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執筆者の写真makcolli

虹の中のレモン


1968年。

海の彼方、イギリスでは、ローリング・ストーンズが主催者となり、

「Rock And Roll Circus」なるテレビ番組が企画され、製作された。

そこにはストーンズの他にも、ザ・フーやジョン・レノン、エリック・クラプトン、キース・リチャーズ、ミッチ・ミッチェルによって構成されたダーティー・マック。

そして、そのターティー・マックを従えて、奇声を発するヨーコの姿があった。

しかし「悪魔を憐れむ歌」でマラカスを振っていたブライアン・ジョーンズはピート・タウンゼントのインタビューによると、カメラが回っていないところでは、終始泣いていたという。

そしてこの「Rock And Roll Circus」の撮影から数ヶ月後、ブライアンはストーンズをクビになり、さらに自宅のプールで水死体として発見された。

そんな1968年。

極東の島国、日本ではイギリスのバンドから多分に影響を受けたグループサウンズなるバンド群が、それこそバクテリアのように現れていた。

そんな有象無象ひしめくなか、まったく不良性を感じさせないバンドもあった。それがヴッレッジ・シンガースであり、パープル・シャドウズであった。

60年代中盤から後半のヤングの心境を察することはできないが、GSブームが起こった背景には、当時の大人にとっては騒音にしか聞こえなかった音楽と、それまでは考えられなかった、男が長髪にするとか、サイケデリックでけばけばしい服を着るなどのファッションに多くの者が惹き付けられたことは間違いないだろう。

だがヴッレッジは髪も七三分けだし、ぜんぜんサイケでもソウルでもない。

間違ってヴッレッジが横浜本牧にあるゴールデンカップなんかで演奏した日にゃ、袋だたきどころか下手したら米兵に撃ち殺されていたかもしれない。

それくらいヴッレッジは不良性を感じさせないバンドなのである。

で、前置きが長くなったが、そのヴッレッジを大々的にフィーチャーした映画が松竹作品『虹の中のレモン』なのであるが、結論から書くと子供騙しもいいところである。

68年の当時、この映画を誰が見に行ったのか。それは当然のこととしてヴッレッジ・シンガースのファンたちだろう。

そしてこの映画の危なげなさ、決まったことが決まったように終わり、最後はハッピーエンドを向かえるという無難さに、ヴッレッジのファンの特徴がうかがえるのではないか。

GSブームがわき起こって、自分もそこに参加したいと思っている女子たち。でも危ないのや恐いような目に遭うのはいやだし、不良と思われたくもない。

だから「亜麻色の髪の乙女」を危なげなく歌っている、決してギターにファズとかかけない、クラスメイトで言うとガリ勉タイプのあいつがギターを持って歌い出したかのような、ヴッレッジに逆に心引かれた女子もいたことだろう。

俺にはまったく理解できない心境だが。

先に子供騙しと書いたが、ヴッレッジのファンには子供も多かったと見受けられる。

作品の話はヴッレッジのメンバーが、休暇をもらい鎌倉にやってくると、ちょっとイカした感じのあのコ、岡崎奈々と名前は忘れたが(ケメ子と仮に呼ぶことにしよう。GSブームの最中、なぜか突然に松平ケメ子なるブームが起こり、我こそは元祖・松平ケメ子と名乗るバンドが続出した)ケメ子がヨットハーバーにおり、関心を持ったヴッレッジの連中は、ふたりに話しかけた。

