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執筆者の写真makcolli

甘い夜の果て


コンプレックスにさいなまれるスケコマシ。それが松竹映画『甘い夜の果て』における津川雅彦の役どころである。

津川はファーストシーンにて、女とドライブをしていたが、その帰路事故が発生し渋滞にはまり、なかなか車が進まない。

そこでドライブインとも言えないボロ食堂で休憩していたが、そこで早速ガールハントを実践。

「おい。あの娘、可愛くないか?」

「ほら。あなたの悪い癖が始まった」

娘は店の店員であり入り口で、外を見ながら立っている。

「君。俺の車に乗らないか」

「あら。あなたたちカップルなんでしょ」

「ところが今、わたし。この人を振ったばかりなの」

「なんだあ。人の余り物なんか嫌よ」

1960年公開の作品である。監督は大島渚、篠田正浩などと松竹ヌーヴェルバーグ一派を築いた吉田喜重。だが脚本は吉田喜重と共に、のちに喜劇作品を連発していく前田陽一の名前が。

半世紀以上前の作品である。津川雅彦も若かった。

百貨店の店員である津川は、自分に飽きたりてなかった。金が欲しい。出世がしたい。豚小屋みたいなアパートに住みながら、野望だけは大きかった。

津川が務める百貨店の社長が浜村純で、その娘が嵯峨三智子だった。

その嵯峨は社長令嬢でありながら、バーのママであった。だが社長令嬢が経営するバーであるから、そこら辺の安サラリーマンなんかが飲めるようなところではなく、中部地方(場所の設定は名古屋)の財界人が夜な夜な集まるような高級店であった。

