東映方程式というものがある。
特に60年代までの東映任侠映画には必ずといっていいほどの方程式がある。
つまり正義のやくざがいて、片一方に悪のやくざがおり、正義のやくざは悪のやくざに散々痛い目を見させられ、我慢に我慢を重ねるが、ついに堪忍袋の緒が切れ、着流し姿に長ドス持って単身、悪のやくざに殴り込むというものである。
この場合、正義のやくざとして登場するのが、健さんであり、鶴田浩二だったりする。健さんや鶴田浩二は義侠心に溢れ、絶えず弱気を助け、強気をくじく、男の中の男として描かれる。
ストーリーもこてこてのものだし、ラストのラストまで読めてしまうような展開である。だがなぜか、この一種の様式美ともいえる世界には、一度はまると抜け出せない魅力がある。例えるなら、前衛的な演劇を見て、内容を分らないのに分ったふりしたり、逆に辟易したりするよりは、ドサ回りの大衆演劇を見た方がよっぽど面白いという具合である。
それは東映映画『俠客列伝』にも見事に体現されている。
作品冒頭、菊の御門にテロップが入り、博打をしたものは懲役四年以上に処するという法令が発令されたことを告げる。それは明治40年のことであった。
小田原で駕篭かきをやっている藤山寛美は、いつものように仲間と丁半博打を何気にやっていた。そこへ小田原を取り仕切る組の若頭、大木実とその子分、里見浩太朗が現れる。
「えら、すんまへん。いや、あんさんがたの敷き内で、トウシロウのわてらが博打なんてやってもうて。懲役四年になりますのやろ?」
「なに、心配ないって。おまえらから寺銭取ろうなんて思っちゃいねえよ。それに法令が公布されるのは一年あとだ。それまでには、なんとかなるさ」
「そうでっか?いや、もうそれ聞いて安心しましたわ」
というような、やり取りがなされていたと思うのだが、寛美さんは、完全にアドリブかましていたと思う。
そして、それをこの作品の監督、マキノ雅弘も期待していたんだと思う。寛美さんならなんかやってくれるだろうと。
そんな頃、関西から関東への進出を目論む河津正三郎は、やくざの主な資本源である博打が取り締まれるのに危機感を抱き、政界の闇将軍と呼ばれる子爵に話を持ちかけ、やくざを政治結社化させるというグッドアイデアを画策していたが、それにはもう一つ理由があった。
子分筋にあたる遠藤辰郎は、小田原近くの三島を縄張りにする組長であったが、三島宿の衰退に危機感を抱き、これから発展が望める小田原を我がもんにしようと狙っていた。
河津&遠藤悪コンビは、政治結社、日本大同会結成式を取り仕切る大役を小田原の組長に任せ、それをわざと潰すことによって、小田原を奪取することを狙っていた。さらに小田原の組の叔父貴は東京にいるので、小田原の組を潰すことによって一気に東京進出まで果たすという野望を抱いていたのである。
この小田原の組、組長役を演じるのが菅原謙二。
菅原謙二と言えば大映の俳優という印象が強く、この抜擢は意外だなと思った。しかし任侠映画のイメージがついていない菅原謙二だからこそ、悪コンビの魂胆にはまっていく悲運の親分という役を演じることができたのでは、ということも思ってしまう。
その菅原謙二の女房にして、組の姐さんが、〝東映城のお姫様〟と呼ばれた桜町弘子。この桜町弘子がけなげに菅原謙二、そして組を支える様はやはりいい。
菅原謙二の叔父貴が中村竹弥で、その娘が宮園純子。
この宮園純子と健さんができている。健さんは小田原一家の中でも血の気が多いほうで、そんな健さんを宮園純子は心配している。
小田原一家が大同会結成式を取り仕切る前夜、宮園純子は東京からやってきて、小田原の町の夜を二人してそぞろ歩く、すると町ゆく人たちは、誰もが若い二人をうらやむ。だがそんな中、宮園純子は健さんに、
「いつまでも弱いやくざでいてね」
と告げる。この台詞は、非常に印象的だ。