部屋も食べ物も用意してあげるので、一週間くらいうちに泊まらないと言われたメンバーは、断る理由もなくついてゆくと、そこに建っていたのは豪邸だった。

だがその中から飛び出してきたのは、それこそバクテリアのごとく飛び跳ねるガキたちで、動物のかぶり物を着たメンバーたちは、ガキに踏んだり蹴ったりの目に遭わされる。

しかしかぶり物を取ると、ガキの態度は急変。

「あっ。ヴッレッジのお兄ちゃんたちだー」

と、ヴッレッジが歌う歌を、そんなことあるかいと思うぐらいおとなしい態度で聞くのだった。

だが案外これは、ひとつの事実を反映しているのかもしれない。

子供も安心して聞けるGS。子供にもファンが多いGS。子供受けするGS。それが当時のGSブームの中におけるヴッレッジのポジションだったのかもしれない。

だから繰り返しになるが、この映画は子供騙しもいいとこなのだ。

物語の軸はこの豪邸を飛び出し家出した竹脇無我と、父・加藤大介、母・沢村貞子の関係にある。

加藤大介と沢村貞子は数年前に離婚。それを機に多感な竹脇無我はぐれ、東京のクラブでピアニストをしている。

台詞のなかで「俺はぐれた。俺はぐれた」ということを繰り返すのだが、とてもそんなふうには見えない。ぜんぜんとっぽい感じがしない。

ヴッレッジが先輩と慕う中山仁と竹脇無我は知り合いで、一同はクラブにやってきくるのだが、酒もろくに飲まないし、ホステスも呼ばない。

仮にヴッレッジがホステスを横にはべらせて、酒かっくらってる姿でも見た日にゃヴッレッジファンは号泣でもしたのだろうか。

いや。多分した。そういうことがないように。人間のリアルな姿をさらさないお伽の国の住人のように、この作品の人間たちは描かれている。

竹脇無我も家を飛び出し、加藤大介も滅多に帰ってこない鎌倉の豪邸は岡崎奈々とケメ子によって、子供たちの託児所のようになっている。

その理由がいまいち分らない。一応、岡崎奈々はもともと孤児院出身で子供たちを助けたいと思っているのだが、ケメ子とその父は加藤大介の使用人で、なぜそこまでして子供たちのために働かなくてはならないのか理由が分らないし、それだけの子供たちを預かる資金はどこから出ているのかも分らない。

まあ。子供騙しの映画だから、そこまで深く考えないでもいいのかもしれないが。

この作品にコメディリリーフとして登場するのが、牧伸二に白木みのるなのだがいまいち効いていない。

唯一、押し売りとして登場するトリオ・ザ・スカイラインがいい。笑いを誘うという意味でいいのではなく、現在では絶滅してしまった〝押し売り〟という職業を映画のなかではあれ、見ることができるのでいい。

なんかあまり覚えていないのだが、竹脇無我は家に帰ることとなった。

しかし加藤大介を憎む無我は、家の鉢植えとか破壊しまくり、子供たちの肝を限界零度地点まで冷やした。

けど、ありがちだが無我は子供たちと次第に打ち解けていき、やがて岡崎奈々とも想い合う間柄となっていったのである。

やはりこれも岡崎奈々とヴッレッジの誰かが、やんごとなき仲になったとしたらファンたちは、そのスクリーンを引き裂いたのであろうか。

オックスのファンだったら絶対そうしていたと思う。しかしお行儀のいいヴッレッジのファンは、それも仕方のないことだと諦めたのだろうか。

話は冒頭に戻るが、ブライアン・ジョーンズが水死体で見つかった時、ヴッレッジのファンはどのように思ったのだろうか。

あるいはヴッレッジのメンバー自身は、どのように思ったのだろうか。ついでながら、この作品にワンシーンながら登場して「小さなスナック」を歌う、20代にしてすでにおっさん臭いパープルシャドウズはどのように思ったのだろうか。

ロックンロール・バビロンから最も遠い場所にいた彼らが、ブライアンの悲劇的な最期をどう受け止めたのか気になる。それとも一顧だにしなかったのだろうか。あるいはブライアン・ジョーンズという名前さえしらなかったのだろうか。

まあ。ハッピーエンドで終わるっていうことは見え見えなんだけど、ここで加藤大介が鎌倉の家を売り出すと言い出したことによって、無我との衝突はよりエスカレートしていく。

久しぶりに再会し口論になる二人。

しかし俺が加藤大介だったら竹脇無我にではなくて、家をガキどもにむちゃくちゃに使われたことに対して激怒するけどな。

そこはスルーして竹脇無我を卑怯者だのなんだの批判する加藤大介の考えは理解できない。

まあ。脚本にそう書いてあるから仕方ないんだろうけど、調度品や家具なんかを豪華に飾っている家を、赤の他人が預かったガキどもにめちゃくちゃ荒らされでもしたら、その中の一人を取っ捕まえて、横ビンタのひとつでも張ってやりたい気になるけど、息子に対して居丈高な加藤大介が、そこに関しては完全にスルーするというのは、常識的に考えて理解できない。

で、家で竹脇無我が何気にピアノつま弾きながら作った曲を、ケメ子が、

「あら。いい曲じゃない」

なんて言ったところから、その楽譜をヴッレッジの事務所に持っていき、ヴッレッジもその曲を気に入り、練習を開始。

結局ガキに家を荒らされたことも忘れ、加藤大介と竹脇無我は和解し、親子は家を子供たちに無償で提供するという、まさにおとぎ話みたいな展開になり、その開園式にヴッレッジが駆けつけ、無我作曲の歌を披露し、その曲こそが「虹の中のレモン」であった。

その開園式の最中、竹脇無我は加藤大介に岡崎奈々と結婚することを告げる。

開園式で盛り上がる家を、そっと抜け出してゆくヴッレッジのメンバーたち。

「あれ。ヴッレッジのお兄ちゃんたち。いないよ」

不思議に思った子供たちが玄関に近づくと、そこからは出し抜けにケロヨンが現れ、「ケロヨン音頭」を躍りまくる。

その姿に子供たちのテンションは、マックスまで上昇してゆく。

一方、ヴッレッジたちは鎌倉の波打ち際を、エンディングソングを歌いながら歩いているのだった。

そしてヴッレッジ・シンガーズという存在も、あの波の彼方に消えてゆき、それから約30年後、カルトGSブームがやってきても、まったくリスペクトされることはなかった。

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