「湯島に散る恋」。そんな言葉は、なんとなく頭のどこかにあった。
映画『婦系図(おんなけいず)』は、同名の泉鏡花の小説を原作としたものだ。
冒頭。酉の市で賑わう神社の境内で、スリの手先である少年は男の懐中時計をすろうとしたが、逆に腕を掴まれ、家まで連れて行かれた。
その男がドイツ文学者の千田是也で、少年はそのまま千田是也の家で、書生として住まうこととなった。
月日は流れて、少年は東大を卒業し、就職先も陸軍のドイツ語教諭という、まさに末は博士か大臣か、というエリートコースを歩んでいた。
この主人公が市川雷蔵。
その雷蔵と相思相愛の仲の芸者が万里昌代。
この二人がしっぽり歩いていると、昔のスリ仲間が現れ、昔のスリも今じゃ立派な学士様かと難癖をつけてきて、物語の先行きに暗い影を落とす。
一方、雷蔵が住んでいる千田是也宅には、ひとり娘がいて、女学校に通っている才女であるが、雷蔵にあわい恋心を寄せている。
その気持ちは、雷蔵も分っていて、お嬢さんを嫌いな訳ではなかったが、幼い時から一諸に育ってきたこともあり、兄妹のような気持ちしか抱けなかった。それに雷蔵には、ぞっこん惚れている蔦吉(万里昌代)がいるのだ。
大映得意の文芸もの。しかも主演が雷蔵とあっては、当時(62年)、ヒットしたのだろう。
だが泉鏡花の原作が発表されたのが明治40年。この原作は、相当ヒットしたのだと思う。雷蔵版で映画が作られる以前にも、何本もの映画が作られているし、舞台化もされている。まさにこの物語は、「湯島に散る恋」として人口に膾炙されていたものと思われる。
そもそもここから悲劇が始まるのだが、雷蔵は蔦吉に求婚する。
蔦吉は大喜びするが、置屋の女将は結婚に反対する。雷蔵はこれから立身出世する身。それを芸者が女房とあっては、その妨げになると。それでも一向に構わないとする雷蔵に、女将はあなたがそれで良くても、蔦吉が日陰の身に置かれてかわいそうだとなお反対する。雷蔵が蔦吉はきちんと自分の正妻にすると言うと、女将ははらはらと涙を流し始め、実は千田是也の娘は、自分と千田是也との間に生まれた子どもであり、自分こそがお嬢さんの生みの母なのであると告白する。そして蔦吉だけには、自分のような思いをさせたくないと雷蔵に乞い願う。
その話に衝撃を受ける雷蔵だったが、女将との約束は守ると誓い、それに蔦吉も涙を流す。そして二人は下町の長屋を借り、使用人兼蔦吉を立派な女房に仕立てるための世話役のおばさんを置いて、暮らし始める。
だがそれは千田是也には内緒のことだった。
とにかく煮炊きや裁縫、読み書きなど一切できない蔦吉が一人前になったら千田是也に改めて報告に行こう、ということにし、その間お嬢さんが雷蔵宅に遊びにきても、蔦吉は隠れているといったふうであった。
そのお嬢さんが女学校で授業を受けている時、参観を口実に妻にする女に目星をつけにきている毋子がいた。聞けばたいそうな家柄で、文部大臣にも縁故があるという。
その息子が目をつけたのが、お嬢さんであった。
当然母子は学校ともつるんでいて、さっそく身元を確認し、ドイツ文学者の娘だということが分ると、そこにかつて住んでいた書生の雷蔵が、息子と同級生なことを知り、母は娘の素行を聞き出すために雷蔵宅にやってくる。
雷蔵は結婚には反対ではなかったが、母子の結婚のために人様の娘の素行をいちいち嗅ぎ回るような態度が気に入らず、そのことを口頭で告げた。すると母は口にこそ出さなかったが、なにを書生上がりが生意気なという感じで、人力車に乗り帰ってしまった。
そこにやってきた雷蔵宅に出入りしている魚屋の船越英二。
船越が言うには、なんか馬蹄のなんとかかんとか、とか言っていたが、つまるところあの女は今でこそお高く止まっていますがね、もともとは間男の娘なんでさあ、と言う。
明治40年の世相と言っても具体的には思い浮かばない。
しかし『婦系図』の世界には、二つの世界があるように思える。一つは維新以降、文明開化の名の下に急速に導入された西欧文明的な世界。それはお嬢さんが通う女学校だったり、父がドイツ文学者であったりという世界だ。
