結論から書くと、不発弾。
こてこての任侠映画と、実録やくざ映画の違いはどこにあるのかというと、前者が義理と人情に生きる男が、いいもんのやくざ対悪者のやくざという割と単純な構図のなかで、苦悩しつつも最後には長ドス持って、着流し姿で単身殴り込みをかけるというものであったのに対し、後者はまさにやくざ社会を「実録」として描くので、割と史実を忠実に再現する。
であるから、人間関係は複雑だし、描かれるストーリーも込み入っている。
実際、実録やくざ映画の代表作「仁義なき戦い」も、一度見たぐらいでは人間関係の相関や、組織の対立構造はよく分らない。
しかし、なおあの作品が傑作として現在も新たなファンを獲得している理由には、そういった煩瑣になりがちなストーリーを、キャストの血がほとばしるような熱演。そして深作欣二の斬新な演出も含めて、スタッフたちの荒い息づかいまで、画面のなかから聞こえてきそうな迫力に満ちているからではないのか?
『山口組外伝 九州進攻作戦』は、実在したやくざ「夜桜銀次」を主役にして(それが文太さん)、彼にまつわる人々と山口組(映画では兵頭組)の九州侵攻作戦の模様を描いている。
そもそも別府で幅を利かせていたのが辰兄で、その兄弟分が銀次だった。んで、別府の博覧会で辰兄が狙撃され、その報復に犯人を射殺した銀次は関西に高飛びした。
一方、辰兄は兵頭組の杯を受け、その傘下に入ったのだった。
関西にやってきた銀次は、パチンコ屋で、そこの店員で昔の情婦であった渚まゆみと再会する。この渚まゆみとの再会。すでに俺のなかでは、「不幸へのゴング」が鳴らされた。
なぜならやはり、深作&文太コンビによる「仁義なき戦い」への助走になった作品『現代やくざ 人斬り与太』で、最後ボロクズのようになって死んで行ったふたりを目撃しているからだ。
パチンコ屋にはイカサマをやっている恒彦がいて発覚。川縁に連れ出されボコボコにされたあげく、川に放り込まれる。それを銀次が助けてやったのが縁で以後、恒彦は銀次の子分になる。
夜のアパートで銀次、まゆみ、恒彦の三人ですき焼きつついて、銀次とまゆみが夜の営みに移行すると、それを覗き見ていた恒彦がせんずりこいたり、銀次が便所でションベンをしていたらチンコに強烈な痛みを覚え、こりゃ商売女に梅毒を移されたと、恒彦にペニシリン買ってこさせ、まゆみにも感染したらいかんと、そのケツに、泣きわめくまゆみのケツに注射したりとか、いいシーンがあることにはある。
あるいは、お授け教という天理教がモデルになっていると思われる教会が、在日やくざの根城でそこにとっこんで、ペイ(ヤク)を奪取しようとした恒彦が、今井健治たち在日やくざに捕まるが、
「オマエ。イイコンジョウアルネ。ワシラノメンドウニナランカ」
と、逆にミイラ取りがミイラになり、ヤクの売人になりかけるが、そこへマグナムを持った銀次が現れ、
「ペイなんかやっているヤツはゴミじゃ!そんなもん捨ててしまえ!」
と、恒彦に命じる。
ちょっと、この銀次のキャラもはっきりしない。基本的に一匹狼的なヤツで相当に無軌道なタイプなのだが、ヤクは嫌い、渚まゆみのことも大事にしている。
同じ実録ものでも深作&渡コンビによる『仁義の墓場』における石川力夫の「死という名のジェットコースター」に乗った男とも違う。
一種のダンディズムのようなものを感じさせるのだ。
そこがこてこての任侠映画で、独特の美学を築いた「将軍と呼ばれた男」山下耕作監督の演出技なのだと思うのだが、実録ものになると、やや齟齬が生じているように思われる。
