11月29日。川崎市民ミュージアムで特集された「映画脚本家・笠原和夫」の中の『仁義なき戦い 広島死闘篇』、『仁義なき戦い 代理戦争』を見に行く。
やはり映像によるカンフル剤は、これ以上のものはないという感慨を抱く。
とにかく頭梅毒でやられちゃっている大友(千葉ちゃん)は、ガキのようにノータリンで暴れ回り、記者会見の席でも股間をボリボリ掻いている。
当然、自分の親父にも反抗的で、
「いうならあれらはオメコの汁で飯食うちょるんど!センズリかてい仁義で首くくっとれい言うんか!」
の強烈すぎる台詞を飛ばし、それがまた川崎市民ミュージアムに鳴り響く、というのが痛快でたまらなかった。
「広島死闘篇」と言えば、文太さんに犬肉を食わした前田吟の存在も忘れられない。そして運命に翻弄される山中(北大路欣也)。その山中とはかない恋に落ちて行くやっちん(梶芽衣子)。
あと今回見て気づいたのだが、東映が誇る怪優・汐路章はやくざにお灸をすえるインチキ山伏として登場していた。
「代理戦争」だと渡瀬恒彦を文太さんの組に紹介する高校教師として登場。
さらに深作×笠原×文太の名作『県警対組織暴力』では、
「やくざなんかアカに比べりゃかわいいもんじゃ!アカだけはなんとかせにゃならん!」
とイッチャっている刑事を熱演。名作の影に汐路章ありか?
あと山中にマグナム弾打ち込まれて、空中一回転した福本清三の姿を久しぶりに見ることができたのもよかった。
「広島死闘篇」と言えばやはりラストの山中が警察に追いつめられ、マグナムを口にくわえて自殺するシーンは素晴らしい。今回見たらやっちんとの仲というのが鮮明に見えてきて、胸に迫るものがあった。
あとこのシーンは、おそらくカメラの露出をかなり開けているためと思われるが、映像の質感がすごくざらざらしていて、独自の緊迫感を生んでいる。
すべては打本(加藤武)の優柔不断な態度から始まった。そこへ関西の大組織・明石組(まあ山口組なんだと思う)、神和会(一和会か?)が中国地方制圧の為に広島を互いに獲ろうと狙ったため、広島は代理戦争の場と化してゆく。
それにしても山守義雄(金子信雄)の帝王学である。ある種、「仁義なき戦い」の本当の主人公は山守なのではないかと思うほど、結局誰も山守の首を獲ることはできなかった。
しかもずるい、せこい、けち、すけべな山守の手のひらの上で、文太さんも、武田(小林旭)、江田(山城新伍)、松永(成田山樹夫)も転がされているんだから、山守恐るべしである。
「代理戦争」ぐらいから金子信雄は、山守義雄という名の自動車のアクセルを吹かしてきて、キャバレーではホステスに、
「お父ちゃんはおまえの好きな、金の玉ふたつもっているんよ」
と、あけすけにセクハラ発言をかましてくるし、絶えずコンパクトで鼻にパウダーを塗っているなど、カリカチュアな演技に笠原和夫は頭を抱えたらしいが、面白いから仕方ない。
あと山守のコバンザメ槙原(田中邦衛)が、窮地に陥ると山守の足に水虫の薬を塗るなど、ふたりの演技は阿吽の呼吸ありの境地に至っている。
あと「代理戦争」と言えば、勝手にスクラップを持ち出して、愛人(池玲子)のためにテレビを買ってやり、文太さんに木刀でめった打ちにされて、指詰めるところが、手首ごと詰めちゃった西条(川谷の拓ボン)も捨てがたい。
その西条の裏切りにより恒彦は最後殺されるのだが、俺がもしヤクザ社会で生きていたなら、西条あたりがいいところだろうと思わせるものがあり、なんとも捨てがたいキャラなのである。
「戦いが始まる時、まっさきに死んでゆくのは若者である。そしてその死が報われたためしはない」
んな、ナレーションと共に恒彦の遺骨を握りしめながら、文太さんは顔をゆっくり上げてゆく、そこにインサートされるパンアップしてゆく原爆ドームの姿。
うーん。やっぱり「仁義なき戦い」はいいなあ、と思いつつ、そのあとの鉄腕脚本家・高田宏治のトークに備え便所に行ったのだが、そのトークはさらにカオスに満ちていた。
女の司会者がまず健さんの死去について聞くと、
「いいますけどね。「黄色いハンカチ」。幸せを追い求める健さんなんか見たいですか?やっぱり多くの人が任侠時代のね。絶望の果てに健さんが体現してみせたロマンに惚れたんじゃないんですかね」