もう一つは元芸者であった蔦吉であったり、その女将であったり(二人は柳橋芸者という設定)、魚屋の船越英二たちが具現化する江戸の名残的世界である。
その二つの世界の間で、主人公雷蔵は板挟みになり、煩悶しているように思える。ただこの二つの世界がまっぷたつに別れているかというと、そうでもなく、西欧的ないわゆる上流家庭のなかでも因習に捉われたりしているというような、いかにも明治的な世界が見えてくる。
お嬢さんに目をつけた母子は、執事の上田吉次郎を千田是也宅に向かわせて、縁談を持ち込む。
それにはご丁寧なことに、文部大臣の推薦状までついていた。
しかし千田是也は縁談の最終的結論は、雷蔵に任せると言う。これに上田吉次郎は、一書生上がりの雷蔵がなぜ、そんな重大な決断をしなくてはならないのかと首をひねったが、この時の上田吉次郎の顔面のあばたが明らかに作り過ぎで、見事なコメディーリリーフを見せた。
千田是也の心中は、雷蔵と娘を結婚させるつもりであった。
そんな頃、雷蔵が帰宅すると、家の中は家事のように煙に包まれている。
見れば台所のカマドから煙が上がっていて、それをなんとかしようと蔦吉とおばさんがてんてこまいになっている。裁縫をやっても蔦吉は、すぐに針を指に通してしまい、見かねたおばさんが、
「もう。わたしがやりますよ」
と言っても、
「だめ。わたしのきものはよくても、あの人のは絶対にだめ」
とかいがいしく、雷蔵の立派な妻になろうと頑張っていた。
お嬢さんとの縁談を成功させたい母子は、雷蔵を説き伏せようとしていたが、以前と同じ理由から雷蔵は首を立てに振ることはなかった。
そんな折、雷蔵宅を訪ねた息子は、そこに蔦吉がいるのを認め、二人が同棲していることを掴んだ。
さらに夜市で件のスリが、スリを働き捕まりそうになると、とっさにそこに居合わせた雷蔵に財布を預ける瞬間を目撃した。なんだか知らないが、雷蔵もそれを断らなかった。
巡査に派出所に連行されたスリであったが、ふんどし一丁になっても財布は出てこない。
「やいやいやいやい。こっちはふんどし一丁になって、野次馬の目にさらされてるんでえ。この落とし前。どうつけてくれるんだよ」
そう啖呵を切るスリ。
「し、しかし。たしかにこの男が、僕のカバンに手を突っ込むところを見たんだ」
「証拠が出てこないんじゃ。あきらめるより仕方ありませんな」
野次馬たちが有散霧散する中、息子は巡査にそっと耳打ちをした。
そして、古本を見ていた雷蔵がスリに財布を渡そうとしたその時、二人ともお縄を掛けられ警察署に連行された。
次の日の新聞には、陸軍に勤めるドイツ文学士がスリとして捕まり、さらに芸者を妻にしているとまで書かれていた。その情報を新聞社に売ったのも息子であった。
その報道に頭にきた魚屋である船越英二や蔦吉であったが、当の雷蔵はあっけらかんというか泰然自若としていた。
「軍の方にも辞表を出してきたよ」
「いいわ。わたし内職で髪結いでもやろうかしら。昔から好きなのよ」
「苦労かけるな」
「何言っているのよ。苦労覚悟の結婚じゃないのよ。でも○○(使用人のおばさん)には、暇を出そうかしら」
そこにおばさん現れ。
「わたしは嫌ですよ。なんで一諸に苦労しようと言って下さらないんですよ。わたしは蔦吉さんをリッバなおかみさんにするまでは、死んでも死にきれませんよ」
三人してむせび泣く。そんな一夜があった。
しかし怒り心頭に発しているのは、千田是也であった。
女将が営む料亭に雷蔵を呼び出し、最初は回りくどく蔦吉の所在を聞いてゆく、その間も妾である女将を、マッチ、タバコ、灰皿、とか言って顎で足を使うよう。
そのうち雷蔵に、
「知らないうちに売女なんか連れ込みやがって!ここまで面倒みたのは誰なんだ!女を捨てるか俺を捨てるかはっきりしろ!」
と迫る。雷蔵、女将二人して、ことの経緯や二人は純粋に思い合っているということを説明するが、蔦吉と別れるのは俺の命令だと言われ、結局それに同意してしまう雷蔵。
その姿を見て、やっぱりそうなんだ、男ってのはそんなものなんだ、蔦吉が哀れだと泣き出す女将であった。
