top of page
検索
執筆者の写真makcolli

フリーセックス 十代の青い性


某日。ラピュタ阿佐ヶ谷でレイト特集がはじまった「大映ハレンチ青春白書」のなかの『フリーセックス 十代の青い性』(68年)を観に行く。

基本的に自分はB級、C級映画が本当に好きなのだなと再確認した。

大映の黄金期は50年代後半から60年代前半で、俳優や女優も京マチ子や若尾文子、山本富士子、安田道代、江波杏子、勝新太郎、市川雷蔵、船越英二、川口浩、田宮二郎などスターがいて、監督も三隅研志や吉村公三郎などの才能がおり、重厚な大作や文芸映画を量産していた。

だがテレビの隆盛を受けて、邦画が斜陽化し始めると、一番最初に大きなあおりを食ったのが大映だった。

社長の永田雅一のワンマン体質や、勝新の独立、市川雷蔵の死、田宮二郎や山本富士子を干してしまったりと丼勘定的経営が続き、ヒット作は「ガメラ」シリーズだけとなる有様で、安田道代も「尼寺」シリーズ、江波杏子も「女賭博師」シリーズなどに出演するなど、従来の路線では考えられなかったキッチュな作品を連発するようになる。

これは同時期に経営が悪化していた日活でもそうなのであるが、ジリ損になってくると、低予算で観客動員が見込めるスター俳優も女優もいないエロ路線にシフトしてゆくのは当然の成り行きであり、作品の質よりも、スキャンダラス性で客を呼び込もうと言う思惑が見える。この時期、東映ではそれでも任侠路線を製作していたが、同時期に石井輝男監督によって異常性愛路線が始まり、スクリーンに狂気と爆笑と未踏の領域を切り開いていた。

で、大映はというと「セックスドクター」シリーズや、「高校生番長」シリーズでなんとか急場を切り抜けようとしていた。

そんな路線のなかの一本『フリーセックス 十代の青い性』なのであるが、タイトル負けというか、それほど衝撃度は少ない。

まず始まってモノクロと言うことに驚いた。かつての大映作品は60年代前半から、若尾文子作品にしても勝新の「座頭市」にしても見事なカラー作品で、セットにしても金を惜しげもなく使っている感じだったが、この作品ではモノクロ、しかもほとんどオールロケで、本当に金がないんだなー、と感じた。

ただこういった危機的状況でも日活ではニューアクションの旗印のもと、「野良猫ロック」などの傑作シリーズを生み出していた。

ただこれは見終わったあとの感想なのであるが、大映の作品と言うのは見終わったあとなにか後味の悪いものが残る。東映なら任侠のカタルシス。日活ニューアクションなら滅びの美学などがあるのだが、黄金期から愛憎劇を得意としていた大映には独特のねばい質感があるのである。その伝統は破産に向かって雪崩を打っていたこの時期にも顕著に現れている。

物語はバイクの免許に合格した四人の16歳の免許が交付されるまでの一週間を描いたもので、そのなかでセックスを主題として68年時点での若者の実態をあぶり出そうとしたもの。

一人は良家のお嬢様、一人は酒屋の丁稚、一人はゴーゴーガール、一人は美容教室の住み込み見習い。

前半は酒屋の丁稚が免許を取れた嬉しさと性への衝動を抑えきれず、部屋でオナニーをしようとするが、パンツに手を入れた瞬間、店の奥さんにビールの出前を頼まれる。

丁稚はどうやら集団就職で、東京に出てきたらしく、同級生の女とデートしたりなんかする。この女はアメリカ人の家の家政婦をしていて、その奔放なセックスを見せつけられている。

それで丁稚に自分を抱いてくれと頼むが、童貞である丁稚は強がって、ラブホテルに行ったものの事及ばぬまま果ててしまう。

このあと、丁稚の出番は終盤までなく、もっとキャラクター同士をしっかり連関させて描けば面白くなるはずと思った。

これは作品全体にいえることで、教習所で偶然に出会った四人だから仕方ないのであるが、なにか四人の物語の描き方がオムニバス形式的になってしまっているのだ。ここがもったいない。

はっきり言ってこの作品の最大の見せ場は、68年というGSブーム・ピークの年に製作され、C級GSでありながら、GS史上最大の怪曲「赤く赤くハートが」を歌う動くレンジャーズが見えるというところにあるだろう。

低予算映画だからタイガースやテンプターズを出演させることもできなかったが、その代わりレンジャーズというGSマニアしかしらないバンドを持ってきたというのがミソである。

出演者のなかでは、ここに写っているショートカットのゴーゴーガール(水木正子)が一番魅力的だった。この娘は表ではテレビ番組のゴーゴーガールをやっているが、裏ではというよりもバイト感覚でテレビ売春というのをやっている。

事務所の社長が金持ってそうなおっさんにテレビを見させて、そのなかから気に入った娘を選んで、あとは連れ込み旅館でヒーヒーという顛末になる訳だ。

それをこのゴーゴーガールは、非常にドライに小遣い稼ぎ感覚でやっている。登場人物たちのなかでは、一番跳んでいるというか、時代の感覚を体現している。

こういう女性像、簡単に言ってしまえばBad Girlというのは、自分の漫画の中でいつか描いてみたいと思っているキャラクターに近いので、とても参考になった。

ストーリーはその後、ゴーゴーガールとお嬢さんが喫茶店で貞操観念に関して話し合い、お嬢さんは「前時代的な貞操観念なんてナンセンスだわ」なんて言っていたら、美容教室の見習いが、お嬢様の母親に出張美容教室を行いにいったら、その母親に喰われてしまい、もともと女に対してコンプレックスを持っていた奴は、「女なんてみんな豚だ!」とわめいたかと思ったら、お嬢さんは「お母さんを抱けて、私を抱けないの!」と奴に迫り、雨が降りしきる中ふたりはいつのまにか操を誓う中になっていたのだった。

そうとも知らないゴーゴーガールは、事務所の女社長に「なんかいい娘いない?」なんて言われて、お嬢様にゴーゴーガールの仕事を紹介。しかしそれはもちろん、テレビ売春の仕事もOKとゴーゴーガールは思っていたのだが、お嬢様はそんなこと露とも知らず、連れ込み旅館へやってきてしまう。

そこにはスケベなおっさんが待っていて、お嬢さんをいただこうとするが、奴と操を誓ったお嬢様は激しく抵抗。あわやというところで、ビール瓶でおっさんの頭を叩き車にて逃走。

お嬢様はそのまま、自分は人を殺してしまったのだと思い。アクセルを踏み込むが、おっさんが頭かち割られてくたばっているカットとかないもんだから、見ているこちらとしては、「それは単なるお嬢様の思い込みなのでは?」という疑問符が残ったまま、お嬢さんは車をスリップさせ、そのまま車は炎上、そして死ぬ。

ラストシーンは教習所の免許交付に残った三人が集まり、「あれあのお嬢さん。きてねえな?」などと言い。丁稚がゴーゴーガールに「俺たちこれからバイクで飛ばすんだけどよ。一緒にこねえか?」と誘うが、ゴーゴーガールは「私、バイクには乗らないの。この免許はお守りにしておくわ」という台詞が印象的だった。

やはり大映。見終わったあとに、なにか後味の悪さが残る作品だった。ゴーゴーガールを基軸にストーリーを描けば、もう少しスカッとした作品になったはず、と偉そうなことを書いてもみるあれからのきょうこの頃です。

閲覧数:83回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page