と始まり、
「あの頃はね。僕も脚本賞がもらえるんじゃないかと思ってたんですよ。川谷もね。助演賞はもらえるんじゃないかと。そしたら「黄色いハンカチ」が全部持ってちゃったから。もう川谷なんか、あんな武田鉄矢みたいな素人に毛のはえたようなのにもってかれたんじゃたまらねえ、ってんでトルコいくやら新宿の街で暴れるやら大変でしたよ」
ってなもんで、ここから鉄腕脚本家のマシンガントークは止まらない。
当然、笠原和夫の話にもなったのだが、
「仁義ね。最初見た時におかしいなと思ったの。最初復員してきた文ちゃんが闇市で、犯されそうになっていた女を助けて人殺すでしょ。そんなやつおる?戦争から帰ってきて」
とか、
「最後に文ちゃんが山守に「弾はまだ残っとるがよう」っていうでしょ?それなら撃っちゃえばいいじゃない」
とか、
「梶芽衣子が山中に惚れるでしょ?あの理由が分らないんだ。あんな汚い身なりしたやつに」
とか、
「『総長賭博』でも最後、鶴田浩二が金子信雄に「仁義?そんなもの俺はしらねえ。俺はただのけちな人殺しだ」って言うでしょ。そんなこと言って人殺すやくざがおる?」
とか、etc。それを言ったらおしまいなのでは。というきつい一発が連発式に飛んできたのだが、そこは同じ東映の先輩後輩にしてタコ部屋みたいな寮に押し込まれて、辛苦を共にしてきた人だから言えることだとも思った。
確かに笠原和夫に対する評価はNHKが特番で、「仁義なき戦いを作った男たち」を放送したり、インタビュー集『昭和の劇』が刊行されたりで決定的なものになり、ある種神格化されてしまった感があるのだが、それに異を唱える声というのは聞いたことがない。
そういった意味でも鉄腕脚本家の意見は貴重なものだとも思える。
鉄腕脚本家のトークを聞いていて思い出したのは、笠原和夫の『日本暗殺秘録』における中島貞夫監督への批判であった。
『昭和の劇』に書いてあるのだが、笠原和夫はもっとリアルな感じにしたかったのに、中島貞夫がそれに徹しきれず、それがいわゆる東映京都撮影所の様式美を重んじるスタイルの限界と言っているのだが、あの作品を二回目見た時に気づいたのだが、要所要所で浪花節的な泣かせどころが設定されているのである。
それがテロリスト小沼(千葉ちゃん)とカフェの女給・藤純子の悲恋に結実してゆくのだが、「広島死闘篇」でも山中とやっちんの悲恋が効いているように京撮的様式美を批判する一方、自作にはしっかり浪花節テイストを入れているという点では、鉄腕脚本家の意見も一理ありと思わせるものがあった。
と言って鉄腕脚本家のぶっこなしも、笠原和夫を愛するがゆえに出てくるもので、そこは俺も漫画を描いているので分るのだが、まずは同業者のアラを探すことから始めてしまうそうなのだ。
そういう視点からすると笠原和夫の脚本は綿密という訳ではなく、むしろ構成とか荒いそうなのだが、それでも要所要所で天才的な決め台詞とか出てくる、それが細部の齟齬を打ち消してしまう魅力に溢れているのでやられてしまう。
そういった意味でもやはり笠原和夫は天才と、鉄腕脚本家・高田宏治は言っていた。
それは俺もうなずけるものがある。
「神輿が勝手に歩ける言うなら歩いてみないや!おう!」
「山守にも火傷させたれや」
「わしらうまいもん食うてよ。マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」
あるいは『二百三高地』で、あおい輝彦扮する一平卒が乃木将軍に向かってぶつけた台詞。
ひとつの映画を見終わったあと、ずしーんと、あるいは鮮烈に記憶に残る台詞があるということはやはり凄いことだ。
そういった脚本を書く時、笠原和夫は部屋の中をわめきながらうろうろ歩いたり、ゴミの収集車がくると、うるせーっ!と怒鳴りつけていたりしたそうだ。
笠原和夫の「仁義なき戦い」は四作目の『頂上作戦』で終わるのだが、そのあとの『完結編』を引き継いだのが高田宏治。
もう一回、ふたりの才能の違いを意識して、あの作品を見てみたい。
市岡(松方弘樹)は言った。
「おまえらかまわんけ。そこらの店、ササラモサラにしちゃれい」
大友(宍戸錠)は言った。
「牛のクソにも段々があるんでえ」
やはり思う。
「仁義なき戦い」よ!永遠に!