帰宅すると雷蔵は蔦吉を、
「歩かないか」
と誘う。行き着いたのは梅の花が咲き誇る夜の湯島天神の境内であった。このシーンこそ鏡花的世界と言えよう。それを俺の凡な文才で現すのは困難も承知なのであるが、セットとは言え、いや逆に当時の邦画界のセットだから実現できたとも言える美しさで、湯島天神の梅花が咲く夜を再現している。
その耽美的映像世界の中で告げられる別れ。
その台詞を起こすと本当に野暮になるのだが、苦悶や諦観の表情を浮かべる雷蔵。身をよじらせながら別れを拒む蔦吉。そしてお互いの運命を悟り悲しみ抱き合う二人。どうしてもこのシーンには引き込まれてしまう。
まさに「湯島に散る恋」。
監督は大映を代表する監督の一人、三隅研次。
三隅研次といえば、自分の中では勝新との仕事である「座頭市」シリーズや、その周辺の作品しか知らなかったので、このような文芸作品も手がけているとは意外だった。
しかも見事なまでに耽美主義的な美しさを描き出している。
本当に幅広い才能を遺した人なんだなと思う。
そして別れた二人。
蔦吉は髪結床に就職し、雷蔵は静岡へ向かう。そこはあの母子が本宅として住んでいる場所であった。夜行列車であったのだろうか。食堂車で雷蔵は、あの母を目にする。あるいは雷蔵が狙っていたのだろうか。
その机に相対して座り、雷蔵は皮肉っぽく、あなたたちのおかげで都落ちですよとか愚痴り、さらにその会話は静岡の旅館の一室でも続く。
そしてあなたたちが結婚しようとしているあのお嬢さんは、実は先生が妾の芸者に生ませた隠し子で、とか、えっ、あれほど親しくしていたお嬢さんの出性の秘密を、ぶちまけちゃってもいいの、てなこと言うし、さらに、
「奥さん。あなたももともとは馬蹄のなんとかっていう間男の間に生まれた訳ですよね」
とか言い出す。これにはさすがに余裕かましていた母も慌てふためき、それだけは黙っていてくれ、代わりになんでもするからと言い雷蔵はドイツ語教室の開設資金を捻出させる。
そのくせ、
「あなたたち一族が人の良心というものに目覚めて改心するまで、わたしはやめませんよ」
と急に粘着質な態度を見せ始める。
てっきりこのまま蔦吉と心中かい、と思っていたのだが、思わぬ展開であった。
しかしよく考えると、ここで描かれている物語のパターンは、大映が最も得意としているものであることが分る。
登場人物の出生の秘密や経歴の秘密が、物語のキーになることは他の大映の作品にも多いし、大映倒産後も続いた大映ドラマにもこの系譜は引き継がれているし、そこから影響を受けているのか知らないが、現在の韓流ドラマにも見られるパターンである。
それがもし仮に、明治40年発表の泉鏡花作『婦系図』に原点があるのだとしたら恐ろしいことである。
その頃、蔦吉は病に罹り臥せっていた。
そうとは知らずに、そこへお嬢さんが遊びにやってくる。そこは女将の家であった。玄関先で対面するお嬢さんと女将。実の親子である二人。初めて対面する二人。何も知らないお嬢さん。思わず素足で玄関先に降りてしまう女将。その一歩のカットをちゃんと抜いてある。
そして初めて対面する蔦吉とお嬢さん。臥せっている体を無理に起こして、お嬢さんを迎えようとする蔦吉。
「あら。そんなに悪いなら寝ていて構わないのよ。わたし逆に困っちゃうわ」
「それはいけません。さあ。どうぞ。こちらに。こんな見苦しい姿ですが」
そしてお嬢さんは、蔦吉への土産だと言って半襟を渡す。それを襟に当ててみる蔦吉。その間も娘であるお嬢さんから、視線を外すことができない女将。
「蔦吉さんたちの結婚をお父様が許さないっていうのなら、わたしよい案があることよ。普段はあんなに威張っているお父様だけど、お酒を二杯でも三杯でも飲ませれば、もうからきし弱いんだから。そこでわたしが、甘えた感じでお願いすれば、どんなことだって聞いてくれるはずよ。だから蔦吉さんもおばさんも、遠慮せずにうちにいらっしゃいよ。ねっ。きっとのことよ。じゃあきょうはこのへんでおじゃまするわ。きっと遊びにきてね」
お嬢様が去ったあと、二人で号泣する蔦吉と女将。
雷蔵は静岡にドイツ語塾を開いた。