そのバー、爽でホステスを探しているということを知ると、津川は例のボロ食堂の娘を強引に連れてきて嵯峨に紹介した。

津川の魂胆は社長令嬢の嵯峨に〝食い込みたい〟というものであった。

「あなた。周旋業でもやってんの」

「いや。僕はお店で女の子がいないっていうもので」

「まあ。いいから。これ取っておきなさいよ」

嵯峨は津川に幾ばくかを渡した。

津川に無理やりホステスにさせられた娘、はるみは最初戸惑っていたが、その日から店に出ることになった。

そして行くあてもないので津川のアパートに泊まることにした。

「男の部屋に女が泊まりに来るっていうことは、どういうことだかわかっているんだろうな」

「なによ」

津川ははるみに肉体関係を求めた。

「やめてよ。大声出すわよ」

「ちぇっ」

はるみはせんべい布団にくるまって寝た。

はるみが店に出ていると、一人のもう初老は迎えたであろう会長だか社長だかが、はるみのことを気に入ってうしろから抱きつき言った。

「こうやって髪の匂いを嗅いでいるだけでいいんだよ。若い人が近くにいるだけで、わたしは若返るような気がするんだ。どうかね。わたしの世話にならんかね」

アパートに帰り、はるみは津川にことの仔細をしゃべった。

「わたし。気持ち悪いから、断っちゃったのよ」

「ばかだな。お前は。そのオヤジに〝食い込めば〟なんだって自由になるんじゃないか。今よりいい生活ができるんだよ」

「わたし。そんなの嫌なのよ」

「よーし。お前の根性、叩き直してやる」

津川ははるみをバイクの後ろに乗せると、競輪場を猛スピードで走った。ことあるごとに津川ははるみをバイクの後ろに乗せて、猛スピードで走った。

嵯峨は津川とはるみができていると勘違いしていた。

はるみが津川のアパートに一人でいる時に嵯峨は突然やってきて、

「やっぱり。こういうことだったのね。あんな男といつまでも一緒にいて、どうするつもりなの。本堂さん(例の社長だか会長)のお世話になりなさいよ」

と、はるみを説得し、津川にははるみとの手切れ金だと言って、また幾ばくかを渡した。

バー爽にはこんな常連客がいた。

年の頃ならもう70は過ぎているだろうか。毎回、やけのやん八という感じで、酒をしこたま飲み、最後には泥酔して他の客に絡み出すという困った客だった。

その日も男は泥酔していた。その場に偶然居合わせた津川は、嵯峨に言われて男をタクシーで家まで送っていくことになった。

しかし、男の家に到着してみると、そこは中部地方では名の知れた鋳物製造メーカーの前社長の家だった。そして津川が送ってきた泥酔している男こそ、その前社長なのである。

津川が男を玄関から家に抱えて入れると、そこにはそれなりに綺麗な女がいた。女は前社長の長男、つまりその会社の社長の未亡人であった。

「どうもすいません。最近、お父さん。こんなにまで飲む人が多くて。会社の方ですの」

「いや。僕は偶然、店で一緒に飲んでいただけで」

「まあ。見ず知らずの人にこんなにしていただいて。お礼に夕飯はどうですか」

「は、はあ。じゃあ。お言葉に甘えて」

「夫が亡くなってから、お義父さん一人で会社を切り盛りしているものですから」

そうして津川は夕飯を食べることにした。未亡人は聞いた。

「失礼ですけど。あなたご職業は」

「は、はあ。不動産屋の真似事見たいなのをしております」

「まあ。若いのにご立派なのね」

津川は決めた。この未亡人に〝食い込む〟ことを。

だがである。

津川が百貨店で働いていた時、不意に未亡人が客として現れ、そこで働いている津川を見て呆気にとられている様子であった。

「あなた。不動産会社を経営しているんじゃありませんの」

「違うんです。僕はここでアルバイトをしているんです」

思わず訳の分からない言い訳をした津川だったが、未亡人は店の外に出てしまった。とにかく未亡人に〝食い込む〟ことを決めている津川であるから、彼女を追うために猛ダッシュをかました。そして路上にて未亡人を捕まえた。

「奥さん!奥さん!待ってください!」

「なんですの。こんなところで。人が見ているじゃありませんか」

「確かに僕は嘘をついた。それは謝ります。でも会社経営を目指していることは確かなんです。その話を聞いてもらうためにも、一度一緒にお食事でもどうですか」

めっちゃ強引に津川は、未亡人からの約束を得ることに成功した。

はるみは本堂の妾になり、高級マンションで生活し始めていた。

その部屋に津川が訪ねてきていて、二人はいちゃつきはじめ、次第にいい雰囲気になってきたところでドアのチャイムが鳴った。

「パパかも知れないわ」

実際、はるみがドアを開けると、そこには本堂が立っていて、そのまま部屋に入って行ったら、そこに津川がいた。

「誰だね。この人は」

「お店によく来る方なのよ。そばで偶然に会ったから寄ってもらったの」

「あの。僕。これでおいとまさせてもらいます」

「まあ。いいじゃないかね。座りたまえ。はるみ、ブランデーがあったろ」

「今、用意するわ」

「ところで君はどんな職業を」

「え、ええ」

「もう。仕事の話なんてやめなさいよ」

「失敬、失敬。どうもわたしは仕事の話しかできなくて。そうだ。はるみ。この人にも明日の遠出にきてもらおうじゃないか」

そこは湖畔に面したロッジのような家だった。部屋には本堂とはるみ、津川、そして嵯峨がいた。

「きのうは聞きそびれてしまったのだが、君はどのような職業をしているんだね」

「その僕は化学技師をしております」

それを聞いていた嵯峨が笑った。

「化学技師ですって。聞いてあきれるわ。あなた百貨店の売り子じゃないの」

いたたまれなくなったのか津川は、外に出て行った。

だが、ここで考えてみたいのは百貨店の店員という職業が、そんなにもコンプレックスを抱かなくてはならないものなのかということだ。

主人公である津川もこのことにコンプレックスを持っていて、なんとか這い上がりたい、なんとか今でいうならセレブな世界に〝食い込みたい〟と這いずり回るのだが、現代の視点から考えてみると、百貨店の店員であることに後ろめたさを感じるということ自体が、よく分からない。

