脚本・新藤兼人。監督・吉村公三郎コンピによって製作された映画は、なぜこうも面白いのだろうか。
ドラマの一つのパターンとして、序盤は見ていても、人間関係の相関がいまいちよく分からないが、終盤に向けて全体像が浮き彫りになり、クライマックスへと一気に向かっていくというものがある。
映画『暴力』もそのパターンを踏んでいて、新藤兼人の才能が光る。
その『暴力』のファーストシーンは、列車に飛び込み自殺をした若い娼婦の死体が発見されるところから始まる。礫死体には、現在のブルーシートではなく、ムシロが被せてあり、その時点でこの作品が公開された1952年という時代性を感じさせる。
死体は警察の調べによって、連れ込み旅館のことぶき屋に関係のある女のものだということが分かり、ことぶき屋に持ち込まれたが、その主人である山田は、
「もう。えらいことしてくれたなあ。この不景気に葬式出すなんてかなわんで」
と逆に迷惑がるのであった。
そのことぶき屋があるのが、大阪でもディープサイドの新世界などを中心とする天王寺地区。
俺も新世界、そこから続くジャンジャン横丁などには何回か行ったことがあり、その時なぜか初めて行った場所なのに郷愁にも似たものが胸の中に湧いてきたことを覚えている。 きっとそれは天王寺地区、新世界、ジャンジャン横丁、飛田新地、釜ヶ崎が日本の中においても強くアジアを感じさせる場所であるのと同時に、高度経済成長から取り残されたようなかつての日本の都市の面影を残しているからかもしれない。
だが俺が天王寺地区を訪れたのは90年代のことである。52年の天王寺地区は、少なく言ってもその5倍は活気があり、まさに生馬の目を抜く状態であることが『暴力』には活写されている。
迷路のように入り組んでいる街路。その両脇にひしめいているバラックの店舗。一杯飲み屋。串カツ屋。大衆食堂。うどん屋。寿司屋。囲碁に将棋屋。ストリップ劇場。映画館。遊戯場などなど。
そこに押し寄せる人の群れは、戦後間際ということもあって、人間の欲望を全面に晒すことになんの恥じらいも感じていない。
新世界の成り立ちなどを考えれば、それは戦前にまで遡ることができるのだろうが、50年代におけるそこはある種闇市と化していたようである。
その群衆がうごめく姿を見下ろす高架橋の上で、男は女に話し始める。
「戦後になって大阪を舞台にした小説もずいぶんと出てきましたが、私の見るところでは本当の大阪の姿を描いたものはありませんね」
そう言うと男は女流小説家と思しき女を連れ立って、カオスと化している人いきれの中を歩き始める。
「ここにいる者たちはみんな訳ありな者たちなんですよ。流れ者。あぶれ者。すり。ひったくり。強盗。前科者。きょう刑務所から直行してきた者だっているんですよ」
女流小説家はカメラのシャッターを押しながら聞く。
「ここにいる人たちは何をしに集まっているんですか」
「なに。目的なんてありゃしないんですよ。強いて言えば、ここに集まること自体が目的でね」
雑踏の中にはルンペンや完全に風景と同化している乞食などもいる。
この男が女流小説家に街の様子、そこに生きる人々を説明すると言うのが秀逸に思えて、男の言葉は女流小説家に向けられているのと同時に、観客にも向けられている、つまりナレーションの役割を果たしているのだ。
それをまた秀逸なカメラワークで、街を活写するように描き出している映像。
「ここにいる人間は税金だって払っていないんですからね。ある種の治外法権とでも言うんですかな。あ。あそこを行くあの娘ね。この辺ではちょっとした顔なんですよ」
女流小説家は、その娘にカメラを向ける。
「なに勝手に撮ってんねん!どうせカストリ雑誌かなんかに載せる気やろ!」
