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執筆者の写真makcolli

友情

『友情』。 この作品は1975年、松竹創立80周年記念作品として作られた。だが現在、邦画史において、この作品が語られることはない。

埋もれた名作というよりも、完全に埋もれてしまった作品と言えるだろう。

だが、なぜ俺がこの『友情』を見たいと思ったかというと、主演が渥美清だからである。

俺はことさらに「男はつらいよ」のファンではない。いや。むしろ車寅次郎以外を演じている渥美清を見たくて、この作品を見たくなったのである。

だが世間一般のパブリックイメージから言えば、渥美清=寅さんという図式、方程式は完全に定着してしまっている。

しかし、例えば森崎東監督作品『喜劇 女は度胸』における凶暴なる渥美清を見た時、渥美清における「寅さん以外の可能性」というものが見えてきたのだ。

そのあとも見た渥美清、小沢昭一、三木のり平、露口茂と言った曲者たちが繰り広げる喜劇であり、悲劇の『スクラップ集団』や、廃坑になった炭鉱部落を根白に渥美清がスリ集団を率いる『白昼堂々』などを見たことによって、その可能性はより強度を増していったのであった。

そして『友情』である。

出だしはこうだ。父親を亡くし学費の工面に苦労をしていた学生の中村勘三郎(のち勘九郎)と、印刷会社に務めるOLである松坂慶子は、ボロアパートにて同棲をしていた。

時あたかも昭和の絵師と謳われた劇画家、上村一夫の作品『同棲時代』が人気を呼び、さらにその劇画を元にした歌謡曲であり、むしろ音痴気味の大信田礼子が歌う「同棲時代」がヒットし、それにインスパイアされた南こうせつ率いるかぐや姫の「神田川」がヒットし、若者たちの間では同棲ブームが到来していた。

三浦(勘三郎)と紀子(松坂慶子)も、そんな若者だった。

アパートの一室で若い二人はイチャイチャしていた。

だがこれが不良性感度ビンビンの東映や、官能の帝国である日活ロマンポルノであったら、勘三郎と松坂慶子は、そのままキツい一発を決めるところまでに至ったのであろうが、それはことに人間の下半身事情については穏当な松竹のことであるからそうならず、勘三郎はこの夏の計画について喋り始めるのであった。

「俺。夏休みの2ヶ月間を利用して、ダムの建設現場で働こうと思っているんだよ」

「大丈夫なの。建設現場なんてキツい仕事だそうよ」

「なに言ってるんだよ。俺はまだ若いんだぜ。ダム工事なんてへっちゃらだよ」

「でも無理だけはしないでね」

「うん。分かったよ」

三浦はボストンバッグひとつを持って、山の中にある飯場を目指した。

町の者に二時間も歩けば着くと言われたが、一向に着く気配がない。その途中で出会ったのが渥美清扮する源太郎であった。

「あのう。ここからダム工事現場までどのくらいかかるんですか」

「そうさなあ。あんたの足でもなあ。途中にこう、登り坂があるんだよ。急なな。だから三時間はかかるんじゃねえかな」

「そんな。もう二時間も歩いているんですよ」

「あんた。現場になにしに行くんだい」

「働きに行くんです」

「そうかい。それじゃあ頑張るんだな」

そのまま源太郎は何処かへ行ってしまい、三浦はまたトボトボと歩き始めた。

と、そこへ後ろからダンプがやってきて、その窓から顔を覗かせたのは源太郎だった。

「ヨッ。乗って行けよ」

源太郎が乗っているダンプに同乗させてもらった三浦は、程なくして飯場に到着した。

源太郎と三浦が事務所に入ると、そこには建設会社社長の名古屋章が待ち構えていて、源太郎に説教を食らわした。

「源さん。また平九郎かい。困るんだよ。そりゃ源さんに休まれても、こっちはその分の給料を差っ引きゃそれでいいんだよ」

「三浦さんさ。平九郎って言うのは、俺たちの符丁でずる休みをするって言うことなんだよ。覚えておいたほうがいいぜ」

「源さん。真面目に聞いてるのかい。そりゃ。あんたは独り身で気楽かもしれないけど、他のみんなは田舎もある家族もあるで仕送りをしているんだよ。それを源さん一人に、こう何回も何回も平九郎されたんじゃ示しがつかないんだよ。そこのところを、良く考えてくれよ。俺は見回りに行ってくるからさ」