三島の一家はなんとか小田原を手に入れようと、ちょっかいを出してくるのだが、健さんにあっという間にやられた。その一番最初にやられたヤツが川谷拓三だったということも疑いのない事実である。
健さんの弟分、長門裕之は小田原港で漁師たちと一諸に汗水垂らして働いていた。
このシーン、実際の小田原港で撮っていると思わしいのだが、この作品が公開されたのは68年。それをうまい具合に、明治の漁港というように撮っている。
あと、エキストラの人たちも小田原の人たちと思わしいのだが、1968年、小田原港の人たちはみんな「いい顔」している。
その長門裕之は、もう発狂しそうなくらい、小田原芸者の藤純子に恋焦がれていた。小田原港で働いては、せっせっと藤純子の見受け金を用意するのだが、しょせんはしがないやくざ者、それは見果てぬ夢であったが、藤純子の弟が組に入っており、その弟を使ってはなんとか藤純子と逢い引きしようとする。
夜、神社の境内に藤純子を呼んだ長門裕之。
「ふっ。好きよ好きよも嫌いのうち。嫌い嫌いも好きのうち。好きも嫌いもうらはらで」
そんなことを一人で言っていて、気がつくと藤純子の姿はすでになかった。
この作品を見ていて思ったのだが、やはり藤純子は素晴らしい。
その容姿が素晴らしいということも、もちろんあるが、演技がうまいのである。特に彼女の視線の配り方は実にうまく、他の女優には感じられない魅力がある。
ふとした視線の配り方。それが台詞以上に、何かを伝えている時があるのである。
長門裕之の発狂寸前なまでに藤純子を想う気持ちを知っていた健さんは、料亭の一室に藤純子を呼んだ。そこには宮園純子も同席していた。なんとか藤純子の気持ちを聞き出そうとする健さん。しかし藤純子は、恥じらい訳を聞かせてくれない。
それならと宮園純子が優しく諭すように聞くと、藤純子は、
「笑わないでくださいね」
と言って、長門裕之が嫌いな訳ではないけれど、彼に心許さない理由を語ってくれた。それは十九の時に突然現れ、好きだと言ってくれ、行方不明になっている男のことを諦められない、というものだった。
いよいよ大同会結成式の前日、駕篭かきの寛美さんはめっちゃ嬉しそうだった。
地元、小田原の組長の晴れ舞台や、晴れ舞台や、と我が事のように喜んでいた。このシーンでも寛美さんがアドリブかましていたのは言うまでもないだろう。
結成会の会場は、小田原から登っていった箱根の料亭だった。
そこにぞくぞくと集まってくる全国の親分衆。しかし健さんは、三島一家といざこざを起こした前歴から小田原に待機しているように言われ、菅原謙二に付き従っているのは、若頭である大木実たちであった。
だが河津正三郎は、さっそくいちゃもんを着けてきた。
「なんだってさっきの料理、ありゃいかんわー。全国から親分衆が集まってきてる言うんに、関東風のきっつい味付けで、ありゃあかんわー。料理人にご祝儀けちったん違うかー」
子爵同席のもと結成式は滞りなく行われた。ちなみに健さんは、その結成式で読み上げる声明文を、前夜、組のみんなの前で読み上げようとしたが、難しい漢字ばかり並んでいて、読むのに閉口した。
式も終わり、祝いの花会を開いている時、もうここで責めるしかないって感じで、なおも河津正三郎はいちゃもん着けてきた。その花会の胴元は、もちろん菅原謙二だった。
「よう。胴元。こっちゃに金回してくれや」
「あいにく今は、現金を持ち合わせていないんで、これから急いで用意しますので」
「金がない?この祝いの花会の場でやで。わしゃ博打やって胴元から金ない言われたのは初めてや」
「おい。金なら俺が回してやる」
そう、中村竹弥が助け舟を出そうとするが、さらに河津正三郎は畳み掛ける。
「おのれは黙ってくれんか。わしは胴元に聞いてんのや。せっかくだから、はっきりさせたるがな。そもそもおまえの組なんて、乞食同然の漁師たちから寺銭上げてきた組や。このれっきとした日本大同会結成式を取り仕切れるような組とちゃうわ!履き違いもええかげんにさらせ!」