津川は表に出るとモーターボートに乗り、湖畔を疾走した。その様子をカメラはどこまでも引きのアングルで捉える。

「わたし。外の風に当たってくるわ」

嵯峨はそう言うと、屋外に出て津川の船に乗った。水面を切り裂いて走るモーターボート。

「もっと飛ばしてちょうだいよ。さっきのこと恨んでいるの」

「別に」

程なくするとボートは止まった。

「どうしたの」

「どうもエンジンの様子が」

「あなた。エンジンのこと分かるの」

「ええ。まあ」

「そんなことじゃ困るのよ。なんだったら岸まで泳いで、違う船を持ってきて」

「そんなに言うならあんたが直せばいいんだ!」

引きのアングル。ボートの上で立ったり、座ったりしながらのもつれ合う二人。やがてカメラは静まり返った湖面を映し出す。

このあたりの演出が吉田喜重が松竹ヌーヴェルバーグと呼ばれるゆえんなのだろうか。そもそも俺はフランスのヌーヴェルバーグも観たことがないので、よく分からないのだが。

それからして、はるみは津川のアパートを訪ねた。

「あなた。あの日、ママさんとなんかあったでしょ」

「ああ。あったさ。それが悪いとでも言うのかい」

「あなたって最低な男ね。もう。こんなところ二度と来ないわ」

「ははーん。お前、焼いているな」

「そんなんじゃないわよ!」

そんな日もあった。

津川にとっては待ちに待った未亡人との会食の日がやってきた。しかし、未亡人はよく分からないおばさんと一緒にやってきて、三人はテーブルを共にするのだった。

「こんなおばあさんと一緒でごめんなさいね。それよりあなた、はやく身を固めなさいよ。まだ若いんだし、あなたぐらいの器量なら貰い手はいくらでもあるわよ」

「わたし、今更結婚なんて。それより、これから同窓会があるのよ。そろそろおいとましなくっちゃ」

「あら。そう。それじゃあ。わたしも行くわ」

二人は津川のことなどそこいら辺に転がっている石ころのような扱いで、店外に出て行った。それを追う津川。そして未亡人の腕を掴むと路上を強引に引っ張って行った。

「なにをするの。他人が見ているわ」

「奥さんは僕の夢を壊してしまったんだ。だから僕の言うことを聞いてくれるまで腕を離しません」

「同窓会になんか行かないから、できる限り言うことを聞くから手を放してちょうだい」

それから名古屋駅近辺で、津川と未亡人は頻繁に会うようになった。

津川はバー爽の二階にある嵯峨のベッドルームに現れた。

「あなたってケダモノみたいな人なのね!」

「ああ。そうさ。僕はあんたみたいな人を見ると、喜んでケダモノになれるのさ」

そう言うと津川は再び、嵯峨を力ずくで我が物にした。だが不思議なもので、翌朝になると嵯峨はベッドでタバコをくゆらせ、その横で津川は天井を見つめていた。

「あなたを一生食べさせていけるだけのお金はあるのよ」

「どう言う意味だい」

「わたしたち結婚しない?」

「・・・」

「ねえ」

「結婚?」

「あっーははは。あなた。今、本気にしたでしょ。誰があんたみたいな男と結婚なんかすると思うのよ。一回、二回寝たからってわたしをものにできたなんて思わないで。お金なら恵んであげるから、この部屋から出て行きなさいよ」

津川は嵯峨から幾ばくかをもらうと、部屋から出て行った。

だが、このことは津川にとって、さしたるダメージにはならなかっただろう。何しろ津川にとっての本命は未亡人であったのだから。

その未亡人の義父は津川が爽の二階で嵯峨と肉体関係を結んだ夜、きょうは店臨時休業だって言っているのに、

「酒出せ!酒―っ!俺は酒飲むまでは、ここをテコでも動かねえぞーっ!」

とくだを巻き、はるみを困らせたが、そのまま脳卒中で倒れた。

しかし、津川は未亡人と何回も会っているうちに、一緒に温泉に行くと言う約束を引き出すことができ、今は床を一緒にしているのであった。そして二人はねんごろの仲になった。結ばれた。ドッキングした。

それから程なくして、夜の工業地帯が背景として広がる丘にて、津川は未亡人の腕を掴みながら言った。

「奥さん。もう僕たち引き返せないところまできたんですよ。結婚しましょうよ」

未亡人は黙っていて、それを否定もしなければ、肯定もしなかった。

津川は誰かに言いたかったのだろう。はるみのマンションに足を運んだ。

「あっーははは。ここに座って本堂さん。俺に言ったよな。まあ。そこに座りたまえ。はるみ、ブランデーがあったろ。用意しなさい、なんてよ。自由になるんだよ」

「なにがよ。あんた。百貨店はどうしたのよ」

「百貨店なんて、もうどうでもいいんだよ。なるんだよ。工場長に社長だよ。全部、俺のものになるんだよ」

絶頂であった。ウハウハであった。笑いが止まらないとはこのことであった。

自分を侮辱した嵯峨に復讐するつもりだったのだろうか。津川は嵯峨の元へ行き、はるみに話したことと同じ内容の話をした。

「あーら。それはおめでとう。でも、あの会社はもう工場からなにから抵当に入っているのよ。あの未亡人も子供を抱えて、田舎に帰るのがオチだわ。それでもあなた、あの未亡人と結婚するっていう訳。莫大な借金と脳卒中の父親を抱えるなんて。あなた。ずいぶんなお人好しじゃないの。あっーははは」