「源さん。今日はこっぴどくやられたな」

と事務の男。

「そうかい。毎度のことだから俺は気にしちゃいねえんだよ。それよりよ。さっきからここにいるのは三浦さん。今日からここに働きにきたんだとよ」

こうして三浦の飯場生活が始まり、タコ部屋も源太郎と一緒になった。現場に出た三浦を待っていたのは想像以上に過酷な肉体労働だった。

この作品における勘三郎は、なかなかにいい。

いかにも都会育ちといった風な青瓢箪のような顔をしているのがいい。

最初は張り切って働いていた三浦であったが、そのうちに足腰が立たない状態に陥り、昼飯の時間も、みんなが弁当をかきこんでいるというのに、一人日陰でグロッキーしていた。

そこへ名古屋章がやってきて言う。

「おい!三浦さん!もっとしゃんしゃん働いてもらわなきゃ困るな!こっちはあんたにだって、きちんと給料は払っているんだから!」

「すいません」

そこへ源太郎が現れ、三浦をかばう。

「ちょっと親父さん。それはキツすぎるんじゃねえかい。三浦さんはよう。真面目すぎるんだよ。それで疲れちまっているのよ。もうすぐすりゃ体も慣れるからよ。なあ。大目に見てやってくれよ」

「源さんがそこまで言うならいいけどよ」

「俺に任せておけよ」

「源さん。すいません」

と三浦。

「いいのよ。親父は工事が思うようにはかどらなくて、イライラしているのよ」

その夜。三浦はタコ部屋で源太郎からマッサージを受けた。

だが、ここまでダム工事現場のシーンを見てきて、何か違和感を覚えてしまったのも確かなのだ。

70年代の飯場なんて言ったら、むくつけき男たちが集まる一種、堅気の世界とは思えない光景が広がっていたように思うのだが、この作品における飯場は牧歌的過ぎるのだ。

みんな夜なんてテレビで野球中継を見て満足しているのだが、頭の中まで筋肉の塊のような男たちがそんな物で満足する訳があるまい。

その日のキツい仕事を吹き飛ばすために、酒を煽るなんてことは当たり前だっただろうし、博打の一つや二つもやったことだろう。

そこに青瓢箪みたいな顔をした大学生なんかが入ってきた日には、恐喝まがいのことをされて、飯場の洗礼を浴びただろうし、下手したら寝ている間にオカマを掘られるなんて言う結末が待っていたのかも知れない。

しかし、この作品に出てくる飯場の男たちは、酒を飲むこともなければ、博打をすることもない。ましてやオカマを掘るなんてこともないのだ。

つまり俺は何が言いたいのかというと、そんな飯場の男たちは人間臭くない、薄っぺらである、嘘じみた登場人物でしかないということが感じられて仕方ないのだ。

それはこの作品の、特に前半部分に関して共通して言えることである。

その後、三浦は体が慣れてきて、ドカチン仕事もこなせるようになってきた。ツルハシやシャベルを握る姿も板についてきた。

源太郎と一緒に町に出て酒を飲むなんていう時もあった。ちなみにその居酒屋の女将は、中原早苗であった。

このまま三浦は飯場に同化して行くのだろうなと思った時、三浦の乗ったトラックが横転した。しかし、このシーンがやはりおかしい。

最初にトラックが走っているカットがあって、次のカットになると名古屋章が電話口で、

「なにい!うちのトラックが事故を起こした!?」

と、パニックっているのだ。そして次のカットになると、横転したトラックが写っていて、そこから怪我をした三浦が姿を現す。

肝心のトラックが横転した瞬間はどこに行ったのだ。これは意図的な編集なのだろうか。それとも予算的な関係で、トラックの横転シーンを撮らなかったとすれば、松竹も自社の80周年記念作品に、それほど力を入れていなかったということになるだろう。

頭から血を流して、

「大丈夫です。僕は大丈夫です」

なんて言っていた三浦だが、そのまま倒れ込んで病院送りになり、左手が骨折していることが分かった。病院に駆けつけた紀子は涙を流したが、当然、三浦の飯場生活は続行不可能になり、東京へと戻ることとなった。

