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執筆者の写真makcolli

喜劇 花嫁戦争

和田アキ子主演。タイトル『喜劇 花嫁戦争』。そう聞けば、誰もが破壊的な映画だと想像するだろう。スクリーンの中で暴れ回るアッコを思い浮かべるだろう。

実際、松竹の反ヌーベルヴァーグ派、森崎東が手がけた時代劇ドラマ「跳べ!必殺裏殺し」では、普通必殺シリーズと言えば、華麗な殺しのテクニックが見せ場だと思うが、男女とバカにされるアッコはとにかく、素手で相手を殴る蹴るで殺すという必殺シリーズ史上最も凶悪なキャラクターを演じており、それがアッコのパブリックイメージにも合っているので、妙なリアルさがあったのだ。

『喜劇 花嫁戦争』も、萩本の大将と挙式をあげている最中に逃走するアッコに、これからなにが始まるのかと期待を膨らませたが、結局アッコはいい人のまま終わってしまった。

喜劇と人情ものは隣り合わせのような気がする。どっかんと笑わせておいて、ほろりとさせるようなシーンも挿入するというやり方だ。

その典型的なパターンが「男はつらいよ」だと思うのだが、残念ながら『喜劇 花嫁戦争』は、同じ松竹大船作品ながら、「男はつらいよ」のような完成度の高さはない。

逆に純真で、妙に物わかりのいい和田アキ子という描き方に、松竹大船の限界性さえ感じる。監督は斎藤耕一というよく知らない人。

大将との結婚式から逃走したアッコは、そのまま憧れの東京にやってくる。そんでいい気になってバカバカ買い物したり、エステサロンに行って、パックだネールだ、そんでついでに寿司まで注文しちゃって、さあ支払いの時になったら、財布すられていたことに気づいて、店のスタッフに泣きついたら、そこの女性オーナーがうちの女中に使ったらということになり、着いたのが鎌倉の豪邸。

しかし、そこは訳あり家庭で、とにかく言うこと聞かないガキがいるわ、そのガキの父親、原田大二郎は働きもしないで能面作っているわ、末娘は不良と由比ケ浜のゴーゴークラブで遊んでいるわ、長男の古今亭志ん朝は水森亜土に入れあげているわで、みんな自分のことしか考えていない。要するに金はあるが、心が満たされていない人間たち。

そんでよくあるパターンなのだが、ガキとアッコが次第に仲良くなって、という簡単に言うとホームドラマな訳だな。だから喜劇的要素よりも、ペーソスを前面に打ち出している作品で、しかも物語の軸が物わかりのいいアッコを中心に進んで行くとなると、キツいものを感ぜざるを得ない。

途中、途中でアッコが田舎にいる大将に手紙を送り、それを読んだ大将がいちいちカメラ目線で、

「ねえ。みなさん。彼女も人生修行をしているという訳ですよ」

とか、観客に語りかけてくるのだが、それは前衛的手法でもなんでもない。

あと途中、アッコが志ん朝にパーティーに連れて行ってやると騙されて、船上パーティーの会場に着いたら、レッドキングのかぶり物を着せられて、子供たちから殴る蹴るの仕打ちを受け、「天使になれない」が流れるなか、控え室でレッドキング着たまま泣き崩れるというシーンにはまあ笑った。

それもこれも亜土ちゃんの差し金であったが、なかなかこの頃の亜土ちゃんがチャーミングなのには驚いた。

そんでアッコは、こんな身勝手な人たちにガキを任せるわけにはいかないと、半ばガキを拉致して家から逃走。これもよくあるパターンなのだが、失ってから気づくものの大切さという訳で、家族たちはガキがいなくなってから、家族の大切さを痛感するという、本当にありがちな話な訳だ。

そんでガキは原田大二郎と居酒屋の女将との子供で、ふたりは離婚し、ガキを原田大二郎が引き受けたということになっていたのだが、実はガキの本当の父親は志ん朝で、志ん朝は必死でガキを捜し始め、家族たちは事の真相をその時知る。

ガキを田舎に拉致したアッコだが、家族たちの母でエステサロンのオーナーのもとで働いている女がガキを迎えにきた。そんでも何の抵抗もなしに、聞き分けよくガキを手渡してしまうアッコというのもおかしい。そんでその女と原田大二郎は結婚するのだが。

ラストは改心した志ん朝が自宅でガキたちのためにパーティーを開き、そこに謎の老人だった三木のり平がオーケストラを引き連れてきてタクトを振り、演奏会を開くというもの。そこへ田舎からアッコが駆けつけ歌声を披露する。

で、大将とはめでたく結ばれるというものだが、まったくもって予定調和もはなはだしい映画だった。

これではアッコのキャラクターをぜんぜん活かしていない。自分たちのことしか考えていない家族を前にして、アッコが怒り狂い、その家庭が崩壊するところまで暴れ回ったとしてもなんの違和感もないはずだ。

あるいは、レッドキングを着てガキたちから殴る蹴るの仕打ちを受けたアッコがぶち切れ、ガキどもを蹴散らし大けがをさせるとか、自分をひどい目に合わせた志ん朝の金玉を潰すとか、とにかくむちゃくちゃ暴れ回るアッコが見たかったし、終始一貫していい人なアッコのキャラクター造型には違和感を感じた。

この作品は松竹とホリプロの提携作品なのだが、71年のこの頃。アッコは「天使になれない」とか歌っているからデビューした時の、R&B歌手というイメージから脱却を図っていたのもしれない。

70年の『野良猫ロック』では梶芽衣子を後ろに乗せて、バイクぶっ飛ばしたり、モップスをバックに従えてゴーゴークラブでキツいロックを檄唱したりしていた。

そこが松竹と日活の社風、作風の違いだったのかもしれないが。

それが女中になってガキとたわむれている人情味のあるいい人になってしまったのだから、見ている方としてはたまらない。いい意味でこちらの思惑を裏切ってくれるというのも映画の面白さだが、「花嫁戦争」というタイトルまでつけていて、アッコが暴力の一つも振るわないというのにはまったくもって納得がいかない。

これが森崎東や前田陽一が監督をしていれば、かなり違った作品になっただろうに。アッコというおいしい素材を活かしきれなかった凡作だった。

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