最近はあまり、いつもいく映画館で自分の感度に反応する特集がない。
ということで、ケーブルテレビに加入しているので、チャンネルネコや日本映画専門チャンネル、東映チャンネルなどで録画した作品を見ている。
しかし録画したDVDは山のように積まれ、果たして一生かかってもこれだけのタイトル数を見られるのか、というところまで来ているが、でも見るんだよ!
『果実のない森』、65年の作品か。しかしこの頃の若尾文子は、言葉では表せない程の艶っぽさを放っている。それはただ単にフェロモンを発散しているとか、セックスアピールが効いているとかのレベルではなくて、存在自体がどうしようもなく「女性」を感じさせる女優としか言いようがない、ある種の神々しさに包まれていてる。
原作は松本清張のミステリー。若尾文子を中心に、田村高広、船越英二、『新いれずみ無惨 鉄火の仁義』で強烈にストーカー気味を演じた名も知らぬ俳優が、今度は車のセールスマンに扮して、またもや若尾文子をストーカー気味につけまわす。
それを彩るのは例の大映特有の重厚な演出。 そして得意の愛憎ものである。はっきり言って、俺はあの大映特有のベタっーとした感じの映像があまり好きではない。あまりに重厚過ぎて、娯楽という観点から見ると、重々し過ぎる感じがするのだ。
だがあの若尾文子の存在から放たれる一種のオーラとでも言うものは、本人の資質もさることながら、やはり大映の演出による部分は大きかったのだろう。
『日本任侠伝 激突編』。健さんを主演に据えた任侠物である。やはり東映と言えば、やくざ、任侠映画である。しかしどうもこの作品時期は、竹下景子が出ているところなどから見ると70年代に突入していて、東映のメイン路線はやくざ映画でも実録物にシフトしていたと考えられる。
そんな中、ど任侠物の正義のやくざがいて、悪のやくざがいて、利権開発などに絡み、悪のやくざが仕掛けてくる、夢にまで見た不幸の数々にとうとういいもんのやくざ(大概は健さんや鶴田浩二)の堪忍袋の緒が切れて、長ドス片手に着流し姿で単身殴り込みに行く、というパターンがここでも踏襲されているが、さすがにルーティンワークの感が否めない。
しかし親の謝金の方に、女郎屋に売り飛ばされた竹下景子と三下やくざの恋物語や、健さんをかばって爆死した渡瀬恒彦。土方集を束ね健さんの命を狙う宍戸錠。その配下で竹下景子をレイプした、Fromピラニア軍団の岩尾正隆と川谷拓三など、東映映画ならではの見どころもある。
『横線地帯(イエローライン)』(60年)。ここ最近見た映画では、これが一番唸った。監督はやはり石井輝男。新東宝時代の初期作であるが、その後に続く石井監督の映画術のようなものが早くも開花している。ちなみに脚本も石井監督。
殺し屋の天地茂はある人物から、東京に来ている神戸税関所長をバラすように依頼される。報酬の半金は結果が出てからもらう手はずになっていたが、金の代わりに用意されていたのは警察の非常線だった。
逃亡を図った天地茂は、新聞記者・吉田輝男の恋人、三原葉子を拉致して自分を警察に売った豚やろうに復讐を果たす為、神戸行の寝台車に乗ったのだった。
ニヒルという言葉が、ここまで似合うかという天地茂もいいが、拉致されても怯えるどころか、なにか冒険旅行にでも出発するような踊り子の三原葉子のキャラがいい。
この作品、随所に憎い演出が施されている。踊り子の三原葉子を見送る為に東京駅にやってきた吉田輝男は、そこに三原葉子が緊急事態を知らせる為に脱ぎ落とした赤いハイヒールを見つける。
三原葉子は車内にて、トイレに行く振りをして、百円札に「人殺しと一緒にいます。助けて下さい」と書き、神戸に着くと靴を買い求め、そこの店主にその札を渡すが店主は気づかない。
ちなみにこのシーンの冒頭は、店内のショーウインドウから天地茂と三原葉子が店に向かって歩いてくる姿を撮っていて、映像的にすごく凝っている。凝っているが、それを自然な流れのなかでやっているので、嫌みにならない、というか見ている方はそこまで気づかないのだが、こういう巧みな撮り方が随所に出てくるうちに、見る者は自然とスクリーンのなかに吸い込まれてしまうのだ。
これは石井作品に一貫して言えることだ。
