真を撮らせてもらう。思いがけず役行者に出会ってテンションが上がり、そのまま寺務所で御朱印をもらおうと思ったのだが、そこには人気がない。
どうしたことなのだろうと思っていたら、奥のほうから選抜高校野球に夢中になっていた坊さんが現れた。
しかしこの坊さんなんだかやる気がない。御朱印を書いてもらったあと、
「こちらの御由緒書きのようなものはないんですか?」
と聞くと、
「ありません」
と、シャットアウトするように言われ、少々複雑な心境になる。
だが、そこから本堂の裏手に回ってゆく途中に、石像の天狗が祀られていた。
本堂の役行者といい、この天狗像といい、やはり山深い場所にあるここは、修験道や山岳信仰と関係がありそうだ。
それと寺務所にあった本尊の御影札を見てみたところ、それは十一面観音で、脇侍は描かれていなかったものの、長谷式と同じ錫杖を手で添えている形式のものだった。
駐車場に戻る途中、付近の案内板があり、近くに龍神を祀る神社があるということが分った。
しかもその龍神は、かつては権現として祀られていたという。ここにも観音と龍の関係性はあった。きっとこの龍神は、飯山観音の守護神なのだろう。
めちゃめちゃ行きたい気になったが、両親と三人で来ていて、親父を駐車場に残したままにしていたし、自分もその前日からウイルス性胃腸炎に罹り体調が良くなかったので、また別の機会にと諦めた。
そのまま飯山温泉、元湯旅館に入ったが、そもそもなぜ山深い場所にある飯山観音と長谷式の十一面観音は関係があるのだろう。
これは自分の推測の域を出ない考えだが、ここの場所には温泉が湧いている。昔の人から考えれば、水は命の源であり、さらにそれが地中から温かく涌いて出る温泉は神秘以外のなにものでもなかったに違いない。
それに旅館に入ってみて分ったのだが、ここには川が流れており、その流れもかなり澄んだものだった。
神道の水分り信仰に見られるように、水はまず山から誕生する。そんなこととも、ここに観音菩薩が祀られていることには、なにか関係があるのではないだろうか。
その日の晩は、飯山温泉名物のぼたん鍋を食したが、体調が万全ではなかったため、いつものように思いっきり食すことはできなかった。
翌朝、前日と同じように温泉に入り、しばし俗界を忘れる。
前日にはこの日、寒川神社に寄ってから帰宅しようと考えていた。しかし地図で見ると、飯山温泉から寒川神社までは、かなり距離があり、自分の体調のことなどを考えると諦めたが、別の考えが思いついた。
三年ぐらい前、近くの七沢温泉に来て、帰りに日向薬師に寄ったのだが、本堂が改修修理中で、なんとも残念な思いをしたのである。
飯山観音から日向薬師までは、そう距離もないし、今なら改修修理も終わっているだろうと、車を走らせた。
日向薬師の駐車場から階段を下り、本堂を目指すと、なんとまだ改修修理中であり残念な気持ちになった。
しかし前回きた時よりも、本堂の美しい茅葺きの屋根は少し姿を現していた。
とりあえず修理中の本堂をぐるっと回り、前回きた虚空蔵堂に行った。
それは堂といっても小祠といった感じのもので、しかも巨木のうろの中にある。なにかそれが霊木信仰を思わせる。
寺務所で御朱印をいただこうと思ったが、その時はお寺の人はおらず、売店のおじさんが対応してくれた。
御朱印は今、書けないというので、宝物殿を拝観することにした。前回きた時もこの宝物殿は見ているはずだったのだが、かなり忘れている部分が多かった。
まず入って正面に厨子があり、ここに秘仏であり本尊の薬師如来と日光菩薩、月光菩薩が安置されている。
その造型は特徴的で、鉈彫りという技法が用いられている。鉈彫りとは仏像の表面を、つるつるに仕上げるのではなく、わざと鉈のあとを模様のように残すものである。
この様式は関東から東北の仏像に多く見られるもので、霊木信仰との関係、あるいは仏が地中から現れた様を表現しているという。
その厨子を囲むように、迫力のある四天王が陣取り、さらに左右に六体ずつ、合計十二体の十二神将が並ぶ。
その様は見事なものであるが、自分は建物の片隅の弘法大師像の後ろに、ひっそりと隠れているかのような老人の像が気になった。
宝物殿を開けてくれたおじさんに、
「これは役行者さんですよね?」
と、聞いても要領を得ないようで、
「これは下にある白髭神社に関係のあるもので、山岳信仰と関係があるみたいです」
と言っていたが、前鬼、後鬼は従えていないものの、高下駄を履いていることなどから、役行者であることは間違いないようだ。
前日の飯山観音でも役行者に出会い、ここ日向薬師でも出会った。
4月15日の日向薬師の大祭では、多くの修験者が集まり、採燈護摩、さらに神木登りというものを行うそうだ。ちなみに飯山観音、日向薬師ともに現在は高野山真言宗。
日向薬師の落慶法要は11月に行われるとのことなので、その時にまたぜひきたい。
また、ここの近くには石尊大権現、そして不動明王を本尊とする大山があり、また役行者を祀る八管神社もあることから、厚木、伊勢原の山間部はかつて、南関東における、修験道の一大拠点だったのではないかという思いにかられるのである。
如意宝珠に観音菩薩と龍神との関係。最後は神奈川における修験道の拠点と、とりとめもなく書いてきたが、さらにそういった関係の謎に迫ってみたい。またそういったことからインスパイアされたイメージを、具現化してみたい。
それとできることなら、そういった謎の発信源である室尾寺や奈良、長谷寺を訪れてみたいものである。