その娘こそ、この作品の主人公であり、ことぶき屋の娘である孝子なのであった。 知ったかぶった物言いになるかも知れないが、このような治外法権的場所、空間を文化人類学の用語でアジールと言う。日本史の中でも中世には、このアジールがところどころに生まれ、その中に身を投じてしまえば公権力もおいそれとは手を出せない場所であった。
だがアジールはユートピアではなく、その中で生きるには生存競争に身を晒さなくてはならなかった。俺は日本史の中において、最後に出現した大きなアジールこそ闇市であったと思う。
その混沌の中に人の熱量が放射する街の片隅に、一軒の喫茶店があった。そこに若い二人の男がいて、一人の男がもう一人に新聞を差し出した。
「なんでえ。東京の新聞じゃねえかよ」
紙面を見ると、そこには自動車強盗犯として、二人の顔写真が載っていた。
「このままここにいるのもまずいな」
「ああ。近いうちにもっと遠くまで逃げた方がいい」
そう二人が言っていると店の中に長髪に髭を生やし、よれよれのスーツを着た老人がビッコを引いた犬を連れて現れて、萩原朔太郎の詩を朗々と詠じてまた店外に出て行った。
「なんだい。ありゃ」
「ははは。文学気狂いですよ」
と、喫茶店の店主である娘。
文学気狂いと呼ばれている老人は、詩を詠じながら、雑踏の中に消えて行った。 外では喧嘩が始まり男と女流小説家は見物していたが、喧嘩で倒された男が流血するのを見て彼女は卒倒した。 女流小説家は、そのまま男に夜の大阪の街を案内されていた。そこは天王寺地区とはまた違うネオン瞬くビル街であった。
「ほら。あそこにもここにも若い娘たちがいるでしょ。あれはみんなパン助なんですよ」
なおもシャッターを切り続ける女流作家。
「最近では昼は会社勤めをしていて、夜はパン助で稼ぐっていう娘も珍しくなくて、新世界あたりから出張してくる者もいるそうですよ」
自動車強盗の二人は何をするでもなく橋の欄干から、夜の川面を眺めていた。その二人を陰から伺うように立っていた孝子。
その出立ちは明らかに普通の女とは異質で、妖艶さとお洒落さを同時に兼ね備えていた。二人に近づく孝子。
「どう。お二人さん。ちょっと付き合ってくれへん」
二人は孝子の言うままに着いていくと、到着したところは例の連れ込み旅館、ことぶき屋であった。
「ここで休憩していきひん。二階に部屋があるから休んで行ってえな」
二人はまた孝子の言うとおりにして、玄関で靴を脱ぐと、そのまま階段を上がって行った。
孝子は仕事が終わったと言う風でドレスを脱ぎながら、
「あーあ。最近はいいカモがおらへんわ。客を探してくるにも苦労するで」
と言いながら、ちゃぶ台で夕飯を食べ始めた。
ことぶき屋はそのまま孝子の実家になっていて、そこには妹の静子と母のセツがいたが、静子は盲目で普段は家で点字を打ったり、裁縫をしたりしていた。
二階にいた男二人のもとには、二人のパンパンが現れた。
父の山田も茶の間にいたが、刺青を入れたヤクザ者、どっかのオバはん、懇意にしているストリップと女剣劇と映画を三本立てで入れ替えなしで上映している劇場の館主である富坂と麻雀をしていた。
「おい。セツ。はよ。肩もめや」
「へ、へい」
「そんなんやあらへんて。もっと強くもめや」
「へ、へい」
セツは亭主である山田に対して、恐怖心を抱いているようであった。
その時、二階で物音がして一人のパンパンが階下に降りてきた。
「お客さんが話が違う言うてんです」
するとあの二人が降りてきた。
「なんだよ。話が違うじゃねえかよ。俺はあの娘と寝られると思って着いてきたのによ。こんな田舎娘みたいなパン助、あてがいやがって」
