某日、近代美術館フィルムセンターで行われていた増村保造監督回顧特集のなかの、『妻二人』を見に行く。
野球のオールスターゲームが面白くなるとは限らない。すごいテクニックを持っているメンバーだけのバンドが面白いとは限らない。
映画でいえば勝プロ制作の『無宿』である。あの作品では勝新に加えて、高倉健も出演し、さらに梶芽衣子が花を添えるというものだったが、はっきり言って勝新の話なのか健さんの話なのか判然とせず、見ているこっちは混乱するばかりであった。
『無宿』はトップスター二人を配しても、決して面白い映画にはならないということのお手本のような映画である。
『妻二人』。若尾文子と岡田茉莉子である。ともに日本を代表する女優であるし、自分が好きな女優五本の指に入る人である。その共演を見てみたいと思った。どのようなハーモニーを奏でるのか、それとも不協和音になってしまうのか。
はじめは大映作品であるから、得意な文芸愛憎ものかと思い若尾文子と岡田茉莉子が、女の戦いをどろどろと繰り広げるのかと思ったが、むしろふたりは対照的な女の運命を演じてゆく。
タイトルバックに重なる映像は、夜のアスファルトに記されている直進とかカーブのマークで、それがこれから描かれる人間模様を暗示していて、増村監督の才気をはやくも感じた。
再会は突然に、そして偶然に起こった。
タクシー運転手は路肩に車を停めて、エンジンをいじくっていた。
「だんなあ。こりゃ配電盤がやられてますわ。ほかの車拾ってもらえませんか」
「そうだな」
そう言って男は、そのままあるバーに入ってゆく、するとそこにはホステスとして岡田茉莉子がいて、男の出現に顔色を変える。
「東京に戻っていたのか?」
「ええ。バーテンさんハイボールふたつお願い」
「生活のほうはどうなんだ?」
「なんとかやっているわ」
そんなとりとめのない会話をしていたら、岡田茉莉子は突然倒れた。熱があるというので、男は岡田茉莉子をタクシーで家まで送ることにした。
しかし着いたのはバラックのようなアパートで、部屋の壁もシミで汚れている。
岡田茉莉子が首に巻いている包帯の下を男が見ると、誰かに絞められたあとがある。
「あの人、酔うといつもこうなの。手がつけられなくなって」
さらに部屋にはブローニングのような小銃がある。
「これはどうしたんだ?」
「神戸でアメちゃんから買ったの。物騒な世の中だから」
男が岡田茉莉子の指を見ると、男がかつて送った指輪がまだそこにある。
「その指輪・・・」
「捨てようと思ったけど、結局捨てられなかったのよ」
すると表で大声で岡田茉莉子のことを呼びつける者がいる。あきらかに酔っているようだ。
「いけない。あの人が帰ってきたわ。はやく帰って」
男が玄関から表に出ると、岡田茉莉子の愛人で若い男の小林は、階段を登ってきていたが、男はそこに蹴りを入れ、小林は階段落ちになり、さらにボコボコにされ、とどめとして地面に頭を何度も打ち付けられ失神した。
この一種の執拗な演出に増村作品共通の要素を感じる。
男は若尾文子の妻であった。その若尾文子は「主婦の世界」という婦人向け雑誌社社長の娘で、会社でも幹部の地位にいた。当然、男も若尾文子に継ぐポストにいた。
だが、この「主婦の世界」。そんじょそこらの婦人雑誌社とは違い、自社ビルを持ち、社内ではレストランを経営し、さらに各種文化教室も運営。
化粧品会社や電化製品メーカーとも提携し、一大カンパニーを展開していた。その会社のモットーは「明るく 清く 美しく」。これは若尾文子が考えた。
重役や幹部クラスを揃えた会議の席で、若尾文子の父ではげ社長は、
「きのう化粧品販売部門の◯◯と●●が、深夜営業のジャズ喫茶に行って、警察に補導された。これは我が社のモットーと品位を損なうものだ。即刻解雇にする。君たちも現場の責任者なら監督義務を怠るな」
と、そのワンマン経営ぶりを見せるのだった。
若尾一家は豪邸に住み、女給の婆さんまでいて、何不自由ない暮らしをしている。
はげ親父が若尾文子に、
「そろそろわしも後妻をもらっていいだろ?」
というと、若尾文子は、
「だめ。お父様は一生、お母様の思い出を抱いて生きてゆくの」
と言い。妹の江波杏子にも門限に遅れるなとか、こうるさいことを言う。つまり厳格で真面目な女なのだ。そんな若尾文子に反発を感じ、わざと抵抗してみせたり、嫌みを言う江波杏子がまたいい。典型的な跳ねっ返りのお嬢さんを演じている。
その一方、岡田茉莉子のほうは貧乏アパートで、小林と暮らしていた。
小林は定職につかず、小説家になりたいと、他人から読めば面白くも何ともない小説を書いていた。そして、その原稿を出版社に持ち込んで酷評されるたびに、酒を飲んでやけになり岡田茉莉子にDVをふるうのであった。それでも岡田茉莉子は、小林に、「あなたには才能があるのよ。頑張って」と励ましていた。
