突然、あなたの部屋に西村晃の幽霊が現れたらどうするだろうか。
やはり背中に戦慄が走るだろう。そして西村晃の幽霊は、恨めしそうにあなたのことをいつまでも見つめている。
映画『怪談 蛇女』は、そんな西村晃の幽霊が頻出する映画であり、その監督、中川信夫は名匠として知られている。
明治初期の能登地方。
下男、亀吉が手綱を握る馬車がトンネルに入ると、誰かが馬車に取りすがってくる。トンネルを抜けると、その姿が現れ、それは紛れもなく西村晃だった。
「旦那様ーっ!土地だけは、土地だけは取り上げねえでくだせえ!」
馬車に乗っている旦那様を演じるのは、河津清三郎。
「ダメだ。お前のところは、うちから借金をしているうえに、その利息も膨らんでいるんだ!」
なおも馬車に取りすがる小作人の西村晃。
「そんなこと言わねえで旦那様!あの土地取り上げられたら、おらたち一家生きていけねえですだ!オラ、土食ってでも借金は必ず返しますんで。旦那様ー!」
「うるさい。亀、構わずやれ!」
「へい」
馬車が速度を上げると、西村晃は振り飛ばされ、近くの畑で働いていた娘、桑原幸子と女房が駆けつけたが、そのままヨイヨイになり、寝たきり生活に。
それでも西村晃は何かに取り憑かれたかのように、
「オラ、旦那様に掛け合ってくるだ!土かじってでも借金は返すだ!」
と、布団の上で発奮している。
「父ちゃん。無理しちゃだめよ。寝ていなくちゃ」
そこには村の青年で、桑原幸子といい関係になっている村井国夫もいる。
「何言ってるだ。土地取り上げられたら、どうして生きてくだ。オラ、オラ、もう一度旦那様に・・・」
そういったかと思うと、西村晃は事切れた。
その夜、村の名主である河津清三郎が、その邸宅の襖を開けると、速攻で西村晃の幽霊が現れた。
しかも画面の下から上に垂直方向に現れ、その蒼白の顔面はカメラの方を向いている。
「旦那様。土地だけは勘弁してくだせえ。オラ、土食っても借金は返しますから」
河津清三郎は一瞬ビビったが、その時は目の錯覚かと思って、さして気にすることもなかった。
後日。
河津清三郎の屋敷で働いている下男や下女、さらに村の衆まで加わって、西村晃の家を解体し始めた。
その下男頭として差配を振るのが、室田日出男というのも嬉しい。
ペチャンコになった家の茅葺き屋根から、蛇が這い出してきたのだが、室田日出男は気持ち悪いと言って、持っていた鉈で殺してしまった。
その死骸のアップ。
行き場をなくした桑原幸子と母親は、河津清三郎の家の下女になったが、
「借金の分まで働いてもらうよ!」
と、給金なしのただ働き、今だったら絶対ブラック企業として告発されるべきであろう労働条件下に置かれた。
それでも村の衆は言った。これであの二人も落ち着くところに落ち着いてよかったと。それに対して村井国夫は言った。
「ふん。何がよかったものか。あの二人は地獄よりもひどいところへ行ったんだぞ」
母親はランプの掃除を一日中やらされ、桑原幸子は屋敷の敷地にある機織小屋で女工として働き始め、先輩からいびられ続けた。
河津清三郎はさっそく、母親にセクハラを開始ししはじめたが、それが自分の家内に見つかると、
「このアマ。みょうに近づいてきやがって!」
と責任転嫁し、家内も、
「人の亭主に手を出すなんて、最低だよ。盛りのついた牝猫!」
と鼻から母親を蔑視していた。
そして河津清三郎の息子、東映が誇るC調演技の名手、山城新伍は桑原幸子が屋敷にやってきた時から、彼女に色目を使っていた。
そんな過酷な日々が続いていたある日。
亀吉は屋敷の中で取れた鶏の卵を、ざるにたくさん入れて、台所のある土間に入ってきた。
この作品を見ていて、少し面白いなと思ったのは、この下男の亀吉が折に触れて桑原幸子に催眠術をかけようとするのである。
そこまで深く考えなくてもいいのだろうが、明治初年台の能登地方の下男の頭に、いかようにして催眠術という文明開化がもたらしたものが、インプットされたのか気になるところではある。