「なに。このガキ。今更つべこべ抜かしくさって」
刺青を入れている男は、実は強盗犯の男にビンタを喰らわした。
「なんだよ。こっちはもう3000円払っているんだよ。金返せよ」
「アホンダラ。お前らみたいなのに今更金なんて返せるかい」
今度は山田が男にビンタを喰らわした。
「へえ。そういう仕組みかい。随分あこぎな商売をするんだな。きょうのところは帰ってやるぜ」
「なに言うてけつかんじゃい。このくそだぼ。お前らなんか二度とくるな」
このことから見て、山田とその取り巻きがカタギの者でないことは確かなのである。そして劇場館主の富坂は、密かに孝子のことを狙っていて、そのことについては山田と既に話はついていた。
例の強盗犯の二人は、またあの喫茶店にいた。どうやらここが彼らの仮の隠れ家らしい。
「ちきしょう。いまいましいぜ」
「まあ。いいじゃねえかよ。たかがバン助のことでよ」
「いや。俺はどうにかしてやらなきゃ気がすまねえんだ」
孝子はある日、富坂からことぶき屋ではない連れ込み旅館に呼び出されていた。ビールを飲んでいる富坂。その奥の部屋には布団が二つ敷いてある。
「まあ。家族三人が一緒になって暮らしていられるのも山田のおかげや。実の親やない言うても感謝せなあかんで」
「そんな説教くさいことを言いにあてを呼び出したんどすか」
「まあ。こっちにきて座りいな。一杯どや」
「あて、七面倒くさいことが嫌いなんどす。おっさんと山田の間で、あてをどうこうするのと話が決まっていまっしゃるのやろ。あて、そんなことまっぴらですさかい」
「そんなこと言うてもうたら身も蓋もないわ。まあ。こっちにきて座りいな」
「あて、ここの方がいいんだす」
そう言って孝子は窓際に座っている。そこへ妹の静子が孝子を迎えにきた。
だが彼女は盲目。ここまで辿り着くには大変であった。彼女が道路を渡ろうとしても止まってくれる車はない。歩道ぎりぎりのところにいる静子。失踪する車。突然、その失踪する車の映像が写真で言うならネガフィルムのような色が反転した感じで映し出される。
これには一瞬驚いた。ここまで書いていなかったと思うが、この作品はモノクロ作品なのである。その中でも映像的な実験による効果を導入する吉村公三郎の大胆さに驚いた。
静子はその後見かねた靴磨きの少年に手を引かれて、孝子がいる連れ込み旅館までやってきた。
「妹が迎えにきたんで、あていなしてもらいますわ」
「ちっ」
孝子と静子は公園のベンチに座って、アイスキャンデー(当時はディーではなく、デーと発音していた)を食べていた。
「なあ。しーちゃん。アイスキャンデー、美味しいな」
「うん。美味しい。姉ちゃん。きょうの空は綺麗か」
「ああ。綺麗や。雲ひとつないで」
「さよか。でも、うちらの本当のお父ちゃんはどこに行ったんやろな」
「そうやな。そうや。しーちゃん。映画を見に行かへんか」
「うん」
この時、目を閉じながらサングラス越しに空を見上げる静子の顔のアップが清々しい。 映画館ではアメリカ人がモーターボートに引っ張られて楽しむ水上スキーの様子が上映されていた。その様子を静子に説明してやる孝子。
すると館内に丸刈りの少年が現れ、巡査を探し始めた。少年は売店で油を売っている巡査を見つけると屋外に連れて行った。
外では飲食店の店主が、ルンペンに扮した我らが殿山泰司を叱り飛ばしていた。そこへ駆けつける巡査。
「お前。最初から無銭飲食するつもりやったんやろ」
「へ、へい」
「このガキャ。なんてこと言うてけつかんねん」
「まあ。まあ。あんたも最初からこの身なり見たら分かりそうなもんや。注意せなあかんで」
「そんな。無茶苦茶な。食い逃げしたのは、このガキだっせ。キツく言うておくれやしゃ」
