結論から書く。だれている。ぶれている。
81年の東映作品にはいかに監督が深作欣二だろうと、菅原文太や若山富三郎が出てこようとも、70年代のようなアナーキズムは存在していなかった。
しかも原作が五木寛之の文芸もの。東映が一番苦手とする分野である。70年代の終わりと共に実録やくざ路線も終わりを告げ、東映は迷走していた。
さらに81年直前の深作欣二の作品を見ても、『柳生一族の陰謀』とか『宇宙からのメッセージ』などを撮っており、深作も迷走状態にあったと言える。
しかもこの作品は蔵原惟繕という人との共同監督作品。この経緯について『映画監督 深作欣二』(ワイズ出版)を読んでみたのだが、製作スケジュールが遅れに遅れ、二班体制でないと正月に公開できないということになり、深作監督が担ぎ出されたらしい。
物語は築豊の炭坑町の戦前と戦後を描き出している。
序盤はいい。米騒動が起こり、米問屋を襲撃する先頭に立っていたのは、炭坑夫たちを束ねる頭の伊吹重蔵(菅原文太)であり、騒動を鎮圧するために連隊が出動した時も、文太はボタ山にダイナマイトをしかけ爆破。
兵隊どもに一泡吹かしたが、連行され拷問に。
さらにロマンポルノ陣から出演となる絵沢萌子がママを務めるカフェーの女給である松坂慶子を強引に連れ出し、それを阻止しようとするやはり炭坑夫を束ねる若山富三郎と死闘になる。
お互いドスと匕首で切り合う二人。
このシーンを見ていて、やはり東映における若山富三郎のシリーズ「極悪坊主」を思い出した。
あの作品では富兄の演じる極悪坊主・真海と、それを執拗に追ってくる盲目僧・龍達の間で熾烈な拳法の死闘が繰り広げられた。
富兄という人はあの体躯に似合わず、アクロバティックに動ける人なのだ。
それと一進一退の攻防を描く文太の身体。
「キネマ旬報」の菅原文太追悼特集号を読んでいたら劇作家の宮沢章夫がこんなことを書いていた。
「まだ若く、しなやかに動く菅原文太の姿が新鮮に見えた。ヤクザ映画には似合わない、どこかやわらかな身体だ。おそらく深作欣二は、その身体を獲得したからこそ、「仁義なき戦い」の新しさを表現できたのではないか」
確かにこの作品においても文太の身体はしなやかに躍動し、富兄との命の取り合いを描き出す。その様はやはりかっこいい。
血みどろになったふたりの前に鶴田浩二が現れ、仲裁に入り、ふたりは命を取り留める。
しかし富兄の差配する炭坑で落盤事故が発生。文太配下の坑夫たちはざまあみろと気勢を挙げるが、間髪入れずにその頬を文太のビンタが見舞う。
「何言ってやがるんだ!同じヤマで飯食ってる男同士じゃねえか!」
富兄のヤマに救出に向かう一同たち。ヤマは落盤に続き出水が発生し、修羅場と化してゆく。こうなったら手段は選んじゃいられねえ、と文太と富兄は大滝秀治が詰めている詰め所を襲撃し、マイトを奪取。
文太は何も言い残さず坑道に降りて行き、そのまま爆死。すべては取り残されている坑夫たちを助ける為であった。そして彼は築豊のヤマでは伝説的存在となった。
このふたりの死闘とか炭鉱事故のシーンは、深作欣二が撮っていると思う。それなりに迫力があるし、文太にしても富兄にしても魅せる。
だがそのあとクローズアップされるのは、文太の妻である松坂慶子なのだが、そのまま女の一代記になるのかと思いきや、文太との忘れ形見である信介へと焦点は移ってゆく。なんとも誰のことを描きたいのか、分らなくなってくるのだ。
この松坂慶子と信介が、そのまま炭坑部落に住み続けるのだが、そこで信介は友だちとみすぼらしい格好をした朝鮮人の少年をいじめるのだが、ことが分ると松坂慶子は卑怯だと言って、信介にビンタを喰らわし、信介はタイマン勝負を挑む為に朝鮮人部落に向かったが、そこでパジチョゴリを着た金こと渡瀬恒彦に見つかってしまう。
が、恒彦は信介が文太の息子であるということが分ると、親子の家に頭を下げにやってきた。
「先生は僕ら同胞を助けてくれたんです。あの事故の時、会社は強制的に働かせていた僕らを見殺しにしようとしたんですが、それを先生は助けてくれたんです。同胞はその恩を忘れてはいないんです」
その後炭坑集落では松坂慶子と恒彦ができているという噂が立つ。その噂を耳にし、多感な歳になっていた信介は河原でせんずりをこく。
