top of page
検索
執筆者の写真makcolli

ヨーガの哲学


最近、東光寺の阿字観瞑想に行くと、ヨーガを実践している人たちがくることが多い。

阿字観が終わったあと、住職も含めて雑談になるのだが、当然のことながら話はヨーガと阿字観との共通性などに及ぶ。

元来、密教も好きだがヒンドゥー教や、その実践方法、ヨーガにも多大な関心を抱いてきた自分なので、ついつい話も興に乗るというものである。

例えばヨーガでは人間の尾骶骨部に、クンダリニーという蛇が眠っていて、覚醒とともに頭頂部に登ってゆく。

これとどう関係しているのか分からないが、密教には軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)という明王がいて、体に蛇を巻きつけているのである。それと密教には倶利伽羅竜王という尊各がいるが、これもクンダリニーと関係があるようである。

東光寺の住職も、この関係性については分からないと言っていたが、蛇が煩悩の象徴であると言っていた。

そんなヨーガと密教の関係性などが気になり、立川武蔵著『ヨーガの哲学』(講談社学術文庫)という本を読んでみた。

するとこの本が思いの外、刺激的だったのである。

密教ではこの世界を構成する五大元素として、地、水、火、風、空というものを考えるのだが、それはすでに古代インドのサーンキャ哲学により、考えられていたものであった。

同じく修験道では人間の五感+意識を六根と呼び、これを清らかにすることを目指す。この六根の考え方も、すでにサーンキャ学派によって考えられていたものなのである。

ヨーガと密教とは外向きには相違点がかなりあるが、その立脚する哲学や思想には思いの外、共通するものがあるのだ。

ちなみにヨーガは中国で瑜伽と音訳され、密教寺院は瑜伽道場と呼ばれることが多い。

またこの本によってヨーガの知らない側面を知ることもできた。

初期のヨーガと後期のヨーガでは方向性が、かなり違うのである。 初期のヨーガでは瞑想によって、人間の思惟を止滅させる方向に向かったのである。この場合、人間の思惟を俗なるものと言い換えることもできるが、俗なるものが滅しきったところに、超越的な存在、霊我(プルシャ)は立ち現れると、初期のヨーガ行者は考え実践した。

だが体位方を伴うハタ・ヨーガの時代になると、世界には最初から聖なるものが存在し、その聖なる力が俗なるものを聖なるものに変換すると考えられるようになった。

ゆえに人間の持っている思惟やイメージの働きは、否定されるものではなく、積極的に活用されるべきものとされたのだ。

この考え方は密教の中にも吸収されているのではないだろうか。

仏教も初期においては俗なるものや煩悩といったものは、否定され捨て去らなくてはならないものと考えられた。それらを一切捨て去った彼岸に、悟りや解脱が約束されると考えられていたからだ。

しかし密教の時代になると、俗なるものこそが聖なるものを呼び覚ますと思考が変化してきた。

具体的に言えば極彩色の曼荼羅図が描かれそれを見て、手には印(これも古代インドのムドラーに由来する)を結び、口には真言(マントラ)を唱え、護摩(ホーマ)を焚き、人間の持っているイメージの力を総動員して、仏の世界に入ってゆく、あるいは仏になるという実践法に変わってきたのである。

その実践法の一つに阿字観がある。

阿字観は目の前に軸の阿字観本尊を掛ける。そこには白い月輪のなかに蓮弁の上に乗ったサンスクリット文字のA(阿)がある。そのAは宇宙の根源生命、大日如来を象徴している。阿字観を行うものは、まずこの阿字をよく見て、次第に自身のなかに引き入れていき、大日如来と一体化した自身をイメージする。

阿字観はまず初期の段階では、イメージトレーニングと言うこともできるだろう。ここにも人間の持っている想像力を否定しないという発想がある。

そして真言密教では大日如来と自分が融合した状態を、入我我入という言葉で表す。私が大日如来に入っていき、大日如来が私に入ってくると。

ヨーガではこのような状態をアートマン(自己)とブラフマン(宇宙)との合一という非常に密教に近い発想で表現する。

そこには密教がヨーガ的行法と、それを体系的に支えるヒンドゥー教の論理、哲学などを吸収したという事実があるだろう。

密教とヒンドゥー教の関係については、以前から関心を持っていたのだが、この本を読んで少し考え方が変わった。

確かに密教における天部たちはインド由来の神たちである。例えば梵天ならブラフマン。帝釈天ならインドラ。弁財天ならサラスヴァティー。聖天ならガネーシャ。自在天ならシヴァ、というように密教はヒンドゥー教の神々たちをおよそすべて取り込んだ。