一方吉田輝男の方は、神戸で横線地帯なる日本の女を外人に売りさばき、麻薬の売買にも手を染める秘密組織の存在を嗅ぎ付け、そこに三原葉子失踪の手がかりがあるのではないかと、沼田曜一扮するデスクに願い出て、一路神戸を目指すのだった。
石井監督は神戸という街がお気に入りだったようだ。この作品に限らず、東映に移ってからの『徳川いれずみ師 責め地獄』でも『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』でも神戸は描かれる。しかしそこはお洒落で洒脱な街としての神戸ではなく、無国籍で猥雑で怪しく、スリリングな街としての神戸だ。
『横線地帯』で天地茂と三原葉子が潜り込むホテルを経営している魔女のようなババアが、
「気をつけた方がいいよ。ここの連中は警察なんてなんとも思っちゃいないんだから」
と言うように、そこはカスバと言われる治外法権で、屋台や娼館、頭にターバンを巻いた男や中国人、ちんぴら、やくざ、娼婦などがうごめく世界である。
それをセットで作り出しているのが圧巻。さまざまなアングル、視点、カットを多用することで迷路のような街を作り出し、見る者をその中で迷子にでもなったような感覚に陥らせてしまう。このカスバのセットは本当に素晴らしい。
非現実的なのに、物語の中では非常にリアリティーのある空間を作り出しているのだ。
そしてバックに流れるのは、フラメンコとインド音楽。
三原葉子が、助けてと書いた札は、その後靴店を訪れたタイピストのOLの手に渡り、さらにそれが外国船に食料などを売りにいくと見せかけ、女を取り仕切り外人に性的サービスを提供する男の手に渡る。男はヨウモク売りのババアから煙草を買う為に、その札をババアに渡す。
一方、OLは横線地帯の手による者に拉致されてしまい、失踪したことを怪しいと睨んだ吉田輝男はOLの勤める会社を探していて、港で女を取り仕切る男と知り合い、会社の場所を聞いている最中にババアから煙草を買い、その釣り銭の札に三原葉子から助けを求めるメッセージが書いてあり驚くのだが、すでに港にヨウモクババアの姿はなく、普段売(ばい)をしているというあのカスバを目指すのだった。
一枚の札を通して、ここまでキャラの登場と、その相関を描いてみせるというところが秀逸である。ちょっと文章として書くと、複雑な感じがするのだが、このへんもさらりと描いている。
カスバに潜入した吉田輝男は、ヨウモクババアの居所を探すが、娼婦にガセネタを掴まされたり、勘違いされて警察に追われる羽目になり、迷路のような街を逃げ惑うはめになる。
その頃天地茂は、三原葉子と一緒にいることで安全を担保していた。ホテルの窓の外に光るネオン管。雨が振り出し、外では酔っぱらった詩人が、娼館の店先で立ち小便をしようとして娼婦に追い払われ、自作の詩を詠い上げる。
そして始まる天地のモノローグ。親父が戦争で三人人を殺したこと。孤児院で育ったこと。もの心ついた時からハジキを握っていたこと。自分は人殺しだが、汚い仕事はしてこなかったこと。そんな自分を裏切った豚やろうは許せないこと。
天地はホテルのババアに三原葉子を絶対外に出すな、と命令し、自身はこの街を牛耳り、さらに自分を警察に売った横線地帯の幹部を探し始める。
吉田輝男はやっとヨウモクババアを探し出した。しかしババアはがっちり屋で、金を出さないことには情報を提供しないのであった。ちびちびと情報を小出しにするババア。その度に金を払う吉田輝男。やっと札の出所は港で出会った男だということを聞き出し、男に会いたければ、ある娼館に行くことを勧められる。
一方ホテルのババアは、うまいこと三原葉子を説き伏せ、ホテルから連れ出し、横線地帯が経営するキャバレーに売り飛ばしたのであった。しかしここでもケロリとしている三原葉子。キャバレーの踊り子に欠番が出たことを知ると、
「俄然わたし張り切っちゃうわ」
と言い出し、得意のエロダンスを披露するのであった。三原葉子も新東宝倒産後は、東映に移籍し当初はやはり石井監督のギャングものなんかに出演していたが、70年代に入ってくると梶芽衣子の「女囚さそり」や、野田幸男監督の傑作『0課の女 赤い手錠』などで悪役に回り、元祖パンプ女優として鳴らすことになるのだが、60年のこの頃はまだ少し少女っぽさも残ってはいるものの、エロダンスもこなすという特異な女優だった。その後の消息が気になる。