だが、その関係は現在若尾文子の旦那と、岡田茉莉子の姿の焼き直しであった。
学生時代出会ったふたりは恋に落ち、男は小説家志望で、熱心に作品を書いていた。だが箸にも棒にも引っかからず。そんな男をやはり岡田茉莉子は、「あなたには才能があるのよ。頑張って」と励ましていた。そんな中、男はなけなしの金で岡田茉莉子に指輪を贈った。あの現在でもその指にはめられている指輪である。
だが次第に男はいつまで経っても認められない自分に、自暴自棄になっていった。そんな折、岡田茉莉子は自分の父親が印刷会社の社長をしていたんだか、ちょっと忘れたが、コネを使って男の原稿を「主婦の世界」に送った。
社長室に呼び出された男。そこには秘書である若尾文子もいる。
「はっきり言って、こんな小説読めたもんじゃない。だが、どうだせっかくワシを頼ってきたんだ。我が社で働いてみないか」
「は、はい」
以降男は主婦の世界社の社員となり、次第に若尾文子と恋に落ちていった。そして岡田茉莉子の存在がありながら、若尾文子と婚約してしまった。
ここまでの回想シーンがテンポよくて、非常によかった。
キャンパスで愛を語る岡田茉莉子と男。ボツ原稿の山の中でふてくされている男。もう小説なんてやめたいという男。会社人間になって、次第に社長の右腕になってゆく男。
「あなたは真面目で清潔な人だわ。わたしのこと愛しているわよね。嘘はいやよ」
そうデートの席で、若尾文子は男に言った。
「最近、小説もぜんぜん書かないし、わたしのことも振り向いてもくれないようね」
「なあ。俺たち別れようよ」
「小説家になる夢も捨てて、あの社長令嬢と結婚する気なんでしょ。それならそれでいいのよ。お互い綺麗に別れましょうよ。わたしは大阪にでも行って仕事を探すわ」
「すまない」
この岡田茉莉子のキャラがなんともいえない。基本的には男に尽くすタイプなのであるが、それが未練たらたらで、わたしと別れるなら死んでやる的なタイプでもないし、そのまま捨てられた男のために堕ちてゆくということでもない。
かといって男を手玉に取って遊ぶ悪女という訳でもなく、ただ自身の運命に逆らわず、流れに身を任せているが、心に秘めたるものは宿しているという難しい役を演じている。
物語の後半で、この岡田茉莉子の立ち位置と若尾文子の立ち位置が、より際立ってくる。この作品の脚本は新藤兼人。
あとわざわざ、この作品に松竹の女優である岡田茉莉子を招聘した理由も分るような気がする。この役を京マチ子が演じたらどうだろうか?山本富士子なら。あるいは野添ひとみでも中村玉緒でもいい。やはり違う。これらの女優たちをキャスティングしたら、それこそ単なる愛憎劇になってしまうだろうし、逆に考えると岡田茉莉子がそういった形ではなく、若尾文子とタメを張っていることが分る。
と、そんな図式の中、若尾家並びに主婦の世界社は順風満帆に見えたが、社内にある身体障害児基金の会計をしている元伯爵御曹司夫婦は、まるっきしやる気ナッシングで、若尾文子になにを聞かれても生返事をしていた。
さらに岡田茉莉子との愛人である小林は、岡田茉莉子と若尾夫がかつて愛人関係にあったことを突き止め、さらに江波杏子をたらし込みはじめ、主婦の世界と若尾家の実態を知ることになる。
その実態とは、障害児基金の金はすべて伯爵夫婦が生活費や遊興費に使い込んでいて、その妻ははげ社長の愛人で、夫は金のためにそれを黙認しているというか、本人も覗きの趣味があるので、むしろそれを喜んで受け入れているという「明るく 清く 美しく」とは正反対のものだった。
それを小林は若尾文子を某所に呼び出し告げる。
「嘘よ。そんなの嘘よ」
「嘘じゃねえっすよ。あんたは俺みたいな野良犬が、妹と結婚することに反対らしいけど、その華麗なる一族が野良犬以下のことをしているとはねえ。「主婦の世界」の記事を読んで、大事な金を障害児基金に寄付してくれた人の気持ちはどうなるんでしょうねえ」
「少し考えさせて」
「いいっすよ。でも今夜までに答えを聞かせてくれなきゃ、マスコミに洗いざらいぶちまけますよ」
夜。若尾文子が和装にグラサンという今、そんな人が街歩いていたら怪しいとしか見えない姿で倉庫のような場所にくると、そこには小林が待ち構えていた。
同時刻、小林におまえなんかもう使いもんにならねえし、いらねえよとアパートを追い出された岡田茉莉子は行く場所をなくし、仕方なく若尾夫婦の家を訪ねていた。
「3000円貸してくれるだけでいいのよ」
そういう岡田茉莉子に対して男は、昔の女ということもあり、そもそもコマシの性質も潜在的に持っていたのか、結局岡田茉莉子を自身の部屋に招き入れた。
