某日。シネマヴェーラ渋谷で特集中された「中島貞夫 狂犬の論理」を観に行った。この日かかった作品は『懲役太郎 まむしの兄弟』と、『木枯らし紋次郎 関わりござんせん』。
しかもトークショーで、中島監督と俳優の川地民夫さんが来てくれると言うのだから、ファンとしてはたまらない。
この特集のタイトルに「狂犬の論理」とあるように、東映の中でも中島監督は組織に属することがない、あるいはあえて属さないチンピラや愚連隊などを描かせたらぴか一の才能を発揮する。
初期の『893愚連隊』や『現代やくざ 血桜三兄弟』、『鉄砲玉の美学』、『狂った野獣』などにその指向は顕著に現れているが、これは本人の指向や鶴田浩二や高倉健を中心とした勧善懲悪なド任侠物は体質的に取れなくて、逃げ回っていた結果だそうである。
その監督が、のちのちまで「極道の妻たち」のようなものを撮ることになるとは皮肉なものだが、実は中島監督、京大出の高学歴の持ち主で、学生時代は倉本聰とギリシャ演劇研究会をやっていというのだから驚かされる。
で、『懲役太郎 まむしの兄弟』なのであるが、やはり中島監督らしくチンピラ路線。しかしそれをスカッとコメディタッチで描いており、これぞ東映の娯楽映画という作品。
主演は「仁義なき戦い」、「トラック野郎」以前の菅原文太で、この作品が自身のシリーズ物一本目ということもあって、おおいにはりきっている。
神戸を根城にアホの限りをつくすマサ(文太)とカツ(川地)は戦災孤児で、血のつながりはないものの、お互いをチョーライ(兄弟)と呼び合っている。
マサの出所祝いにカツは神戸で一番高級なフランス料理店にマサを連れて行くが、メニューがフランス語なので二人とも読めない。
「おっさん。とりあえずこれくれや」
「これはエスカルゴですが、よろしゅうございますか?」
「エスカルゴってなんや?」
「西洋かたつむりですが」
「かたつむりー?われのところでは、でんでん虫をくわせるんけ!」
「カツ。まあそういきるなや。とにかくこの一番でっかい文字のもってこいや」
「これは店の名前ですが」
「なんやとー!われの店では人に喰わせるものはないんけ!とにかく肉もってこいや!肉!」
一事が万事こんな調子の二人は、無銭飲食をするわ、トルコ風呂ではしゃぎまわるわのやりたい放題をやるが、別に上昇志向があるわけでもなく、頭を使ってしのぎをしたり、ペテンを使ってしこたま儲けたりということもなしに、とにかく本能の赴くままに行動する。
ただ目の前に存在する邪魔者には食らいついてはなさない。しつこくとことんまで狙いを外さない。そんな態度からふたりは「まむしの兄弟」という異名を持つことになる。
ただこのふたりが面白いのは、町にいるチンピラ連中に対してはものすごい高圧的なのであるが、自分より強い相手にはあっという間にのされてしまう。
チンピラから街の勢力の大半を握っている組の存在を知らされると、早速殴り込みに出かけるが、そこの若頭に木刀を一発あびせられそのまま簀巻きにされ、海に放り込まれ、漁師に救出されるが、くしゃみしながらそのままばつの悪そうに逃げ出す。漁師は一言、
「わしの半纏返せー!」
そんな感じの二人は「ガソリン入れようけー」とか言って、少女がやってる屋台で酒をしこたま飲んで、そのままいつものように無銭飲食。
「お客さん。お金ー!」の声にも聞く耳を持たない。しかしその少女の父親が交通事故で亡くなり、母親が蒸発してしまって、幼い少女が兄弟のために屋台を切り盛りしていることを知ると態度は一変。
しけこんでいたトルコ嬢の財布から金を抜き取り、そっーと部屋から出ていこうとするマサ。眠っていたトルコ嬢は目を覚まし、
「あんたー!なにやってるの!私の金を!」
「あほーっ!交通事故に蒸発やぞー!」
マサはそういい放ち、少女のもとへ向かう。その声にカツも飛び起き、
「あほーっ!交通事故に蒸発やぞー!なんのこっちゃ?」
と言う。
少女のもとに向かうと、そこにはフランス料理店にいた婦人警官がいて、少女にこんな生活をしているより、施設に入ったほうがいいのではないかと説得している最中であった。それを聞いたマサは、
