某日、スライ•ストーンのドキュメント映画『SLY STONE』を
観に行く。
そりゃ俺みたいな人間にとっては、JB、P-FUNK、スライは三種の神器ってなもんで、ブラックミュージックにずっぽりはまり込むきっかけになったのだが、JBがキングのウェイ・オブ・サバイバルを貫き、なんだかんだ言ってP-FUNK総帥ジョージ・クリントンも、星の王子ブーツィー・コリンズも現役で頑張っているのに対して、スライはいつの間にか姿を消してしまったという感が強い。
だが、JBとてクリントンとて、「やべっ!」と思ったに違いない。それほどスライは60年代ヒット曲を連発していたし、伝説のウッドストックにも出演し、60年代後半時代の寵児として、「STAND!」と高らかに歌っていた。それは声明でもあった。
スライ&ザ・ファミリーストーンは、そのバンド形態も独特だった。
もともとサンフランシスコというベイエリア出身ということもあったし、白人黒人、男女混交というスタイルも例のないものだった。
今聞いてもラリー・グラハムとグレック・エリコのリズム隊が繰り出すビートは強烈である。
ウッドストック出演が69年か。だが続く71年のアルバム『暴動』(原題 There’s a Riot Goin’ On)は、そのタイトルとは裏腹にひんやりしていた。
それまでのアッパーなノリは一切なく、すべてがダウナーの方向へ、なにか内省的な方向へ、ちんまりした、でもその中にヒリ着くなにかが潜んでいた。
そもそもクレジットには「暴動」という曲が記されているのに、その曲が入っていない。
なにかが変わり始めていた。
昔、俺が住んでいた場所の近所に福島出身のフジタのおっかちゃんという人がいた。
その人は、そもそもこっちに出てきても、なまりを「抜く」という発想がなく、福島弁のままだった。
それでなぜか俺と弟は、そのフジタのおっかちゃんのマネをして、
「スライもよ。あんまりヤクにどっぷり漬かっちゃったからよ。もうだめかもなあ」
なんて言って、笑っていた。それもあながち嘘ではなかったのかもしれないと、この映画を見て思った。
映画『SLY STONE』は、簡単に言ってしまえば、ショービズ界から姿を消したスライをなんとか探し出して、インタビューすることに成功する、つまり日本で言えば芸能人の「あの人は今!?」みたいなもんで、確かに「あの人は今!?」で一番やって欲しかったのは、スライなので、それはそれでありじゃないか、とも思ったが、作品の作りがなんかオランダのスライオタクな双子の兄弟が、ひたすらスライを追って盛り上がっているだけというのは辟易した。
そもそもスライの居所を探すのが、妹の乗っていたバイクが中古セールに出されて、その履歴を追って行くとか、隠しカメラで撮るとか、それは完全にストーカーだろ、ってなもんで、こっちとしてはもっと未公開の特出し、蔵出し映像があるのかなとか期待したら、特にそれもなく、今のテレビで言えば「爆報フライデー」みたいなノリで、かつて栄光の座にいたあの人の現在のプライベートを、洗いざらいブチマケちゃうよーッ!(by 泉ピン子)みたいな感じで進んで行くんである。
そして双子兄弟は昔、スライが使っていたのと同じリズムボックスをプレゼントなんかしちゃってなんとかコンタクトに成功。
まあ、そこでスライの消息不明期間について語られ始められる訳だ。なんかマイケル・ジャクソンに曲の版権売っちゃったとか。
で、余計な話になるが、ポール・マッカートニーがマイケルと共演した時、
「おまえ。曲の版権だけはしっかり管理しとけよ」
ってアドバイスしたら、ビートルズの版権取られちゃったとか、ああ見えてマイケルは結構あくどかったのである。
そんでスライも人気が落ち目に鳴ってきた時、マネージャーが冗談で
「ステージで公開結婚式やったら?」
って言ったら、頭の中どうなっていたんだが分らないが、マジのりで、そん時つき合っていたモデルとマスコミ入れて公開結婚式やったり、楽器屋でおもちゃの拳銃持ってたら捕まっちゃったとか、当然女関係もご多忙だったんで、そっちにもこっちにも子どもがいて養育費を払えなくて訴えられるとか、そもそも現在はトレーラーハウス暮らしで、アメリカでは、
「スライがとうとうホームレスになりました」
なんて報道されちゃうわで、もう大変なもんなんである。
だがなんだかんだあったスライだが、07年にカムバックを果たし、ツアーも行い来日までしちゃったんであるが、その頃報じられたスライの姿を見て、俺は愕然とした。
もうよぼんよぼん、よいよいの廃人みたいで、この人もう人前に出ちゃだめでしょってな感じで、そんなスライがトレーラーハウスでインタビューに応じている姿も痛々しい。
同じバンドにいたラリー・グラハムのほうが、今もってしても現役バリバリで、横山のヤッさんが競艇の時に被っていた帽子みたいなの被って、スラップベース弾きながら、会場を我が物顔で闊歩するという姿と比べると、フジタのおっかちゃんが言った
「スライもヤクに漬かり過ぎてよ」
という言葉も口からのでまかせだった訳でもないと思えてくるから不思議だ。
しかも、その復活ワールドツアーのマネージャーが、これまた悪いヤツでスライにギャラ払わなかったってんだから、もうどうなってんのっていうクラスの話である。
有り余る才能で成功を掴み、時代の頂点に立ち、今もってしても世界でその音楽が聞かれ、次世代にも影響を与えている人間で、スライほどつらい憂き目にあっているアーティストはいないんじゃないだろうか?
スライは隠遁して、世捨て人になっていたわけではなくて、身を隠さなければいけない理由があったのだ。
まあ。そのスライのプライベートを洗いざらいブチマケちゃうよーッ!
という狙いは成功した映画ではないだろうか。
あとバンドのメンバーが一人抜け、二人抜けしていくなかで、トランぺッターのシンシア・ロビンソンが、最後までスライと行動を共にしていた理由が分った。
二人はできていて、娘までいたのだ。その娘が復活ライブを見て、
「パパとママが同じステージにいる〜」
と、号泣するというちょっといい話もあった。
だが作品を見終わったあと、胸に残ったものは、
「誰でもいいから、スライにちゃんと金を払ってやって・・・」
というものだった。
この映画の収益から、ちゃんとスライのもとに金が入るのだろうか?
まさかあのオランダ双子スライオタクが、がっぽりがめて遁走するなんてことはないだろうな。
そうなったら逆に俺は、あのオタク野郎を地の果てまでも探し出し、叩きのめす!