しょぼくれた背中を見せて、部屋から出て行こうとする津川。その背中に嵯峨は札束を投げつけた。

「子供連れて、借金を抱えている人なんかと結婚したって先は見えているんですよ」

「そんな」

「僕はね。貧乏で苦労してきたんですよ。だから貧乏が憎いんですよ。だから、そんな借金なんかできないんですよ。もう二人の関係は終わりなんですよ。これっきりなんですよ」

やや支離滅裂なことを言って、未亡人と別れた津川であったが、それもそうで、そもそも津川は未亡人の人柄や性格、もしくは容姿に惚れた訳でもなく、いや惚れたことなど一度もなく、ただその地位や財産に〝食い込みたい〟と思ったから接近しただけのことで、未亡人からそれがなくなった今、態度を急変させるのも理にかなったことではあったが、それはまた津川の夢が敗れたことをも意味していた。

はるみのマンションに現れた津川。その手には荷物がある。

「これ。買ってきてやったんだよ。お前によ。化粧なんかして、どこ行くんだよ」

「どこ行こうとわたしの勝手でしょ」

「きょうだけはここにいて欲しいんだよ。本堂さんとどっか行くのかよ」

「パパとは別れたの。本社に人事移動があって、東京に行っちゃったのよ」

「新しい男ができたのかよ。きょうだけはここにいて欲しいんだよ」

「そんなのあなたの知ったことじゃないでしょ。あなたらしくないわね」

「そうなんだよ。やることなすことうまくいかねえんだよ。だから、きょうだけはここにいて欲しいんだよ」

「そんなこと言ってあなた。パパとの手切れ金を狙っているんでしょ。あなたってそういう男よ」

「そんなんじゃねえんだよ。だから、きょうだけはここにいて欲しいんだよ」

「わたし用事があるの。じゃあね」

そう言ってはるみは部屋から出て行った。

男とドライブしているはるみ。後部座席越しに、その後頭部だけが映し出されている。

「わたし。バイクで競輪場を飛ばしたことがあるの。でも、競輪場なんか嫌よ。同じところをぐるぐる回っているだけで」

その台詞は津川に対する暗喩なのかと思ったその瞬間。反対車線からダンプが飛び出してきて、二人を載せた車は土手下に転落し炎上。そのまま二人は即死した。

その晩。泥酔した津川はバー爽に現れ、暗闇の中、店内をめちゃくちゃに破壊した。そこに嵯峨がやってくる。

「あなた。あのコが死んだもんだからショック受けているんでしょ。あなたでも少しはそんなところがあったのね。いいわ。これまでどおりお金、恵んであげるから、いつでも来なさいよ」

バイクに乗り競輪場を疾走する津川の姿がラストカットであった。

ようするに、スケコマシの映画である。それを観念的にというか、スタイリッシュに撮っているというだけのことである。そこが吉田喜重の吉田喜重たるゆえんなのであろうが、同じスケコマシの映画だったら梅宮辰夫の映画のほうが好きだ。

『だに』、『いろ』、『かも』、『ひも』という現在の邦画界では信じられぬタイトルのセンス。そして二文字シリーズにて辰兄は、出世欲も金銭欲もなく、ただ単にそれこそだにのように女に寄生するスケコマシを演じた。

辰兄の淡白な演技がかえって冷徹なスケコマシを、ありありと体現していた。それは当時、辰兄が私生活においても相当にスケをコマしていたからこそ、なし得た演技であったのだろう。

そういう意味において、辰兄の演じるスケコマシは観念性というものを軽々と超えていた。

ここまで引っ張っておいて、最後は辰兄の話かよ、と思う向きもあるかも知れないが、『甘い夜の果て』を見て、そんなことを思った次第である。

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