「だまされたらあかんで。こいつらポリはわいらを野良犬でも狩っているような気でいるんや。施設も少年院も刑務所も同じや。人間のくずを作るところや。こいつらから餌もらったらおしまいやで」
とディープ&ストロングな言葉を放つ。マサのポリ嫌いは同時に金バッチをつけたやくざへの反発にも共通した一種の反権力志向である。しかしその反権力というものは、なにかイデオロギーとかに裏打ちされたものではなくて、社会の底辺で生きる者の本能的な嗅覚のようなものである。
この厳しい世界で生きてゆくためには、己の腕っ節一つだけが頼りであるという男の自負心とも言うべきものである。
しかしカツのほうはもう少し軽薄で、「ヒヒヒヒ。このスケ、ポリにしておくのはもったいないほどハクイで。一発きついの決めたろか。ええけつしてるやないか」と婦人警官に襲いかかる。と、すかさずマサは、
「アホーッ!ポリのスケなんかとやったらポコチンが穢れるやないけーっ!」
とセクハラなどでは収まりがつかないすごいことを言い放つ。
このカツ役の川地民夫の演技がいい。押せ押せの感じでせまる文太に対して、川地は緩急を織り交ぜた演技で、もうちょっと軽いキャラクターを作っている。この二人のコンビネーションというか、アンサンブルが絶妙で見ていて飽きることがない。
で、先の「ポコチンが穢れる」の台詞では場内がドッと沸いた。こういう暗がりの中で、同じ作品を見ながら見知らぬ人と一緒にゲラゲラ笑ったりできるのが映画館に足を運ぶ醍醐味の一つである。
しかし東映の作品と言うのは、警察をおちょくるのが大好きである。この作品でも婦人警官にまつわるエピソード以外にも、パトロールをしている警官に二人がビルの上からションベンを浴びせるなど、おおいにやってくれる。
物語は後半、七星会という組の幹部・安藤昇が登場してマサが、
「あのガキいわしたら男になれるんやーっ!」
と異常な執念を見せるが、マサは安藤昇にボコボコにされ、白いペンキをひっかぶりながら、「待てやー!おんどれー!」と復讐ともなんともつかない、とにかく安藤昇さえ殺れば男になれるという単細胞的思考のもと、行動を繰り返す。
昇が小豆島に渡ったと聞いた二人はしつこく追いかけ、入浴中の昇をドスで殺ろうと浴室に乱入。しかしそこには微動だにしない昇がいて、体には龍の入れ墨がゴツく入っている。昇の気迫に負けた二人はドスを握ったまま動けない。
単細胞の二人はなんとか昇に負けたくないと、自分たちも入れ墨を入れることを決心。彫り師の親方に、「入れ墨っていうのはみせもんやないぞ。任侠道を体に刻むんじゃ」とか言われても、「なんでもええねん。あいつだけには負けたくないんじゃー!」と短絡な思考を見せ、街のチンピラに入れ墨を見せて自慢している始末。
その頃安藤昇は、傘下にしている天津敏の組が勝手なことをしたので責任を取れと天津敏に迫る。しかし天津敏は俺たちはあんたの指示なんか受けない。勝手にやって行くんだと突っぱねる。
しつこく昇を付け狙うまむしの兄弟は、トラックを飛ばしながら昇のいる組事務所を目指す。フロントガラスに雨が吹き付けるなか、助手席に座っているカツはハーモニカである曲を吹いている。
「カツ。なんやその唄は?」
「なんぞ知らんのやけど、ガキの頃から知っとった唄なんや。この曲吹いたらな。なんやら女の姿が思い浮かぶんや」
「それ。おかあやんかも知れへんな」
「おかあやんかぁ。わいらには縁のないもんやな」
カツが吹いているその曲は「満鉄小唄(雨しょぽ)」というもので、戦時中朝鮮人慰安婦が歌っていた曲として知られている。監督はその唄をカツに吹かせることによって、彼がそういった出自、ルーツを持った男であるというメッセージを仮託させているようだ。
雨のショポショポ 降る晩に 硝子の窓から顔出した
満鉄金ポタンのパカヤロー 上がるの帰るの とうしゅるの
早く精神決めなさい 決めたら下駄持て上がんなしゃい お客さん
そう唄が流れたかと思うと、エンジン音がガッーと鳴り、トラックはそのまま組事務所に突入する。マサとカツが二階に上がると、そこには天津敏をチャカでばらした代わりに、その子分によって刺され、今にも死にそうな安藤昇の姿が!