三浦がバス停でバスを待っていると、そこへ源太郎が現れた。

「源さん。仕事はどうしたんですか」

「また平九郎よ」

「僕を見送りに来てくれたんですか」

「まあ。そんなところよ」

「ありがとうございます」

「奥さんと一緒に達者で暮らすんだぜ」

三浦が乗り込んだバスが、バス停から遠ざかっていく。三浦は窓から身を乗り出して、源太郎にいつまでも手を振っていた。

東京に戻って再び紀子との同棲生活を始めた三浦であったが、手を自由に使えないということもありくさくさしていた。

「つまんないよ。これじゃあまるで籠の鳥と同じだ」

「仕方ないじゃないの。手が治るまでの我慢じゃない」

「俺パチンコに行ってくる」

「いいの」

「えっ」

「あなたが半月間一生懸命になって働いて作ったお金じゃない。パチンコなんかに使って」

「もう。パチンコをやりたい気分なの」

そう言ってアパートから飛び出した三浦であったが、やはり気が引けたのか、きびすを返しアパートに戻って行った。

これもおかしいと言えばおかしい。イライラしている男が、女から細かいことを言われれば、キレたりしても不思議ではないし、下手をすればドメステックバイオレンスでも働いていたかも知れない。修羅場に発展していたかも知れない。もしくは、俺が作った金だよと言って風俗に直行したかもしれない。しかし、そうはならない。

何かこの作品には、すべてのことが治りのいい方向へと向かっていく傾向がある。

だが三浦がくさくさしている理由は、手を骨折しているということ以外にもあった。

それは三浦が飯場に行っている間に、紀子の叔父である有島一郎が訪ねてきて、三浦との関係を解消しろと言ってきたのだ。

紀子にすでに父親はなく、有島一郎は紀子の後見人を気取っていた。そして三浦はただ紀子を利用しているだけだと紀子に忠告し、今度は直接三浦に会って、話をつけてやると息巻くのだった。

その話を紀子から聞いた三浦は、くさくさせずにはいられなかった。

そんな三浦がアパートで暇を潰していた時、同じアパートに住むオバさんが、電話だよと言って部屋に現れた。このアパートは電話も共同なら便所も共同であった。

日本にもそんな時代があった。

「えっ。誰です。僕に電話っていうのは」

「それが警察からなのよ」

「け、警察?」

所轄の警察署から三浦に電話が入った。聞けば東京に出てきた源太郎が酒に酔って、喧嘩を起こし、身柄を拘留されているというのだ。

三浦が警察署に赴くと、釈放された源太郎が出てきた。

「すまねえな。三浦さん」

「どうしたんですか。源さん」

「いや。昨夜、繁華街で喧嘩が起きたという通報が入ってね。現場に着くと、泥酔したこの男だけがおってね。それで保護したという訳なんだよ。あなたを身元引き受け人ということにすれば、このまま帰ってもらってもいいのだが」

「三浦さん。東京ではあんたしか頼れる人がいなくてな」

三浦は必要な書類を書き終えると、源太郎と一緒に警察署を後にした。

だが、このシーンもおかしいと言うか、拍子抜けするというか、肝心なところが写っていないのだ。 仮にどうだろう。夜のネオン瞬く街で、あるいは暗がりの横丁ででもいい。渥美清が乱闘を繰り広げている様を想像してみて欲しい。そのシーンがあるだけでも、作品のトーンはガラリと変わっていたかも知れないし、渥美清という役者のイメージも変わっていたかも知れない。

俺の弟は言った。

渥美清も深作欣二の実録ヤクザ映画に出て、ひと暴れでもしていたら随分と違っていただろうにと。確かにそうだ。その時、渥美清は自身の壁を突破した突破者(トッパモン)になっていたことだろう。一生を「車寅次郎という檻」の中に閉じ込められることもなかっただろう。それをできる才能を持った人だっただけに、悔やまれるのである。 「どうです。源さん。うちに来ませんか」