出征した恒彦だったが生きて再び日本の土を踏んだ。
玉音放送が流れる炭坑集落。みんなあまりのことに、狂乱状態で炭坑節を歌い踊る。このシーンも深作欣二が撮っていると思う。
強制労働を強いられていた朝鮮人たちは、炭坑会社の社長を吊るし上げる。このシーンも深作欣二が撮っていると思う。
一方、終戦直後のその頃、富兄はハーレーに股がり、パイロットスーツを着こなして集落に現れ、みんなを驚嘆させた。
富兄はそのころ塙組という組を結成し、地元の顔役になっていた。伝説の男、文太の妻と息子がいまだ貧乏生活のどん底であえいでいる。それをなんとかしたい。富兄の義侠心がそうさせるのであって、信介をうしろに乗せてハーレーを飛ばすのであった。
復員した恒彦は、労働運動に傾倒してゆき、ストを決行するが、そのスト破りに現れるのが富兄率いる塙組。
この恒彦を代表とする在日たちと、富兄を代表とするやくざの戦いを軸に物語を展開してゆけば、かなり面白い作品になったと思う。しかしそうならずに成長した信介(佐藤浩市)が高校に入り、ひたすらのらりくらりとやっている。
松坂慶子は結核におかされ、療養所で駕篭の鳥生活になってしまう。それを面倒見ているのは富兄で、信介はその家に居候しているのだが、別にやくざの道に入るという訳でもない。
青春とはあてどのないものだと言えばそうなのだが、ひたすらぽーっと
している。高校に入り、野球部の監督である石田純一にスカウトされ、その帰りにテニス部の部室で女教師の生々しい肉体を目撃するのだが、その肉体を欲する訳でもない。
だが居候している部屋で、女教師を想い再びせんずりをこく。このシーンは深作欣二が撮っていると思う。
薄明かりの差す中でまぐわっている石田純一と女教師。なんだ。結局、石田純一はただの女たらしか、と思ったら、それは信介の夢で、夢精してしまい、パンツに精子をごってり付着させ、そのパンツを組の若い衆・時任三郎に発見され、パンツ返せ返さないの大騒ぎに発展。
このシーンも深作欣二が撮っていると思う。
一方で信介には炭坑集落時代からの幼なじみ織江(杉田かおる)がいるのだが、彼女はキャバレーの女給に堕ちていた。
富兄からもらったバイクをパクられた信介は、終電もなく帰るすべがなくなり、織江と連れ込み旅館に行った。そこで織江はすっかり商売っけのある女に変貌してたが、信介は筆おろしをした。
と、とにかく、いわゆるありがちな青春ドラマになっているのだ。それを「青春の門」と呼ぶのか?
富兄はある日、ヒットマンに足を狙撃され事務所に担ぎ込まれる。
「あいつらですよ!朝鮮人たちですよ!あいつら最近、祖国防衛隊なんて言って息巻いてますから」
そう発奮して小林稔侍は、オート三輪に乗って出て行った。それを追う信介が運転し、うしろに富兄を乗せたハーレー。
北朝鮮の国旗を掲げたバラックの中から悲鳴が聞こえる。そこに乗り込んでゆく富兄。そこには半殺しの目にあっている稔侍の姿が。
「悪いけどな。うちの若い衆や。引き取らせてもらうで」
「おまえらみたいなポウリョクダン!いつも俺たち弾圧しやがって!」
ステッキで在日たちをめった打ちにする富兄。
「待てや!」
そう言って富兄に銃口を向ける恒彦。
「撃てるもんなら撃ってみい!」
富兄の腹にはマイトが巻いてあって、それをすかさずストーブにかざす。張りつめる空気。そこに佐藤浩市が入ってきて、
「待ってくれ!待ってくれよ!金さん!金さんも竜五郎(富兄)さんも同じ築豊の人間じゃないかよ!」
って人類みな兄弟的なことを急に言い出す。それでその場がとにかく治まってしまう。
ここに81年という時代の限界点が見えた。
70年代のあの人間の欲望が禍々しいまでに噴出していた東映作品のアナーキズムはすでに存在していなかった。
というようなことをしたり顔で、訳分ったように書いている俺。たかだかの俺である。だが、すごい作品に出会った時は、やはり冷静さを失ってしまうものである。
その意味においても、この作品の底の浅さと、構造的なつまらなさを感ぜずにはいられない。
松坂慶子は最期吐血して死に、信介は女教師のあとを追って東京を目指すが、
自分としては恒彦と富兄の決着が見たかった。