銀次と渚まゆみの関係も単なるメロドラマだし、銀次の子分になってぶいぶい言わせ始めた恒彦が片桐竜次とケンカになって、竜次の組まで追っかけて行って、拳銃ぶっ放すものの逆に囚われの身となり、そこに銀次が現れ、
「どう責任取りゃいいの?」
と言って、恒彦の土手っ腹に銃弾打ち込んだのには、さすが文太さんの迫力を感じたが、その後、恒彦は絶命せず、まゆみが看病に見舞う病室でも、なぜか送られ、そこにも面会にくるまゆみを前にした熊本の刑務所でも、ひたすら、
「兄貴。兄貴」
と、銀次をしたい続けるのであった。てっきり銀次がいない間に、まゆみと恒彦はできてしまうのではないかと思っていたが、そうはならなかった。
作品、全体の構成からすると、山口組の九州侵攻作戦があるのだが、そこに銀次の周辺の人間、渚まゆみにしろ恒彦にしろがまったく絡んでこないのだ。
でもその背後で、辰兄や山口組の津川雅彦なんかは、侵攻作戦の準備を着々とすすめているというどっちつかずな印象しかのこらない。
そんな作品の中、俺が一番面白かった下りは、在日やくざ双竜会の今井健治たちが、クラブで飲んでいる山口組幹部に因縁をつけ、それに激高した山口組は双竜会殲滅作戦を結構する。
それにビビった双竜会組長、天津敏はなんとか手打ちに持ち込もうとするが、完全に頭いかれちゃっているのか、ペイのやりすぎでおかしくなっているのか、今井健治はぶいぶいと全面対決を主張し、山口組は街中で、通りで、銭湯で双竜会狩りを始める。
辰兄の兄弟分である銀次もこれに加わるが、そこに参戦してくるのが〝男の突撃列車〟松方弘樹。が、今回の松方さんは終始グラサンをかけていて、クールに決め、最後は潜伏するアパートで今井健治を銃殺した。
アパートの部屋で、胸にドクロの刺青を入れて、白目向いてくたばっている今井健治の死体が、銀次よりも恒彦よりも松方さんよりも魅力的に見えたのはなぜだろう。
その後、津川雅彦は銀次を博多に送り込むことにする。
いわゆる鉄砲玉として送り込み、九州侵攻作戦の口火を切ろうとした。で、ここにおける、というよりも全体を通して、辰兄のキャラもよく分らない。銀次のことを兄弟分として思いやっているのか、それとも単に駒として利用しているだけなのか?
とにかく博多にやってきた銀次は、築豊の炭坑王と謳われた内田朝雄のとこいったりして、700万ゆすったり、賭場荒らしたり、やりたいほうだいやって、次第に九州やくざから山口組の鉄砲玉ではないかと目され、最後は岩尾正隆、福本清三のヒットマンによりマンションの一室にて銃撃され死亡。
さすがにこの時の文太さんの死に様は、鬼気迫るものがある。
しかし、物語もここで終わりちゃうんかい!
と思ったが、ここからが九州侵攻作戦の始まりなのである。ここまでくると、渚まゆみもどうでもよくなり、恒彦もどうでもよくなり、銀次さえどうでもよくなってしまっている。
ともかく兄弟分の銀次を殺された辰兄&山口組連合軍は、それを口実に続々と兵隊を九州に送り込み始める。一方、九州の大親分、志村喬は辰兄連合軍に会談を持ちかけ、事態収拾を図るが辰兄はそれを拒否。
しかして両陣営は戦争状態に突入したが、福岡県警のガサ入れにより全員パクられた。
だったら銀次が殺されたシーンがラストでよかったんじゃないか?
最後雨の中、銀次のスーツを着た恒彦が、バラの植垣の中に隠されてあった拳銃を取り出し、誰かを殺りにいくところで作品は終わった。
やはりこの手の作品は、深作欣二や中島貞夫じゃないと冴えないと思ったし、実録というのは実際にあったやくざの抗争を描いている訳であるし、その生な感覚が任侠映画に取って代わった訳であるが、あまりに史実にとらわれ過ぎても面白くないと思った。
アパートの一室でくたばった今井健治の冥福を祈る。