怒髪天を突き、反射的に河津正三郎の頭を目に入ったものでぶっ叩いた菅原謙二。
それを契機に辺りは乱闘の場と化し、河津正三郎は頭から流血し、菅原謙二は土手っ腹を刺される。
小田原の組事務所で待機していた健さん。
その事務所の電話のベルが鳴る。
「なに?なんかがやがやしてやがるな。なんだって親分が刺された!?」
一気に総毛立つ一同。健さんはじめ子分たちはドスを片手に、桜町弘子の静止を振り払い箱根へと登ってゆく。すでに警官隊も到着していたが、会場の料亭前には中村竹弥が仁王立ちしていて、
「いっちゃならねえ!」
と健さんたちに言い聞かせる。そして担架に乗せられ、出てきた菅原謙二はまだ息があったが、小田原に到着した時にはこと切れていた。その遺体を前にむせび泣く、一同。さらに中村竹弥の口からは、小田原一家が謹慎一年間処分になったと告げられる。
それは夢にまで見た不幸の数々の始まりだった。
この作品、見ていて面白いなと思ったのは、普通こういう任侠映画の設定として描かれる舞台というのは、戦前の東京、しかもそれは深川だったり、本所だったり、浅草だったりという江戸の面影を残している場所が多いのだが、小田原という非常にローカルな場所を描いているということだ。
健さんたち小田原一家は、地元の猟師たちと親密な関係を持っていて、お互いに共存共栄の間柄を築いてきた。だが小田原一家が謹慎になり、しゅう落の一途を辿り始めると、その関係性は崩れてゆく。そこに三島一家が進出してきて、漁師たちにあこぎなことをしはじめても、指をくわえて見ているしかない健さんたちは、より肩身の狭い思いをしなければならなくなる。
あるバラックを訪ねる健さん。
そこには漁師たちがいて、健さんに帰れ、帰れと言う。さらにその奥には寛美さんがいるのだが、あの陽気だった寛美さんでさえ覇気がなく、ふさぎ込んでいる感じはありありだった。
「駕篭かきなんて因果な商売やなあ。相方が寝込んでまったら食うていけへんもんな。なんであんたら黙ったとんのや!謹慎かなんや知らんけど、そんなんカタギのわてらには関係ないやんか!なんや調子のいい時は、肩で風切って歩いてからに!落ち目になりよったら、弱いもんが泣いていても知らぬぞんぜぬかい!」
何も答えられない健さん。
「しかってえなあ。また、あの頃のようにわてをしかってえなあ。な、こんな生意気なこと言うわてをしかってえなあ」
何も言わずに健さんは、寛美さんに財布を渡すと去ってゆく。
しかしやはり藤山寛美はいい。
天才的とも言える。この世の絶頂と奈落の底を一気に象徴してみせている。あれだけはしゃいでいた寛美さんが、絶対0度の世界に放り出されたかの如く、絶望にあえいでいる。それが小田原一家の落日を、ものの見事に体現している。
そんな頃、小田原一家の玄関でお経を唱えているみすぼらしい願人坊主が一人いた。
そこへ三島一家のヤツらが現れる。するとその坊主は、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と題目を唱えながら、三島一家のヤツらを拳法でバッタバッタと倒してゆく。
「南無妙法蓮華経。おまえらみたいなヤツらは地獄送りだ。南無妙法蓮華経」
その坊主こそ誰あろう、我等が若山富三郎(以下、トミー)なのであった。
トミーが危ないと見るや、大木実はトミーを玄関の中に放り込み、その場はなんとか丸くおさめる。だがそのトミーこそ、数年前に組を破門になり行方不明だった子分なのであった。
結局トミーの破門は解けるのだが、桜町弘子の顔を見た瞬間にトミーは泣き出し、そのまま家の仏間に直行し、今や位牌となっている菅原謙二の前で泣き崩れるのであった。
長門裕之は居酒屋で、ぐでんぐでんに酔っていた。
落ち目の一途を辿る組。それに比例するように藤純子の存在は遠くになっていく。やり場のない思いを、酒で紛らわせるより仕方なかった。そこに現れる健さん。
