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  • 執筆者の写真makcolli

赤ちょうちん


時代の要請に応える。それもプログセムピクチャー監督の仕事だろう。

日活は音楽ものを得意としてきた。そもそも俳優や女優がヒット曲を連発していた。石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、吉永小百合。中堅どころでは山内賢と和泉雅子のデュエットによる「ふたりの銀座」も良いし、その山内賢や和田浩二、浜田光夫なんかで結成したエレキグループ、ヤング&フレッシュを主演に据えた『青春ア・ゴーゴー』は、予備校生や電気屋の息子、印刷工場で働く工員たちがバンドを組んで、勝ち抜いてゆき最後はスパイダースと共演するという物語だが、そのなかで挫折や壁に突き当たるという自分としては、青春映画の傑作として見ている。

それでも藤田敏八は飽き足らなかったのかも知れない。もっとリアルで、もっと生々しい青春群像を描きたいと。

お鉢は意外なところから回ってきた。日活が倒産寸前にまで経営が傾き、主要な俳優や重用されていた監督、スタッフがいなくなってしまったのだ。

そんななか製作された「野良猫ロック」は低予算ながら、そこらへんにたむろっている若者のリアルな姿を活写することに成功した。『ワイルドジャンボ』、『暴走集団71』を撮った藤田敏八は登場する若者が最後は全員死ぬ、という刹那的な危うい青春の姿を描き、さらに日活一般作としては最後の『八月の濡れた砂』でもその実力を示し、若手の青春映画のホープに躍り出た。そこにはニューロックの喧噪が響いていた。またいくばくかのアメリカン・ニューシネマの影響もあったのかも知れない。

74年。世間では「四畳半フォーク」なる音楽が流行り、若者の間では「同棲」というキーワードが重要なものとして用いられていた。

映画『赤ちょうちん』はそんな時代に呼応して、あるいは便乗して作られた日活久しぶりの一般作であった。主題歌はもちろん、かぐや姫の「赤ちょうちん」。

しかしここでも藤田敏八は映画監督としての野心を忍ばせていた。ただの同棲青春映画では終わられないと。

今はどこの藻くずと消えたのか分らない主演の俳優が、秋吉久美子(おそらくこれがデビュー作)が田舎の婆さんに送るつもりでいた現金書留を、悪友の河原崎長一郎と競馬で使い込んでしまったことからすべては始まった。

そのままふたりはずるずると同棲生活を始める。物語の序盤、ふたりがアパートに帰ると、まったく見ず知らずの中年男が部屋にいた。それが長門裕之で、一生懸命保険に入らないかと勧める。で、お土産の為に寿司買ってきたとか言って一人でぱくぱく食べているんだけど、そのうち共同便所に駆け込みゲロをまく。

買ってきた寿司は腐っていた。

そのまま長門裕之はふたりの部屋に居候してしまうのだ。当然、藻くずは長門裕之のことをうざったく思っているのだが、秋吉久美子はなかよくなってしまう。

この長門裕之の冴えない、そしてインチキ保険屋のキャラ、そして演技が実にいいのだ。

この作品は藻くず、秋吉久美子とまだキャリアがないふたりが主演なので、脇はがっちり固めたのか、長門裕之を初め、河原崎長一郎、小松方正、樹木希林とひと際際立つ俳優を揃えている。

そのなかでも出色のできが長門裕之で、途中、海辺で藻くず、河原崎、そしてその愛人で水商売の女、横山リエにリンチされ以後登場しないのだが、このキャラをここで幕切れにしてしまうのはもったいなかった。若いふたりに果てしなくどこまでもすがってくるとか、物語の後半に再登場するとかしたらもっと面白くなっていたと思う。

あと藻くずが夜、土産に焼き鳥を買ってくるのだが、秋吉久美子は鳥てんかん(鳥アレルギー)の為、鶏を見るのも嫌というキャラなのだが、この何気ないキャラ造詣がラストにすごいオチを用意することになる。

その後、ふたりはアパートを転々と変えるのだが、新宿のアパートにいた時、秋吉久美子が妊娠したと判明。当然、降ろせ、降ろさない、のケンカに発展。

窓を開けると、すぐに隣のアパートの窓で、そこにはオカマのお兄さんが住んでいた。中絶しろ問題で、藻くずは、

「本当に俺の子なのか?おまえあの中年となんにもなかったのか?」

と言ってはいけないことを言ってしまい秋吉久美子は疾走。同じアパートに住んでいる河原崎や横山リエに、

「おまえらのやっていることは夫婦じゃなくて、ただのままごとだよ」

とバカにされるなか、朝、窓を開けオカマのお兄さんと挨拶すると、なんと秋吉久美子はお兄さんの部屋にいた。すぐさまお兄さんの部屋めがけ飛び込む藻くず。

「なんでおまえがこんなとこにいるんだよ!」

「待ちなさいよ!まったく女心が分らない人ねっ!この子がどれだけ苦しんだのかわかっているの!」

結局、ふたりはオカマの兄さんに諭され、子供を産むことにした。

そして子供が生まれたふたりは、郊外のアパートに越すことにした。しかし近所の奥さんたちは若妻の秋吉久美子が赤ん坊を抱いているのを見て、好奇の目を向けひそひそと話している。