それをこの本を読む前は、密教がヒンドゥー教の「いいとこ取り」をしたのではないかと考えていたが、ヒンドゥー教の神々を取り込むということは、それらの神を成立させている理論や哲学さえも、密教は吸収したのではないかということである。 空海は「真言のなかにすべてがある」と考えたが、そこにはうなずけるものがあり、古代インドのサーンキャ学派やヴェータンタ学派の思想。初期仏教から大乗仏教、つまり顕教。さらにヒンドゥー教の神々、その存在をならしめる理論や祭祀法、また瞑想法としてのヨーガまでをすべて飲み込んだものが密教ではないかと思うのである。

またこの本を読んで感じたことは、「インド人の発想」というものの特質である。

例えば0という概念を発見したのはインド人であるように、インド人は本質というものを追求し、明らかにせずにはいられない人たちで、それを紀元前の昔から実践してきたということがあり、世界の構造や霊性、天文、建築などこの世のあらゆるものに対して本質を明らかにするというこだわりを持ち続けてきた。

例えばインドの伝統医学として有名なアーユルヴェーダというものがあるが、アーユルとはサンスクリット語で生命や寿命のことを表し、ヴェーダとは科学のことを意味する。つまりアーユルヴェーダとは、生命の科学のことなのである。

同じように世界や宇宙、霊性の本質を明らかにするという姿勢も科学的である。 例えば初期仏教の姿勢も存在の本質を明らかにするという科学的なものであったと言えるし、そういった姿勢から唯識論などの高度な「哲学」とも呼べるものが生まれた。

しかもインド人の特筆すべきことは、そういった霊性や悟り、解脱といったおよそ言語の領域を超えている事柄を、ギリギリのところまで言語化し、システマテックな体系を築き上げてきたというところにある。

例えば仏陀にしても、仏陀が得た悟りの境地というものは、あくまで仏陀の個人的体験であって、言語化することは不可能なのかもしれない。

しかしそれを語り始めた時から仏教は始まり、普遍性を獲得した。そして仏陀が語ったところから、誰もがそこへ至る道のりが示された。

このようにヨーガの行者たちも自身が得た境地を言語化し、普遍性を獲得してきたのだ。

そこには人体と霊性の関係というものの本質を明らかにするという、科学的な姿勢が存在する。そのことによって我々は古代のヨーガ行者が得たのと、同じような境地を追体験することができるかもしれないのだ。

つまり経典とはテキストのことであり、科学にはテキストが伴うのは当たり前のことである。それを紀元前の昔から実践し、作り上げてきたインド人の思考、そして体系は自然に凄いと思う。

この本ではヨーガと密教との関係が論じられているのはもちろんのこと、禅との関係も述べられている。

これも納得のいったことなのだが、禅もインド由来の教えであることは間違いないのだが、中国で大きく発展した歴史がある。禅の取る姿勢はインド人の発想とは大きく異なっている。

禅の大前提は「不立文字」であり、仏の教えは言語化できないとして、言葉の持っている力を否定する。

禅の教えはあくまで自分と仏の直接体験の世界であり、そこに言語が介在する余地はないとするのだ。そこに仮に言語が介在するにしても、禅問答の「片手で打つ拍手は、どのような音がするか」といったような論理的に破綻している命題をあえて突きつける。

論理的に破綻していることを考えることによって、論理を超えた世界を目指すのが禅である。そこには中国を含んだ東アジア人が、インド人とは違い論理を用いて物事を究極のところまで、見極めようとする発想が苦手だったという思考が働いていたと著者は記している。

しかし空海という人間、存在を考えた時、あながちそうとも言えないのではないのかという思いにも駆られる。

空海ほど日本の宗教史上、言語というものにこだわった、言語というものの力を確信していた人間もいないのではないかと思うのだ。

それは彼が他の日本仏教の祖師に比べて、膨大な数の著作を遺していることからも分かるし、言語化するということは、つまり体系化するということで、密教というものが高度にシステマテックされたものであることは、いうまでもないだろう。

空海以前の顕教は、言わば仏と人間の関係性は一方通行的なものであった。しかし空海が持ち帰った密教は、人間と仏の関係を双方向にするという画期的なものであった。

そこには神や仏を祀る祭祀の体系があり、言わばそれはテクノロジーなのである。そこには古代インドからの伝統性が息づいていることは、間違いない。

空海の偉大さというものは、いろいろな角度から論ずることができると思う。

だが自分の場合、この『ヨーガの哲学』という著を読んで気づいたことは、空海という一人の人物のなかに、古代インドからの哲学と行法が引き継がれている、息づいているという点にある。