その祝賀会には土地の名士たちが集まり、そこにはあの母、そしてその娘たち、また医者である父もやってきた。挨拶が済むと雷蔵は、また母に、
「馬蹄のなんとかの娘で」
と、あの話を蒸し返していた。さっと血の気が引く母、
「夫は我が家のコケンにかけても、この縁談はまとめてみせると言っていますが、わたしから折をみて破談にするように申しますから」
その場はそう言った。
しかし日を変えて、今度は娘が雷蔵を訪ねてきて、なぜこの縁談にそれほど反対するのかと聞いてきた。
「それはあなたお一人の考えで、わたしに聞いているのですか。それともお母上に聞いてきてくれと頼まれたのですか。実はあなたのお母上は、馬蹄の・・・」
その瞬間、轟く発砲音。雷蔵の肩を貫通する銃弾。ガラス越しに短銃を構えている母がいた。
かすかに息をしている蔦吉がいた。
その床の周りには、女将、お嬢さん、千田是也がいた。魚屋の船越英二は、もうこりゃ我慢できねえってんで、静岡に向かっていた。床に臥せりながら蔦吉は言った。
「先生。芸者のことをもう売女とは呼ばないで下さい。芸者のなかにも本当に純な気持ちで、恋しい人を思うものもいるんです。女将さんのことを大切にしてあげてください」
「分った」
「蔦吉ちゃん!わたしが20年かけても言えなかったことを言ってくれてありがとう!」
「蔦吉。がんばるんだ。わしのことをかたきだと思って、あいつと二人で倒してしまう気概を持て」
「あの人はきませんよ」
「何言うんだよ!蔦吉ちゃん!」
「あの夜、誓ったんですよ。もうこれきり会わないでおこう。その心だけは決して忘れないことにしようと。お嬢さん。ありがとうございました。遊びにおいでと誘って下さいまして」
「蔦吉さん!」
そして蔦吉はこと切れた。この時の蔦吉、いや万里昌代の死顔が恐ろしく美しい。
この作品が62年公開だから、その前年に倒産した新東宝から彼女は大映に移籍してきたことになる。その後、65年にフリーになっているらしい。
新東宝時代の彼女は、三原葉子などとともに元祖ヴァンプ女優として、大蔵貢社長命じるモンド映画に出演していた。だが『婦系図』における彼女の演技は素晴らしい。
時にかいがいしく、時にあまえ、時にはスジを立て、そして思いを通す、そんな昔気質な女を見事に演じている。
今の観点から見れば、古くさい女、男にとって都合のいい女かもしれないが、その端正な容姿と相まって、蔦吉というキャラを美しく作り上げている。それを引き出した三隅研次監督の才能もあるのだろうが、『婦系図』の本当の主役は、万里昌代演じる蔦吉だと思えてくる。
彼女が邦画界においては、決して大輪の花を咲かせたと言えないのは、残念でならない。
狙撃した母の亭主の病院に入院している雷蔵。そこへ船越英二が駆け付ける。
「だから言ってんじゃねえかよ。こっちにはもう時間がねえんでえ。だんな、蔦吉さんがもう、もうてえへんなんですよ。それになんだあ。だんな撃ったばあさん、警察に届けもしねえで自分とこの病院に置いときやがって、人の命と家名とどっちが大切なんでえ」
「今は絶対に安静だ」
「だいたいあの女はなあ、今じゃ名家の奥様ですとお高く止まっているがな。もとをただせば馬蹄の娘の」
「もういい。もういいんだ」
「もういいってだんな。蔦吉さんが・・・」
「もう会わないと互いに誓い合ったんだ。それにこの人も奥様もきっと良心の呵責にさいなまれているよ」
そう雷蔵が言うと、夫は病室から出て行った。
何日経ったのだろうか。
雷蔵が荷物をまとめて病室から出て行こうとすると、カーテン越しに近づく女の影がある。そして現れたのは、この病院の院長であるあの夫の娘であった。
「お父様がお母様を拳銃で撃ち殺し、その後自らも命を絶たれました」
そう放心状態の体で告げる。
ラストカットは梅の木越に、沈痛な表情を浮かべる雷蔵。そこに終の文字が重なる。
なんとも後味の悪い最後であったが、苦手な文芸作品の割には飽きることなく見ることができた。三隅研次監督の幅広い才能を感じると共に、女優•万里昌代の魅力も感じることのできた名作であった。