そして主演の桑原幸子なのであるが、この作品が公開されたのが68年。
ちょうど機を同じくして始まった伝説のお色気パイオツグンバツ・パンチラ・セクシーアクション・ドラマであり、足掛け5年に渡って放送された「プレイガール」にも出演していて、その監督の一人が中川信夫であったことから、この作品への出演によって、「プレイガール」に召集された可能性もある。
そんな俺の勝手な解釈のなか、西村晃の幽霊は折に触れて、河津清三郎の前に垂直方向から現れていたが、やはり河津は意に介していなかった。
で、件の卵なのであるが、桑原幸子の母親はよせばいいのに、台所から誰もいなくなったのを見て、それを盗み桑原幸子に届け、
「ご飯もろくに食べてないんだろう。これで精をつけるんだよ」
と言ったが、ことはあっという間に露見し、屋敷の家内に泥棒猫呼ばわりされて、労働条件はさらにきついものになっていった。
そんな河津家に、めでたい話が持ち上がっていた。息子の山城新伍に祝言の話が決まっていたのだ。
村長として河津家にやってくる我らが、伴淳三郎。
伴淳が完全なるコメディーリリーフなのは、当然のことなのであるが、この作品では戊辰戦争において薩摩鉄砲隊員として、かつて活躍したというキャラ設定になっている。そんで、
「なっ。相手は徳川よ。不足があるもんじゃなか。それーっ。鉄砲隊撃てーっ!なんて言うもんだからよ。こうドーン、ドーンとな鉄砲食らわしてな」
などと、かつての武勇伝を語るのであって、この伴淳が祝言の仲人なのであった。
そんなある日。
台所でみんなが働いていたら、そこに蛇が這い出してきた。即座に殺そうとする室田日出男。
「待ってください!蛇が、蛇がかわいそうなんで!」
と、母親は懇願したが、蛇は室田によって殺され、さらに家内は、
「なんだい!きょうはうちにとって、めでたい嫁入りの日だよ。そんな日に蛇なんてめっそうもない!」
と言い放ち、母親を蹴り飛ばし、そのまま母親は後頭部を蒔きに打ち付け、大量に出血した。
「こ、こりゃ。はやく医者に見せねえと」
「医者になんか見せることはないんだよ!」
そのまま母親は納屋に運ばれたが、意識が遠のいていき事切れた。その遺骸に抱きついて号泣する桑原幸子。
海の突端の岬。
そこには桑原幸子の父、つまり西村晃と母親の墓標が立っている。その前で手を合わせる桑原幸子と村井国夫。
「わたし、ついに一人ぼっちになっちゃったのね」
「一人ぼっちなんかじゃねえよ。オラがいるでねえか。オラ、来年の盆までには絶対、おめーをあの家から出してみせる」
そう誓ったのは、その年の盆のことだった。
その頃、母親の幽霊も河津清三郎の前に現れるようになったが、さして奴は意に介してなかったが、やはりボディブローのように、じわじわと効き目は出てきた。
他の奉公人が盆の休みをもらえたなか、桑原幸子だけは借金の分も働けと屋敷から出してもらえず、終日、ランプの掃除をしていた。
そこへ山城新伍が現れ、町まで手紙を届けてくれと言う。言われるままに手紙を持って、海沿いを歩いていると、にやけた顔の山城新伍が待ち伏せしていて、抵抗する桑原幸子の体をむさぼり始めた。
その後、新伍はたびたび桑原幸子の体を弄んだ。
そんな噂を屋敷の奉公人から耳にした村井国夫は、屋敷のある部屋に入ったが、そこは幸子と新伍がすでにことを終えた後だった。
うそぶいた顔をして、部屋から出て行く新伍。
「おめ!どうして!どうして!」
「だってオラ、お坊ちゃんに逆らえかなったんだー!」
「そったら旦那様とかお坊ちゃんとか言ってるから奴らつけあがるのよ!」
それは日本における社会主義運動の黎明的意識だったのかもしれない。
生きる希望も夢、力も失った桑原幸子は両親の墓の前で、カミソリで首を切って息絶えた。