「いやあ。そんなの悪いなあ」

「構わないんですよ。どうせ暇にしていたんだし」

「そうかい。それで三浦さんは、どこに住んでいるんだい」

「戸越銀座ですよ」

「銀座?随分と洒落たところに住んでいるだな」

そして二人は戸越銀座で買い物をして、アパートへと帰った。すでに飯場にて意気投合している二人は、魚屋で毛蟹をたくさん買ってきて、それを酒の肴にして酒盛りを始めた。

「それにしても源さんは、毛蟹が好きなんですね」

「いやね。俺が生まれたのは海の近くでさ。こんな物、ガキの時分によく食っていたのよ」

「そうだったんですか」

そう三浦が言うと源太郎は、興に乗ってどこかの漁師唄を歌い始めた。

そこへ紀子が帰ってきた。

「おっ。紀子。この人が源さん」

「あっ。奥さんですか。突然お邪魔しちゃって、すいませんね」

「いえ。いいんですのよ。噂はこの人から聞いていました。建設現場ではお世話になったそうで」

「いや。そんなことはね。どうでもいいんですよ。それよりも奥さんもちょっとどうですか」

「いや。私は帰りに食べてきちゃったんですよ。どうぞ気にしないでください」

「そうですか。それじゃあ遠慮なくいただきますよ」

そう言うと源太郎は、また毛蟹を頬張り始めた。

そのまま源太郎は、三浦のアパートに泊まった。

源太郎と三浦と紀子は川の字になって寝た。どのくらい夜も更けた頃だろう。源太郎はむくりと起き上がると、腹を押さえてそのまま共同便所に駆け込んだ。それを追うように三浦も便所に駆け込んでくる。二人は毛蟹を食べたことによって、食あたりを起こしたのだ。

だが、どうだろう。このシーンを東映のアナーキスト・中島貞夫あたりが撮っていたら、二人が便所に駆け込むところに強烈に、

ブピーッブピピピピ!ブッピッ!ブピッピッ!プピッピッ!ブーッピピピピ!ブッピッ!プッピーッ!ブッ!

と、ウンコをひりだす擬音を入れていたことであろう。下品こそこの世の花と、容赦のない演出を施していたことだろう。だがこの作品の監督、宮崎晃という人はそうはしなかった。

先に書いたように、おいしいシーンはあるにはあるのだが、それを活かせていないということが、この人の限界であったのだろうか。その後、宮崎晃という名前を映画界で聞いたことは寡聞にして知らない。松竹の優等生は、山田洋次一人でたくさんだ。

しかし、その中でも救いだったのは、もうウンコ漏らしちゃうギリッギリッの人間の表情を渥美清が作り出したことであった。その表情の様に、さすが渥美清という感を抱いたのである。

食あたりを起こした三浦と源太郎は寝込み、松坂慶子に病院からの下痢止め薬を持ってきてもらい服用したが、源太郎のほうが重症であった。

そこへいよいよ有島一郎が訪ねてきた。ちゃぶ台を挟んで座った三浦と有島一郎。

「だいたい君は紀子のことをどう考えているんだね」

「今は同棲をさせていただいています。でも将来のことは分かりません」

「分からないって言うことは、どう言うことなんだ。それじゃあ無責任すぎるだろう」

「下手に結婚を約束してしまうことのほうが、無責任だと思うんです」

「本音が出てきたな。君は学校に行っているのだって、紀子に助けてもらっているんだろ。学校を辞めるのか紀子と一緒になるのかどっちなんだ」

「それは・・・」

「叔父さん。やめて。私の方から学校はやめないでってお願いしたの。それに私も無責任に将来を約束するよりは、今はもっとお互いのことを理解したいのよ。叔父さんにはこの考えは理解できないわ」

「紀子。この男はな。お前のことを利用するだけ利用して捨てるつもりなんだ。こんな男とはいますぐ別れなさい」

そのやりとりを寝たまま背中で聞いていた源太郎が、ついに口を開いた。

「やい!じじい!さっきから聞いていりゃあなんだ!若い二人に向かってああでもないこうでもないって言いやがって!」

「あんたは関係ないじゃないか!黙っていてくれ!」

「関係大ありよ!俺とこの三浦さんは、飯場で一緒の飯を食った仲なんだ。そんなにこの二人が信用できないのかい。三浦さんもいい人だしよ。奥さんもいい人じゃねえか。若い二人を信じてやりなよ」