「こんなのだめよ。奥さんいらっしゃるんでしょ?」
「妻は出張で明日まで帰ってこないんだ。心配することないよ」
一方、倉庫では小林が若尾文子を脅していた。
「ここに百万あるわ。これで最後にしてちょうだい」
「くくく。奥さん。そりゃ甘過ぎるぜ。俺みたいな野良犬は、餌にありついたら最後まで食らいついて放さねえのよ!」
そういって若尾文子の身体を奪おうとする小林。必死に抵抗する若尾文子。
執拗にやる。それが増村流の演出なのか。このレイプシーンが、すごいリアリティーがある。増村監督が小林役の俳優に、「本当にやっちゃってもいいよ」と本番前に耳打ちしたくらいリアリティーがある。それでドッキリをしかけられたように抵抗する若尾文子もいい。とにかく若尾文子だから、あの若尾文子がレイプされかかっているから、それを見ていた俺の下半身が反応してしまった、ということは素直に告白しておくべきだろう。
だがすんでのところで、どこから出てきたのか、若尾文子はもともと岡田茉莉子がアメちゃんから買ったという拳銃を握り、小林のどてっ腹に四発も銃弾を喰らわせたのだった。この小林を射殺する若尾文子も決まっている。
その頃、岡田茉莉子は男に抱かれていたが、その様子をじとーっとした視線で見つめていたのは女中の婆さんだった。
「こ、この人はわたしの昔なじみの人でね。疲れたって言うからちょっと・・・」
「おやすみなさいませ」
そのあと小林殺害事件を巡り警察が動きだし、小林と交際のあったことから江波杏子が疑われ、それでは社名に傷がつくと若尾夫は口裏を合わせるよう社長に命じられ、事件当夜は江波杏子と一諸にいたということを警察の前で話す。だが自分がただたんに、はげ親父の奴隷であることに今さらながら気づきはじめる。
さらに小林の遺留品から岡田茉莉子のはめていた指輪が出てきて、その凶器の拳銃も岡田茉莉子のものだったから、警察は彼女を容疑者として検挙してしまう。
面会に行った男。
「なんで正直に言わないんだ。君と僕はあの夜一諸にいたじゃないか!」
「なんのことかしら、わたしはあの夜アパートを追い出されて、朝まで映画を見ていたのよ」
岡田茉莉子は自身が検挙されても、男の現在の地位や家族のことを思い、真相を話そうとはしない。警察に男が言うアリバイを証明するためには、証人が必要だと言われ、女中の婆さんを連れてくるが、
「わたしはなにも見ませんでした」
と無機質に言うばかり、家のために会社のために尽くしてきた男が真相を語ろうとすると、家のみんなは地位や家名、社名のために男を鼻つまみもの扱いしはじめる。
「おまえは何がやりたいんだ!あの女が犯人に決まっているんだ!それを助けてやりたいなんて!あの女はおまえの昔の愛人らしいじゃないか!それが理由なのか!もう会社もクビだ!娘とも別れろ!飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ!」
はげ親父の怒号。沈黙を守り続ける若尾文子。
夜の寝室。ネグリジェ姿の若尾文子が問いかける。
「そんなにあの方を愛してらっしゃるの?」
「そうじゃないよ。僕は事実、真相を知りたいんだ」
次の日の社長室。若尾文子は父に詰め寄っていた。
「身体障害児基金をあの夫婦が着服していたのは事実なんですね。それからお父様があの方と関係していたのも」
すると親父は逆ギレの様相を呈し、
「ああそうだよ。そのなにが悪いんだ!人間なんていうのは生臭い生き物なんだよ!理路整然とは生きられないんだよ!それをなんだおまえは!俺に後妻はもらっちゃいけないとか、妹にもとやかく小言を言うもんだから、あんな小林なんていうのとつき合ったんじゃないか!そもそもおまえは看板娘に過ぎないんだよ!看板娘はなにもいわず、黙って笑ってりゃそれでいいんだよ!おまえがすべて悪いんだよ!」
俺も40を超えて、そこそこの歳になり、親父の言うこともそれなりに分るようになってきたが、諸悪の根源を若尾文子になすりつける親父の態度はどうかと思うし、ここまで頑張ってきた若尾文子の立場はどうなるのと思ったら、案の定、なにもかもに失望した若尾文子は警察に自首した。
結局、若尾文子と岡田茉莉子が顔を合わせるシーンは、若尾文子が岡田茉莉子に差し入れを届けるシーンと、最後警察に拘留されていた岡田茉莉子に若尾文子が詫びを入れるシーンだけだったが、一人の男を巡って対照的な女を演じていたと思う。
あと気づいたのは、大映作品なのだが、大映を代表するような俳優、船越英二とか菅原謙二とか、川口浩、川崎敬三なんかは一切出てこなかった。
ラストシーンは警察署から出てゆく岡田茉莉子を、男が見送っている模様だったが、若尾文子が収監されていく姿でもよかったような気がする。