「兄貴。おりゃこんな島内嫌になっちまったよ。好きな女にゃ振られるし、身入りは少ないし、でも諦め切れねえんだよ。どうしていいか教えてくれよ」
「おまえしばらく旅に出ろよ」
「旅?」
「この金、持ってけよ」
健さんはまたもや財布を渡すと、そのまま長門裕之は夜の闇に紛れていった。落ち目の一家のはずの健さんが、なぜそうも他人に財布を渡すことができるのか疑問に思うが、そこは男の浪漫ということにしておこう。
落日の思いに暮れているのは、長門裕之だけではなかった。
組の若い衆は一人、二人と離れてゆく。そんな中、藤純子の弟は百姓に化けて、三島一家の開く博打場に行ったが、見破られて、
「てめえ謹慎一年のくせして、ふてえ野郎だ!」
と吊るし上げを喰らいそうになっていたが、そこに現れたのが特別出演の鶴田浩二。たがだか小僧一人に大人気ねえじゃねえか、と言い。さらに自分は遠藤辰郎とは客分の関係にあるんだということを告げる。
助けてもらった帰り道、弟はこう言う。
「あんちゃんなんかに助けてもらいたくなかったわ。父ちゃんも母ちゃんも死んじまうし、姉ちゃんは今じゃ芸者をしてるよ」
「加代が?」
藤純子が待ち続け、密かな想いを寄せ続けてきた男こそ、特別出演、鶴田浩二なのであった。
肩身の狭い思いをしているのが、ここにもいた。
里見浩太朗は女郎屋で入れあげている遊女、橘ますみとさあこれから楽しい事しようと、ふたりそろって調子あげあげでいたのに、そこに三島一家のヤツが現れ、橘ますみを強引に連れて行こうとする。なんとか彼女を奪い返そうとする里見浩太朗だが、逆にぶん殴られてしまう。
「若い二人の楽しみを邪魔しちゃいけねえよ」
そう言って現れたのは、またしても我等がトミーであり、トミーは粋に徳利から酒を飲みながら、三島一家のヤツを叩きのめした。
そして里見浩太朗に、頭きたろうが、ここはぐっと我慢するんだぜと言い聞かせ、橘ますみにも里見浩太朗のことを頼んだぜと言い渡す。
だがやめときゃいいのに里見浩太朗は、そのまま夜道で三島一家のヤツらを襲い、そのまま返り討ちにされた。
橘ますみである。
この時期の東映の作品には、よく出てくる人であるが、なかでも石井輝男監督の異常性愛路線ではめちゃくちゃな目に遭った。『異常性愛記録 ハレンチ』とか容姿が可憐なのにストーカーに便所の中までつきまとわれたり、湯船に頭から沈められたりと散々な目に遭い、それが契機となって映画界から姿を消したのかもしれない。
東映映画『俠客列伝』の見どころは、女優陣の多さにもあると言える。
桜町弘子から宮園純子(その後、「プレイガール」に合流。「水戸黄門」にも出演)、藤純子に橘ますみと、得てして男臭い、男優しか脚光を浴びないような東映作品の中にあって、彼女たちは、添え物ではない魅力を確かに放っている。
鶴田浩二と藤純子は夜の神社で再会を果たし、抱き合いながら、その喜びにむせび泣いていた。
そんな折、遠藤辰郎は邪魔者である健さんを消すように、客分である鶴田浩二に話を持ちかけ、鶴田浩二は金を受け取り、その金を藤純子の見受け金として、置屋の女将に確かに渡した。
「加代ちゃん。髪も丸髷にしたら?」
「そうね。そのほうがあの人も喜ぶかしら?」
「加代ちゃん。この証文も燃やしていいよね」
「女将さん。もう破いちゃって」
「それもそうね。あっはははは」
藤純子は女としての喜びを実感し、これからの鶴田浩二との生活に胸を高鳴らせていた。
だがその頃、健さんと鶴田浩二はドスを抜き合いながら、相対していた。
「おめえさんには怨みもなにもねえが、渡世のしきたりで死んでもらうこととなりやした」
「俺はまだ死ぬ訳にはいかねえよ。おめえさんが死んだ時のために、言づてはないのかい」
「加代っていう芸者に、俺は潔く死んでいったと伝えてください」
「加代って?じゃあおめえさんが・・・」
「おめえさんが死んだ時には」
「叔父貴の娘に、俺は弱いやくざのまま死んだって伝えてください」
「弱いやくざ?」