吉田輝男は娼館に向かった。そこには白人なのに肌を黒く塗って、着物をきたママがいた。ママは港で会った男はメリケン・ジョーという男で、横線地帯の一員であり、ジョーに会いたければあるキャバレー(三原葉子が連れ込まれたキャバレー)に向かうように言う。そしてママは吉田輝男に自分を抱くようにと言う。
「僕はそんなことが必要じゃないんだ」
「どうして?私の肌が黒いからなの?」
本当は黒くない。どっから見たって白人の女である。それが黒いドーラン塗っているだけのことである。日本語喋れる黒人女優が見つからなかったというだけのことなのか?分らない。しかしカスバという無国籍で雑多な街の片隅には、顔は白人だけど肌は黒い娼婦がまるでパズルのワンピースのように、何の違和感もなく存在しているという妙な説得力がある。それはまるで『網走番外地 望郷編』に登場してくる黒人少女エミーにも通じる説得力だ。
そしてママは横線地帯に裏切り者として、無惨に殺される。
天地茂は麻薬の密売人から自分を売った豚やろうが、外人専用の会員制キャバレーの支配人をしていることを拳銃をぶっ放して聞き出す。そのキャバレーが三原葉子がエロダンスを披露したキャバレーであることは言うまでもない。
扮装用のアイマスクを着用して、キャバレーに乗り込む天地。
「随分なことをしてくれたな。俺をサツに売った代償は高くつくぜ」
「待ってくれ。俺は命じられたままにやっただけなんだ。横線地帯のリーダーは他にいるんだ」
「案内しろい!」
支配人が運転する車はキャバレーをあとにした。天地、三原葉子を乗せて。店の前に張っていた吉田輝男はすぐさまそのあとをつける。
このままリーダーの家に直行かと思いきや、途中で天地の乗った車がパンクし、それを直しているところへ警察が現れ、
「おや。パンクですか?手伝いましょう」
となったところへ、三原葉子は隙を見て助けを求めようとするのだが、天地は、
「こんな時、返って御婦人は邪魔になるだけだ。車に乗っていなさい」
とちょっと見せ場を作るのもミソ。
横線地帯リーダーの家では、リーダーがガウンを着て寝室にて、拉致したOLをまさに食い物にしようとしていた。
「この豚やろう!」
「なんだ!お前は!?」
「表の顔は社会慈善家の皮を被っているが、日本の娘を外人に売り飛ばしているきたねえ野郎だ!そしてこの俺をサツに売った張本人だ!」
「ち、違う!それはこの支配人が勝手にやったことなんだ!」
「なに言っているんだ!俺はあんたの言われたままに動いたに過ぎないんだ!」
責任をなすり付け合う豚やろう二人。その二人の頭を拳銃で殴りつける天地。流血する二人。
「わ、分った。なんでも願いを叶えてやる。いくら欲しいんだ!なにが欲しいんだ!」
「うるせい!」
天地はリーダーの体に鉛玉をぶちこみ、ついでに支配人も殺害した。
目的を果たした天地であったが、なおも逃走を図ろうと三原葉子をまたもや人質にとって車を飛ばす。それを追う吉田輝男。そして引かれる警察の非常線。
追いつめられた天地は三原葉子を縦に、港の漁師小屋に立てこもり、配備をせばめる警官を殺害。緊迫の度を増す中、漁師小屋に向かって歩み出す吉田輝男。
「くるなー!この女を殺すぞー!」
「やめてー!」
天地茂の放った銃弾が吉田輝男の肩に命中する。しかし肩を押さえながらなおも歩き、漁師小屋に到達する吉田輝男。
「彼女を放してやってくれ・・・」
「畜生。俺とお前らとでは人種が違うようだぜ」
響くフラメンコギター。
そう言って外に飛び出した天地茂は、警察によって蜂の巣にされたのであった。ボロクズのように転がる天地の死体。
でエンド。
石井輝男という人は常に類例のない映画を作ってきたが、すでにこの時点に置いてそれは展開されている。アクション映画と言っても日活作品のように都会的だけという訳ではない。
モダンでありながらも、そこに猥雑性や得体の知れない未知の世界を描いている。しかしそれを構成する画面は非常に精緻で、丁寧であるが、テンポが遅いということはなく、逆に軽妙でさえある。
すでにして天才。『横線地帯』。石井監督の初期傑作であることは間違いない。