ゆえに真言密教は空海により、すでに完成形に到達してしまったとも言える。

この本を読んでまたヨーガの知らないあり方をも知った。

それはバクティ・ヨーガと呼ばれるもので、ハタ・ヨーガのように体位法や呼吸法、瞑想法は伴わない。では何をするのかというと、ひたすら神への献身を行うのである。身も心も神に捧げるのである。

ハタ・ヨーガの主神がシヴァであるのに対して、バクティ・ヨーガの主神はヴィシュヌや、その化身であるクリシュナである。

インドの宗教団体にハレクリシュナ・テンプルというものがあるが、その教徒はひたすら「ハレ・クリシュナ」と唱えることによって、クリシュナへの献身を行う。その結果、何が約束されているかではくて、その行為自体に意味があるとバクティ・ヨーガーの教えは説くのである。

東光寺にもたまにハレクリシュナ・テンプルの人がくるらしく、彼らが言うには自分たちの教えは浄土真宗の絶対他力本願に似ていると言う。

浄土真宗の教えも阿弥陀仏に自分の何もかもを、時には命さえも捧げるという、言わば阿弥陀仏への献身性にある。

そこに浄土信仰の場合は、浄土での往生が約束されると考えるのであるが、そこには複雑な行法などは存在せず、ひたすら無心に南無阿弥陀仏と唱え続けるという易行の形式をとる。

確かにここにはハレクリシュナ・テンプルの人たちが、ひたすらに「ハレ・クリシュナ」と唱え続けるのと同じ精神性が存在しているように思う。

東光寺に来るハレクリシュナ・テンプルの人。一度、話がしてみたい。

自分でもこの文章を書いていて、非常にとっちらかっていると思うのだが、話を冒頭のクンダリニーに関することに戻したい。

ハタ・ヨーガでは人間の身体の中心線に、スシュムナーという言わば気脈が存在すると考える。そのスシュムナーには五つのパワースポットがあり、これをチャクラと呼び円盤の形をしている。

このチャクラは人間の下半身から眉間まで存在するのだが、その五つのチャクラにはそれぞれ、五大つまり、地、水、火、風、空が当てはめられている。

一番下部のチャクラは地であり、眉間のチャクラは空というように質量の重いものから軽いものへと上昇するようになっている。

そしてクンダリニーは地のチャクラでリンガ(男根。シヴァ神の象徴)に巻きつきながら眠っているという。

これはどこで聞きかじったことなのか分からないが、新義真言宗の派祖である覚鑁上人は、やはり人体を五大に当てはめて考えたそうである。

本当にヨーガと密教とは似たような発想をするものだと本書を読みながら感じた。

またクンダリニーは蛇でもあるが、同時に女神でもあり、シャクティーと呼ばれる。

男根であるシヴァに巻きついている女神。これは精力信仰を表しているのは、いうまでもないだろう。ヒンドゥーの祭祀法、哲学、行法などを吸収した密教がこのシャクティズムをも吸収したのは、自然な流れであったのではないか。

それを仏教が堕落した形態などと言い切ることは不可能だろう。

密教教典においては理趣経において、特にこのシャクティズムが説かれているという。さらに後期密教であるチベット密教では、この側面がさらに発展した。

最近、ある書を読んでいて金剛薩埵には四人の女神がいるということを知って、確かに日本密教にもそう言った精力信仰が存在するのだと知った。

そのことを東光寺の住職に話すと、ある仏画を持ってきてくれ、そこには確かに四人の女神に囲まれた金剛薩埵がいた。

まさにこの金剛薩埵の姿こそ、俗なるものが聖なるものを生み出すことを象徴してはいないだろうか。

と、とりとめもなく『ヨーガの哲学』の読後感を記してきたが、そこには予想以上に顕教も含めた密教とヨーガとの関係性、影響性があることが分かったのみならず、インド人の思弁性というものの特質が、ヒンドゥー教の実践法であるヨーガを生み出し、それを吸収することで密教という体系が成立したのではないかという考えを強くした。

密教のなかには古代インドからの叡智が集約されている。だからこそ密教は奥深く、惹かれ続けるものであるということを、この本から教わった気がする。

220項という小著ではあるが、刺激的な一冊であった。

閲覧数:121回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page