二人とも義理、人情ではなく、女を背負って死んでゆくというのがいい。
白刃を交わす二人。しかし健さんは言う。
「おめえさん。本気で斬る気じゃないね」
「俺は本気だよ」
物陰に隠れている男が一人、拳銃を持って健さんを狙っていた。それに気づく鶴田浩二。
「バカな真似は止せっ!」
健さんの体をかばう鶴田浩二を凶弾が見舞った。そのまま鶴田浩二は、よろめきながらも銃を放った男を斬ったが、その場に崩れ落ちた。
「しっかりしろーっ!死んじゃいけねえよーっ!」
鶴田浩二の体を抱き寄せる健さん。そこに荷物を持ち、髪も着物もカタギ姿になった藤純子が現れる。約束の場は、絶望の場へと変わってしまった。
「あなたーっ!死んじゃいやーっ!」
「これで諦めがつくだろ。俺なんか最初からいなかったと思ってくれ」
息を引き取る鶴田浩二。
ここまでくると、なにかマキノ雅弘のマジックに引っかかているのではないか思うくらい作品世界の中に引き込まれてしまっている。
絶妙に織りなされている人間劇が、そこにある。いわゆるオールスター映画なのであるが、オールスター映画にありがちな散漫さというものはなく、各人がまるで機械全体のパーツであるかの如く、その役割を果たし、全体で調和のとれた作品に仕上がっている。やはりマキノ雅弘、恐るべしである。
漁師の網元が三島一家に殺されたことにより、漁師たちの怒りは暴動寸前にまで高まっていたが、その季節は盆の頃、各家では送り火を焚き、小田原の浜辺では精霊流しが行われていた。
その頃、組に残っていたのは大木実とトミーと、東映の脇役と言ったらやはりこの人、関山耕司と健さんだけであった。
その子分たちを集めて、桜町弘子は組を解散する事を告げ、健さんは宮園純子と結婚し、叔父貴の組を継ぐように命じる。その言葉に従う健さん。若山トミーは、自分だけいい思いしやがってとふて腐れる。
荷物と長ドスを持ち、組を出て行く健さん。
そのまま健さんは海辺にある菅原謙二の墓を訪れる。そこは新盆用に提灯の灯りが灯っている。その海に荷物を放り投げる健さん。このまま一人で殴り込みかと思ったら、大木実、トミー、関山耕司が追っかけてきた。
「兄弟。抜け駆けしようなんて、水臭いぜ」
「そうかい。きょうは盆の送り火だ。地獄の釜が開いているうちに、ヤツら閻魔様のところへ送ってやろうぜ」
長ドス片手に悪の巣窟へ乗り込む四人。
「待たせたな。迎えにきたぜ」
と健さん。いよいよラストラウンド、殴り込みが始まった。しかし誰がどう見ても、肉体美という健さんの身体より、俺は一見するとずんぐりむっくりしているが、その実、鋼のようなトミーの身体のほうが好き。
そのトミーは、ごっつい彫り物の下にさらしを巻き、長ドス、ドスの二刀流で悪人どもを地獄送りにしてゆく。
やはりだろうか。仲間の中では関山耕司が一番最初に死んだ。健さんたち殴り込みの一報は小田原の町に伝わり、寛美さんは喜びのあまり、箱根を目指せーっ!、と町の衆に告げ、押し寄せる波のように箱根を目指す人々。その中には藤純子と、その弟がいる。
「姉ちゃん。兄貴たちがやったんだ!俺も、俺も行かなきゃ!」
藤純子は無言のまま、キッとした視線で弟を抱き寄せる。その時の彼女がまたいい。
健さんは悪の権化である河津正三郎を殺っていた。
だが庭では、トミーが血まみれになって、仁王立ちし、そのまま死んでいった。落とし前はついた。トミーの遺体のかたわらに行き、その拳からドスを外す健さんと大木実。
そこに小田原の衆が押し寄せる。
ラストカットは海辺を漂う精霊流しの灯り。
やくざ映画、任侠映画を笑う者もいる。芸術映画に比べ、任侠映画を格下、二流三流のものだとする者もいる。
だが得てしてそういった者は、任侠映画を見下しながら、実は任侠映画を見ていない場合が多い。なにをか言わん。『俠客列伝』、この作品は任侠映画の真骨頂を示すとともに、純粋に映画としての水準の高さ、完成度の高さを示している。
喜び勇んだ寛美さんに続け!