そして村にいよいよ花嫁御寮がやってきた。
馬のうえに乗っている白無垢姿の花嫁は誰かと思ったら、「女川谷拓三」の異名を持つ賀川雪絵だった。
屋敷での祝言の場、伴淳の余興なんかも飛び出しちゃっているところに、村井国夫が鉈持って乱入してきた。
「ぶっ殺してやるーっ!」
晴れの日が狂気と暴力が入り混じる修羅場と化してゆく。
室田さんなんかに止められつつも、場をめちゃくちゃにした村井国夫は、その場から姿を消したが、河津清三郎は奉公人や村の衆を集めて、山狩を行わせた。
追い詰められた村井国夫は、崖から海に落ちていった。
「おまえの一生に一度の晴れの日が、あんなことになってしまって、すまなかったね」
家内は憔悴して寝ている。そこへご飯の支度を持ってきている賀川雪絵。
「いいえ。それよりお母様、少し召し上がりませんか」
そう賀川雪絵が言って、ご飯のおひつを開くと、そこには蛇がうごめいていた。
「ギャー!はやく、はやく下げておくれ!」
「でも、食べないと体に」
「いいから!いいから、下げるんだよ!」
どうやら蛇が見えているのは、家内だけらしかった。
その日の夜、新婚初夜ということになり、蚊帳の中の寝所で、いい雰囲気になっている新伍と賀川雪絵。
「かわいいヤツや。なあ。そんなに硬くならんと、こっちへおいで」
「はい」
そう恥じらう賀川雪絵を抱きしめる新伍。だがその肌には、蛇のような鱗が緑色に光っていて、顔面も半分鱗に覆われている。
「うわーっ!」
新伍は抱いていた賀川雪絵の体を突き放し、殴る蹴るの折檻を加え始めた。
騒動を聞きつけて、屋敷の者たちが駆けつけてきたが、完全にイっちゃっている新伍は、賀川雪絵を指差しながら、
「バケモンや!バケモンやーっ!」
と、喚くのであったが、他の誰が見ても賀川雪絵はノーマルであり、狂っているのは逆に新伍であるとしか思えなかった。
朝。
意識を取り戻した村井国夫は、砂浜の向こうから駆けてくる桑原幸子の姿を見る。そして彼女は白無垢を着ている。
あれは幻だったのか。
賀川雪絵の花嫁としての起用に何かあるな、とは思っていたが、まさか蛇女としての起用とは思わなかった。
しかし同時期の石井輝男監督による「異常性愛路線」などでは、全身に金粉塗りまくられたり、散々な目に遭っているので、この起用にも納得がいくし、逆に賀川雪絵でなくては、蛇女は演じられなかったとも思う。
その賀川雪絵は当然のごとくごねていた。
「これ以上、あんな目にあうようなことがあれば、私、実家に帰らさせていただきます」
「まあ。そう言わないでくれ。あいつも昨晩はどうかしていたんじゃ。わしからもきつく言っておくから」
迎えた第二ラウンド。
「きのうは悪かったな。あんな酷いことをして」
「もう。かわいがってね」
新伍が賀川雪絵の肌を吸おうとした時、またしてもそこには照光る。いや、その当時の特殊メイクなので、色粘土のような鱗が目の中に入ってきた。
そして賀川雪絵の顔も鱗に覆われていた。
「あなた。どうしたの」
「ひゃーっ!出たーっ!化け物!化け物ーっ!」
そのまま新伍は機織小屋に逃げ込んだが、そこにも蛇女が現れる。
「ひゃーっ!くるな!くるなーっ!」
機織り機の後ろから現れた蛇女の首を、渾身の力で締め上げる新伍。その蛇女が突然、桑原幸子の姿に変わる。
「お坊ちゃん。お許しください。お坊ちゃん。お許しください」
「もうええ!もうええから、近づくなあーっ!」
その新伍の姿は、「とうとう狂ったあいつじゃないし」by(三上寛)という言葉がぴったりくるもので、あいつは鎌をやたらめったら振り回し、最期は階段から落ちて鎌が首に突き刺さり絶命した。
河津清三郎は警察署で、威丈高に振舞っていた。その警察署長が丹波哲郎。
「何が言いたいんだ君は。わしを警察なんかに呼び出して。ただで済むと思うなよ」
「まあ。落ち着いて話しましょう。あなたの家では最近、息子さんが亡くなったと言うが」
