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執筆者の写真makcolli

健さん。ありがとう

健さんの死にあたり、なにを書けばいいのだろうか?

とにかくリアルタイムで見た作品は『南極物語』だった。あの作品をガキの頃見に行った時、うしろに座っていたおっさんが途中でトイレに行き、その間のストーリーが頭の中に入っていなかったので、戻ってくると、

「なんで犬連れてかえんねえんだよ!犬、連れてかえれよ!」

と息巻いていたことを思い出す。確かにその通りの作品だった。

自分の場合は健さんにのめり込む前に、石井輝男監督にのめり込んだ。それは当然、『恐怖奇形人間』や『異常性愛記録 ハレンチ』など前人未到の映像記録群だったのであるが、そこから遡行して「網走番外地」シリーズなどを見ると、そこには思いがけない健さんがいた。

一般に健さんは〝不器用ですから〟の言葉に象徴的なように、寡黙な男というイメージがあるようだが、「網走番外地」の健さんは違っていた。一言でいうと、とっぽい。十二分に不良性感度を漲らせていた。

それは同時期の深作欣二監督作品『ジャコ萬と鉄』にも言えることだった。

舞台は北海道のニシン漁場。その網元であるおやっさんは、かつて自身がひどい仕打ちをした、マタギみたいな格好したジャコ萬(丹波哲郎)に執拗に狙われ続ける。

おやっさんは漁師たちにもまともに給料払わないなどの、欲と二人連れな男。

そこに南洋で死んだとばかり思っていた息子・鉄(健さん)が戻ってくる。鉄は親父を批判する一方、ジャコ萬と対決せざるを得なくなる。

この鉄が南洋から戻ってきて、漁師小屋で漁師たちを前に披露する南洋踊りがいい。なんか健さんがふんどし一丁になって、発奮していた。

この作品に溢れるダイナミズム。

健さんと丹波の対決も見物だが、アーリー深作ワークとしても突出したものがある。

健さんの作品として見逃せないものには『ゴルゴ13』もあろう。実写版ゴルゴとしては千葉ちゃんがきついパンチパーマをあてて、香港名物の二階建てバスの上でバク宙を決める、『ゴルゴ13 九龍の首』に軍配をあげる者も多かろうが、全編イランロケで臨み、健さんがレイバンのグラサンにライフル持って、

「ゴルゴ13」

と決める同作も捨てがたいものがあり、一説によるとデューク東郷のモデルは健さんだったらしい。

はたまた『新幹線大爆破』はどうであろう?

零細工場の社長健さんは工場が倒産したことにより、左翼崩れの山本学、血液銀行で自らの血を売っていた沖縄人と投合し新幹線に爆弾を仕掛け国家権力から金を奪取するというパニックムービー。

新幹線運転手・千葉ちゃんはテンぱり、国鉄司令室では宇津井健が冷静になれと諭す。

山本学の父・田中邦衛は田舎の養豚業者。新幹線の中では産気づく客が。しかしスピードを落とすと新幹線は爆発する仕掛けになっている。あきらかに『Speed』はここからのパクりであろう。

健さんが金を受け取ったのか怪しい記憶であるが、当局に電話を入れ、爆弾を仕掛けた箇所の図面は某喫茶店に封筒に入れて置いてあると告げ、警察が至急駆け付けると、突然なんの脈絡もなくその喫茶店から出火。

図面は灰塵に帰した。

『新幹線大爆破』は興行的には振るわなかったが、なぜかフランスでは大ヒットした。余談になるがサントラもめっちゃかっこよく、タイトル曲の「スーパーエキスプレス109」ひとつとってさえファンク100%で、俺ならずともコピーしてみたいと思う者も多いだろう。

石井監督にとっては番外地の夢よもう一度ということだったのだろうか?75年の『大脱獄』も外せない。

やはり銀世界が舞台。脱獄した健さんと文太さんを執拗に邦衛が追ってくる。途中、室田日出夫は雪原のど真ん中で全裸にて狂死した。

カットの声がかかると健さんは、室田日出夫の体をそっと毛布で包んだ。そして健さんに頭をショットガンですっ飛ばされた邦衛。

実録物と健さんは水と油なのか?