次第に見物人が多くなってくる。そこへ孝子が現れる。
「ほんま、ほんまにすんまへん。いくらでっしゃろか」
「あんた。このガキの身内のものなんけ」
「そんな者です」
孝子は店主に金を払い殿山泰司を、天王寺公園の中にある美術館の前の階段まで連れていき、二人はそこに座った。
「またお父ちゃん。食い逃げなんかしようとして、あかんやないの」
「もう。腹が減ってな。我慢できなかったんや。どうや。元気でおるんか」
「どうもこうも。山田のヤツうちらをいいようにしているんや。お母ちゃんをこき使って、あてにはポン引きをさせて。あんなヤツ、親と違うで」
「さよか。ワシがシベリアに抑留されている8年の間になあ。セツのやつを責めてやってくれるなよ」
「それは分かっているけどな。お父ちゃん、この街から出て行ってくれへんか」
「ワシもここにいては、お前らに迷惑をかけることは分かっておるんや。せやけどな。一度この街に入ってまうと、抜け出すに抜け出せへんのや」
「あてらも同じや。もがいても、もがいてもこの街から抜け出せんのや」
山田は近所の派出所で油を売っていた。そして巡査からある書類を見せられた。
「なんでんねん。これ」
「ああ。東京で自動車強盗をしでかした二人なんや。なんでも、このへんに潜り込んでいる言う情報が入ってな。このへんでは顔の広いあんたや。どこぞで見かけたら教えてえな」
「この二人の顔。どこぞで見かけたことがあるなあ」
夜。孝子は例のごとく橋に立っていた。そこに近寄ってくる強盗犯の片割れ。
「よう」
声をかけられて振り向き孝子は一瞬ハッとした。
「ちょっとそこまで顔を貸してくれないかい」
「ええわ」
人通りの少ない路地裏のさらに空き地のようなところに男は孝子を連れ出した。
「この前はよくやってくれたな。礼はさせてもらうぜ」
「なんやと」
男は孝子の顔にビンタを喰らわし、そのまま地面に押し倒した。そして彼女のハンドバッグに手をかけた。
「こいつは貰っていくぜ」
そう言うと男は暗闇の中に消えて行った。そして男が戻った場所は例の喫茶店だった。 「あっはははは。俺は胸がスカッとしたぜ」
「お前もなかなかやるじゃねえか」
そう二人が笑っているところへ孝子が現れた。
「ちいとあてをなめてもらっちゃ困るで」
「!!」
「せやけどな。あんさんらもなかなかイカしているで。どや。一緒に飲みに行かへんか」
屋台で飲み始めた三人はすぐに意気投合して、どんどんメートルをあげていった。
「こんなん終わりとちゃうで。場所変えてもっと飲むでえ」
「そうだ。そうだ。今夜は徹底的に飲んじゃうんだからな」
三人は夜の街を肩を組みながら叫声をあげて歩いていた。男の足に何かが触れた。
「あれ。なんかぶつかったぞ」
「ちょっと待っててな」
男の足に触れたその〝何か〟とは暗闇の中で体を丸めて街路に寝ている殿山泰司なのであった。
孝子は何枚か札を殿山泰司に渡すと、
「これで酒でものみい」
と言った。
「なんなんだ。あれは」
「あてのお父ちゃんでルンペンをしてるんや」
「なんだあ。姐ちゃんも苦労しているんだな」
居酒屋の中でさらに飲み始める三人。飲めや歌えやの大騒ぎが繰り広げられる。そのうちに店内では喧嘩が始まり椅子やさまざまなものが飛び交い始めるが、そんなことには構わずに飲み続ける三人。
「いいぞ。もっとやれい。もっとやれい」
気づくと三人は公園の芝生の上で寝転んでいた。
「なんか。いい気分だなあ」
「ねえ。二人ともどこからきたん」
「東京だよ」
「何しにこの街にきたん」
「えっ。もっと遠いところへ行くためさ。なあ」
「う、うん」
「遠いところって」