「それが何だって言うんだ。息子は病死だ。ちゃんと医者の証明書もあるんだぞ。君ごとき警察署長なんぞ、県知事に願い出て交代させることもわしには可能なんだ」
この明治初年代の社会構造というものを、よく知らないのであるが、地主や庄屋、名主といったいわば地元の盟主といった存在が、それほどに力をふるっていたのかと驚く。
「あまり警察を甘く見てもらっては困りますな。少なくともあなたの奉公人の女が変死をしていて、その死亡届も出ていないということは分かっているのですから」
「何だ!あんな貧乏百姓の一人や二人!田んぼの中で、アメンボのように泥水をすすっていればそれでいいんだ!」
と、河津清三郎が人権意識のかけらもないことを口走ったかと思うと、所長室の中に西村晃の幽霊が現れる。
「旦那様。土かじってでも借金は返しますんで、土地だけは取り上げねえでくだせえ」
「出たな!この!」
河津は西村晃にスティックを振り下ろしたが、実際には窓ガラスを破壊しただけであり、丹波哲郎から、
「あんた。何やってるんだ!」
と、頭イかれるていると思われただけであった。
その後、屋敷では奉公人一同が集められ、シャーマンである巫女を呼んで祈祷をしてもらうことになった。
祭壇を前にして真言なんだか祝詞なんだか、分からない言葉を唱する巫女。かつてはこういった生業の人たちが各地にいたのだろうに。
そして口寄せをしてみると、聞こえてきたのは桑原幸子の声だった。
「坊ちゃん。許してください。坊ちゃん。許してください」
その声の響きに一同、戦慄が走る。さらに巫女のテンションが上がってくると、祭壇から蛇が落ちてきた。
そしてその場にいる奉公人たちが、みんな巡礼者に変わっていて、ご詠歌を歌っている。
ふっと河津清三郎が目をやると、そこには桑原幸子の母親の幽霊がいる。日本刀を振り下ろすと、そこに横たわっていたのは自分の妻だった。
突然、巨大地震が発生する。完全にパニックに陥る一同。
「もう。誰もこの家に入るな!お前ら全員、暇をやるからこの家から出て行け!」
「そんな。旦那様。急に言われても、オラたちも行くあてねえし、身を粉にして働きますんで、どうか!どうか!」
この時、自分もクビを言い渡されているのに、亀吉たちを追い出そうとする室田さんがいじらしい。
というか、そこまで下男根性を植え付けられてしまっているのが恐ろしい。
地震によって倒壊した祭壇の向こうには、仏壇がある。その仏壇が奥の方へすーっと入ってゆく。その空間の中に、催眠術にでもかかったかのように足を運び入れる河津。
そこは暗闇が広がる世界で、うずくまっている西村晃が例のごとく、
「旦那様。土地だけは取り上げねえでくだせえ。土食ってでも借金はけえしますから」
とつぶやき、カメラの前にガラス板を置いているのか、画面上方から赤い液体が滴ってくる。さらにその上に水が流れてきて、不思議な画面を作り出している。
その中でうずくまっている西村晃の幽霊。
「旦那様。土地だけは・・・」
さらに現れる西村晃の妻や、桑原幸子の幽霊。
「旦那様」
「旦那様」
「旦那様」
その幽霊たちに向かって、やみくもに日本刀を振り下ろす河津。彼の最期がどのようなものであったかは失念してしまった。
だが狂死したことは間違いないであろう。
この作品を見ていて思ったのだが、西村晃、その妻、桑原幸子の存在は別に幽霊ではないのではないのかということに気づいた。
むしろそれは酷な仕打ちをした者の潜在意識にある後ろめたさのようなものが、作り出した幻覚のようなものではないのかと。
ラストシーン。
巡礼の姿をした西村晃、その妻、桑原幸子は雲海の上を太陽に向かって歩いていった。現実の世界の残酷なくびきから解かれて、聖なる何者かに向かって歩いていった。
キッチュ、モンド的作品の中にも必ず人間ドラマが描かれている。
それが中川信夫が名匠と呼ばれる所以だろう。