公園のブランコに座っている三浦と紀子。

「叔父さん。呆れて帰っちゃったわね」

「ああ。でもおかげで助かったよ。なあ。紀子」

「なあに」

「源さんが二人で一緒に旅行に行かないかって言っているんだよ」

「どこへ」

「広島の尾道のほうだってさ。瀬戸内海が見えるいい所だって言っていたよ」

「行ってくればいいじゃない」

「えっ。本当にいいの」

「最近、くさくさしていたでしょ。気分転換にいいと思うわ」

「ありがとう」

そして三浦と源太郎は、下りの新幹線に乗る人となった。

「源さん。そんなにお酒を飲んでもいいんですか。またお腹が下りますよ」

「なあ。三浦さんよう。俺たちの乗っている新幹線は下りなんだよ。だから構いやしねえよ」

「また下らないことを言って」

しかし二人が山陽地方のある駅で降りた時、源太郎がまたしてもウンコ漏れそうになって、便所に駆け込んだのには笑った。

その日、二人は瀬戸内海が見えるある旅館に泊まった。

「源さん。先にお風呂入らせてもらいましたよ。どうです。源さんも」

「うん」

窓辺に座る源太郎は、そのあと三浦が何を問い掛けても、うんとかああと言った気の無い返事しかしない。

「どうしたんです。源さん。また具合でも悪いんですか」

「なあ。三浦さん。俺の話を聞いてくれよ」

「はい」

「実は俺には女房もいるし子供もいる。それに親父だって、まだ健在だろう」

「えっ。じゃあ。飯場で言った身の上は」

「嘘ついてごめんな。最初は俺も仕送りをしていたのよ。それがあっちの飯場、こっちの飯場って渡り歩いているうちによ。なんだか面倒臭くなってきちまったっていうか。ここから連絡船で渡った小島が俺の故郷で、そこにまだ女房も子供も親父もいるはずなんだよ」

「どれくらい帰ってないんですか」

「そうさなあ。もう。5年、いや6年は帰ってないと思う」

「それで急に里心がついたっていう訳なんですか」

「なあ。三浦さん。頼む。一緒に来てくれないか。俺は一人なんかじゃあ、とても家には帰れないんだよ。一緒に来てくれよ」

翌朝。三浦と源太郎は船着場にいた。しかし、JALのバッグを持った源太郎は態度を急変させ、

「三浦さん。やっぱり俺はダメだよ。あんた一人で島に行ってくれよ」

と言い出し、逃げるように船着場を後にしてしまった。残された三浦は島に渡るしかなかった。

三浦は島に着くと食堂件民宿をやっている一件に入った。そこに待っていたのは、主人に扮した加藤嘉であった。

「あのう。この島、出身で源太郎という人をご存知でしょうか」

「源太郎。あんた源太郎の知り合いなんか?」

「はい。源太郎さんに島の様子を聞いてきて欲しいと言われまして」

「この島で出稼ぎに行って、それっきり行方が分からなくなったのは源太郎一人だけですわい。それで仕送りが入らなくなってしもうた嫁さんは、子供と親父さんを抱えて困ってしまって」

「それで」

「それが源太郎の幼なじみで、健太という男がいましてな。こいつがいい男でして、次第に源太郎の嫁さんといい仲になったんです。それで源太郎の子供も親父さんも引き取り、今では仲良くやっておりますよ」

「そうだったんですか」

夕暮れ時の島を、それとなく散策する三浦。その目に映ったのは、すでに活気を失い寂れてしまった島の光景だった。

するとそこへ、赤ん坊を抱いた女が現れた。

「あなたは」

「源太郎の妻です」

「源さんの」

「あの人は元気なんですか」

「はい。波止場までは一緒に来たんですよ。それが急に嫌だなんて言い出して」

「あの人も悪い人ではないんですよ。ただ気が弱いところがあって。私も聞いた話なんですが、あの人悪い女の人に稼いだお金を騙し取られてしまったらしくて、それ以来仕送りもしてこなくなったみたいで」