「おたくら。見世物じゃないんだからね。気にするなよ。なっ」

アパートの管理人、樹木希林は自分の死んだ赤ん坊が使っていたベビーカーを使ってくれと、ふたりの前に差し出す。断るふたり。能面のような顔をして去ってゆく樹木希林。

そしてことあるごとに陰湿に嫌がらせをする樹木希林。

この一種喜劇的とも言える展開の中に、実はかなりの狂気が含まれていたということをあとになって知る。

樹木希林の嫌がらせから逃げるために、ふたりは下町に格安の物件を探し、そこに暮らしはじめる。そこは大家さんが隣の長屋に住んでいて、人情が残るいい場所だった。

大家さんの息子、山本コータローが務める工場に藻くずも務めることになり、ふたりはすぐに意気投合した。一見、なにげない平和な暮らしが進行しているかのようであった。

しかしアパートが格安なのには訳があった。この部屋で一家心中があったのだ。

藻くずは大家さんに頼み込んだ。

「このことあいつにだけは内緒にしておいてくれよな。すごく繊細なんだよ」

「あの子ならもう知ってるよ」

「えっ!女っていうのは母親になると図太くなるもんなんだな」

横山リエがママをしているスナックで、ママは愚痴をこぼし、河原崎には愛想が尽きたと言う。訳を聞いてみると、河原崎が横山リエの貯金を美味い話につぎ込んでしまい、パーにしてしまったというのだ。

「その話はもうしなくてもいいだろ!!!」

酔ってクダを巻く河原崎。そこへ見知らぬ男がふたり現れ、おもむろに河原崎に手錠をかける。

「うちの人がなにしたって言うの!?」

「猥褻図画販売だ!」

ぐでんぐでんに酔っぱらう横山リエ。彼女を抱きかかえながら夜道をゆく藻くずとコータロー。藻くず。

「やけになってんだからよ。おまえが慰めてやれよ。俺、消えるからよ」

消えていたのはコータローの方だった。連れ込み旅館の中で、互いの体を求め合う藻くずと横山リエ。この横山リエの場末の女感ありありの演技がいい。この人は確か梶芽衣子の『女囚さそり』にも出ていた人で、亀戸とか錦糸町の夜にいそうな演技のできる女優というのは最近めっきりいなくなった。

気まずく朝帰りを決め込む藻くず。

「工場の夜勤だったんでしょ?○○さん(コータローのこと)が言ってたわ。疲れてない?」

「えっ、あ、うん」

「それよりもベッド買ったのよ」

そのベッドの上ではしゃぐ秋吉久美子。この時の彼女は白いドレスを着て、まるでお姫様みたいなのである。そこへかなりの光量のライティングが差す中、幻想的に羽毛が飛んでくる。それをなにかに取り憑かれたように見つめる秋吉久美子。

藻くずが表に出てみると、大家さんが鶏の毛をむしっていた。

「大家さん。ごめん。うちのやつ鳥てんかんなんだよ」

「鳥てんかん?」

「なんていうのか。一種のアレルギーみたいなものでさ」

「そうかい。いいのが入ったんでね。晩飯のおかずにしようとしていたんだけど、悪いことしちまったなあ」

ある日、藻くずが工場で働いていると、大家さんから電話があり、今すぐ帰ってこいと言う。秋吉久美子が発狂したのだ。出前にやってきた酒屋の頭をいきなりビール瓶で叩き怪我を負わせた。その模様がスローモーションで映し出される。

「あんた。あの子、最近様子がおかしかったよ。気づかなかったのかい?」

周囲に好奇の目で見られたことも、嫌がらせを受けたことも、そもそも子供を降ろせと言われたことも、住んでいる部屋で一家心中があったことも、平然とやり過ごしていたかのように見えた秋吉久美子だが、彼女の内面には言い表すことのできない葛藤があったのかも知れない。

号泣し、泣き崩れる藻くず。

隔離病棟。ひとしきり暴れた秋吉久美子は薬を打たれ、すやすやと眠っている。言葉なくその姿を見つめる藻くず。看護婦は気だるそうに、

「薬を打ったから、あと二時間は目が覚めないわよ。もういいでしょ」

と退室を促す。

ラストは赤ん坊をおぶった藻くずが、街の雑踏の中に消えていった。

なんとも後味が悪い映画かも知れない。祐次郎や旭のように明朗でも闊達でもない映画だ。砂の味を味わうような映画かもしれない。

だが青春とは、時としてこのような後味の悪さがつきまとうものなのかもしれない。そして、そのようなものをこそを藤田敏八は描きたかったに違いない。

優れた秀作である。

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