「やっぱりお前らきたのか・・・」
そう言って昇は死ぬ。その死に様に魅せられたのかマサは、
「これや!これやるんや!死んだら勝てるんやーっ!男になれるんやーっ!」
と、あまりに単細胞過ぎて訳分んないことを口走り、そこにいる金バッチのやくざを手当り次第にドスで斬りつけてゆく。もちろんカツも加勢。
組幹部が非常階段から逃げても、しつこくドスを振り回しながら追ってゆく二人。どしゃ降りの中、手に汗握る攻防が続く。泥まみれになって最後の幹部にとどめを刺すマサ。
ラストは二人が雨の中背中を向けて遠ざかってゆくのだが、その入れ墨が雨によって流れ落ち、スジ彫りのところだけが残るというニクい演出。
これも規定の任侠映画に対するアンチテーゼと言うことができる。
終映後は会場から拍手が起こった。
ということで休憩を入れてトークショーへ。中島監督のトークショーは一度聞いていたことがあったのだが、川地さんは初めて。
「まむしの兄弟」が封切られてすでに30年以上。どのようになっているのかと思ったが、素敵なナイスミドルという感じだった。
もともと川地さんは日活でデビューし、青春物や鈴木清順監督作品に多数出演していて、「まむしの兄弟」の話が決まり、東映京都撮影所に行く時はどんな恐いところかと思っていたのだが、実際に行ってみたらそれほどでもなかった、しかし日活の監督はおとなしい人が多かったのに対して、東映の監督はまさに現場監督みたいな人ばかりで驚いたという話をしてくれたり、いつのまにか若山富三郎先生のおいしい話なども飛び出し、中島監督が若山のトミーが看板を張っていた「極道」シリーズと「まむしの兄弟」を抱き合わせた『極道VSまむしの兄弟』という作品を手がけることになった時、トミーのマンションに呼び出され、
「われ。まむしの味方なんけぇ?」
とすごまれ参ったという話や、クラブに行ったら酒を飲むのが普通だが、一滴も飲めないトミーのために饅頭がしこたま用意されており、すでに糖尿病が悪化していたトミーに監督が、だめじゃないですか、と注意すると「貞夫~。ひとつだけでいいから喰わせてくれ~」と懇願されたという話は笑った。
川地さんが、「久しぶりに「まむしの兄弟」見たけど、あの頃は撮影現場が楽しくて仕方なかったし、今見ても全然古くさくないですよねー。どうですか?お客さん」というと場内から万雷の拍手が起こったのは言うまでもない。
「カツぅ」
「兄貴~」
「ガソリン入れて、準備は万端けー!」
「なんやら知らんけど体がカッカッしてきたでー!」
「よっしゃあ!ほないったるけー!」
「まむしの兄弟」は永遠に不滅です。舞台からはける中島監督と川地民夫さんに誰もが惜しみない拍手を送ったのであった。