「そうだったんですか」

「あの人に会ったら伝えてください。私たちは元気で暮らしていますと」

「分かりました」

その後、加藤嘉の宿に戻った三浦は二階の部屋で、浴衣に着替えて寝転んでいた。

すると階下から男たちの歌声が聞こえてくる。三浦はそれが気になって、階段を降りて行った。

「あっ。お客さん。騒がしかったかのう」

「いや。僕にもお酒ください。冷やでいいんで」

「はい。こいつらも昔は腕のいい漁師だったんですよ。それが魚が滅法穫れなくなってしもうて、島の男たちも出稼ぎに行かにゃあ食っていけんようになったんです」

「そうだったんですね」

すでに漁師ではなくなってしまった男たちの漁師唄。その唄を男たちは、なかばヤケクソで歌っているようであった。そして、その歌は確かに源太郎が飯場で歌っていたあの唄に似ていた。

ここに至って、この作品が松竹喜劇作品群、中でも前田陽一監督や森崎東監督作品との共通性を感じさせるものに見えてきた。

つまり、それらの作品群に描かれていたものは、喜劇作品でありながらも、日本の高度経済成長に取り残されてしまった者たち。その中で底辺に生きる者たちの姿であった。

源太郎の故郷の島がまさにそうであり、源太郎自身がそういった人間であることは、もはや自明であろう。

翌日。

三浦が帰途につき波止場に向かおうと歩いていると、反対側から源太郎が歩いてくるのが見えた。

「源さん。何をしているんですか」

「何をって、俺はこれから自分の家に行くのよ」

「ダメですよ。これからでもいいから僕と一緒に帰りましょうよ」

「なんでだよ。俺は自分が生まれ育った家に帰るんだよ。三浦さんも一緒に来てくれるだろ」

「まずいんですよ」

「何が」

「僕は怖いんですよ」

程なくすると茅葺の一軒家が見えてきた。その玄関から土間へと入ってゆく源太郎。恐る恐る三浦も続く。

座敷に座っていたのは笠智衆であった。

「親父」

しばらく笠智衆は無言であったが、源太郎に向かって、

「帰れ!帰れ!」

と二度言った。その声に反応してか、またしても赤ん坊を抱いている妻が現れたが無言のまま立ち尽くしていた。そこに二人の子供が姿を見せる。

「おお。お前たち大きくなったなあ」

「お母ちゃん。このおじちゃん、誰」

三浦も含めて、その場の一同がたまらない空気、雰囲気を感じていた。

「農協の連絡の」

そう言って勝手口から入ってきたのは健太であった。

「健太」

と、源太郎。しかし健太の表情が強張る。たまらずに三浦は玄関から出て行ってしまった。

赤ん坊を抱いていた妻は、そのまま奥の部屋に行き、そこで泣き崩れた。妻が抱いていた赤ん坊が、健太と妻との間の子であるということぐらい、源太郎にも察しがついたことだろう。

シーン変わって、またもや加藤嘉の食堂。そこで源太郎は、親子丼を食べている。

「それにしても懐かしいなあ。それでもよお。このまずい親子丼の味は変わらないぜ」

「そうかのう。あっはははは」

窓から源太郎のことを、物珍しい動物でも見るかのように覗いている島の衆。

「なにもそんなところから眺めとらんで、こっちに入ってきんさいや。みんな知った顔やないの」

船が描く波濤。

連絡船の最後尾でしゃがみ込み、号泣する源太郎。それをただ見ているしかない三浦であった。

東京に帰った三浦は、公園で紀子に旅の顛末を伝えた。

「源さんにそんな悲しい話があったなんて信じられないわ」

「それがあったんだよ」

「それで源さんは、どうしたの」

「笠岡の駅で別れて、広島の飯場に行くって言っていたよ。それで最後にこうも言っていたよ。僕と紀子が結婚しなきゃ俺が承知しないぞって」

「まあ」

作品はここで終わる。

しかし、俺にはその後の源太郎の人生の方が気になって仕方ないのだ。広島の飯場に行った源太郎のその後が。

日本も少なく考えても90年代までは、ダム工事などの大規模ゼネコン工事はあっただろう。

そして、それに伴う肉体労働者も必要とされていただろう。だが現在、それらの仕事もなくなり、またそれらに従事していた労働者も高齢化していった。

あの日、故郷を失った源太郎の姿を大阪、釜ヶ崎で、東京、山谷にて、横浜、寿町で見ることはないだろうか。そして、寿町夏祭りで躍り狂っていた男たちの一人ひとりが、実は名もなき「源太郎」だったのではないかと。

そんな切ない思いを抱かせる一本であった。

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