だが『仁義なき戦い』が公開された73年。健さんは山口組三代目・田岡一雄の半生を描いた『山口組三代目』に出演。

文太、松方、梅宮、千葉たちには負けられんと気を吐いた。続く勢いで『三代目襲名』にも出演。

同シリーズを見ると、いかにして山口組が日本一の盤石なやくざ組織になったのか分るのだが、警察は同作品の興行収入が山口組に流れているとして東映にガサ入れを喰らわせた。

でも75年。健さんはさらに山口組の尖兵ボンノこと菅谷政雄を描いた『神戸国際ギャング』に出演。

監督は当時邦画界で注目されていたロマンポルノの奇才・田中登であった。しかし東映の外部からやってくるスタッフに対する冷たさが災いしてか、田中登が萎縮したのか作品は凡作と言っていい。

だがロマンポルノの監督だから、濡れ場はちゃんと用意し、健さんも果敢に挑んだ。

ロマンポルノ陣から参加した絵沢萌子は、疑似であっても、天下に名だたる健さんが、きつい一発を決めてくれるんだから死んでもいいと思ったかも知れないが、同作品をきっかけに任侠映画のゴッドファザーにしてプロデューサーの俊藤浩滋との仲がおかしくなり、健さんは『幸福の黄色いハンカチ』への道を選んだという説もあり。

健さんをスターにしたのは石井輝男監督と言い切るには異論もあろう。しかしこのコンビの作品には、独特の間、テンポ、そして光る物がある。

現代劇主軸の東映東京撮影所に、新東宝が倒産して石井監督がやってきたのが61年。同年はやくも健さんを主演にすえ『花と嵐とギャング』を公開。

石井監督の才能は新東宝時代のラインシリーズですでに花開いていた。そのモダンアクションは日活のものとも違う、石井輝男ならではのものだった。

東映にやってきた石井監督は健さんを主演にギャングものを連発し、東撮に新風を巻き起こした。

『東京ギャング対香港ギャング』でひとり、香港の雑踏のなかで死んで行った健さんも忘れられない。

『いれずみ突撃隊』のラスト、招集されたやくざな兵隊健さんが、

「ちっくしょーう!」

とか言いながら、ふんどし一丁で敵陣めがけ、突撃して行った姿も忘れられない。

そして「網走番外地」がやってきた。

しのごのとりとめもなく書いてきたが、自分が健さんの作品で一本だけ選ばなくてはならないとしたら、三作目の『網走番外地 望郷編』を選ぶ。

番外地に特徴的なことは、先に書いた石井監督のモダン性と任侠映画の義理とか人情の要素が見事に融合しているところにあると思える。その見事なバランスが、当時ポピュラリティーを獲得したのではないだろうか?

網走を出所し故郷である長崎に向かった健さん。

そこで目にしたのはかつて世話になった組が、新興のワルな組に押されてピンチになっているという現状。

さらに黒人とのハーフであるエミーという少女との出会い。エミーは言う。

「あたい将来スチュワーデスになりたいんだけどさ。みんなオマエみたいな黒いのがスチュワーデスなんかになれるかってバカにすんだよ」

「そんなことねえよ。エミーなんかこれから勉強すればなんだってなれるんだよ」

「本当!」

「ああ。そうだよ」

深まるエミーとの友情。しかし一方でワルな組が仕掛けてくる理不尽の数々をぐっと耐える健さん。

港で小林稔侍に殴られても耐え続ける健さん。だがルーティーンと言えばそれまでだが、最後は長ドス持って単身殴り込みに行く。

連絡船の待合室では約束を交わしたエミーが健さんを待つ。

ざこたちを斬って捨てた健さんの前に、肺病病みの殺し屋ジョーこと杉浦直樹が現れる。

この杉浦直樹がめちゃくちゃかっこいい。白のスーツにグラサンを掛け「七つの子」を口笛で吹いている。

どっと突進し白刃を交わすふたり。杉浦直樹は倒れ込み死んだ。しかし痛手を負った健さん。ふらふらになりながらも連絡船を目指す。

しかし時すでに遅し、船は出航してゆく。

「お兄ちゃんのバカー・・・」

のエミーの声を乗せて。

確かにあの時、健さんは〝夢〟を体現していた。その背中は何かを語っていた。

これ以上は野暮になるというものである。邦画界というのみならず、映画界という大海原から巨鯨は姿を消し、伝説となった。

しかし健さんが体現してくれた〝夢〟はこれからも銀幕の中で光り輝き続けるだろう。

偉大なる魂に黙祷を。

健さん。本当にありがとうございました。

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