「し、四国に知り合いがいるんだ。なあ」
「あ、ああ。農場をやっているやつがいてさ。一緒に働かないかって言っていて」
「どこの港から船は出るの」
「神戸さ」
「ねえ。あても連れて行ってくれへん」
「で、でも時間がないからなあ」
「明日の朝にはもう船は出るんだ」
「ほんなら。家族と相談してみるさかいに。どうや。今晩うちに泊まらへんか」
「う、うん」
こうしてまたしても強盗犯の二人は、ことぶき屋の二階に上がることになった。そこに山田の姿はなかった。
「えらいご馳走やな。食べていいんか」
「それはお父ちゃんのぶんやで」
「なんや。山田のか。どこ行ったんや」
「麻雀らしいて。あれでもお父ちゃんはお父ちゃんや。ないがしろにしたらあかんえ」
「お母ちゃん。しーちゃん。一緒に四国に行かへんか。農場で働ける言う話があんねん」
「そんな急に言われてもな」
最初は承知していなかったセツであったが、孝子が熱心に進めるので、静子と三人で男たちを頼って四国にいく決心をした。そこへ山田が富坂を連れて帰ってきた。
「おい。静子。お前、富坂さんのお相手したれ」
「それはあてがしますさかい」
「お前は黙っておれ」
セツを制して山田はビールを持って、静子を連れて富坂が待つ部屋の襖を開けて、そこに静子を座らせた。
「静子。富坂さんにサービスするんやぞ。早くお酌してやらんかい」
「へ、へい」
「まあ。そんなにやいやい言わんでも」
「ほな。ワシはこれで」
部屋は富坂と静子の二人きりになった。
例の強盗犯の二人は思案していた。
「四国の農場なんて言っちゃったけどよ。どうしよう」
「兄貴も案外、人のいいとこがあるんだな。このままずらかっちまおうじゃねえか」
「そうだな。俺はちょっと便所に行ってくるぜ」
一人の男は二階にある便所に向かった。その様子を見ていた山田の目は釘付けになった。それは、そこにいた男が手配書に載っていた男だったからである。山田はそのまま派出所に向かった。
富坂と静子。
「しーちゃん。幾つになったんや」
「へい。18になりました」 「さよか。たかちゃんも別嬪やけど、こうして見るとしーちゃんも別嬪やな」
それはやはり静子が見ている世界なのだろう。またしてもネガフィルムのような感じで富坂が映し出される。
「しーちゃん。もっとこっちにきいな。お酌してえな」
「へ、へい」
強盗犯の男たちは、それでもこれからどうするか部屋で思案に暮れていた。その部屋の襖が急に開く。
「な、なんかの勘違いじゃないですか」
廊下には警察官たちが並んでいた。男は警察官の隙を突き、二階の勝手口から庭に降りている階段を下って逃げようとしたが、庭には既に警察官の姿があった。
「ふっ。うまいことできてんだな」
二階から手錠で繋がれた二人が警察に伴われて降りてきた。
「!?」
「ごめんよ。農場なんて嘘ついちまって」
「こいつら強盗犯やったんや」
と山田。静子は玄関に腰を下ろした。そこへ激しい雨が降ってくる。静子の折れた心を打ち付けるような雨。静子にとっては男たちの言っていた四国の農場行きだけが、この街、この生活から抜け出せる唯一の望みであったのだ。
その玄関に殿山泰司が現れ、山田に向かって言った。
「わ、われ。娘を返せ。女房を返せ」
「なにおう。このルンペンのくせして、大きな口を叩くな」
取っ組み合いになる二人。ステッキで殿山泰司を滅多撃ちにする山田。
「殺せえ!殺せえ!」
「われなんか殺す価値もわらへん!さっさっといにさらせ!このクソガキ!」
殿山泰司は山田の暴力によって、追い払われた。その時、二階で大きな物音がした。
「静子!」
叫び声を上げるセツ。富坂はそそくさと逃げた。孝子が二階に行ってみると、例の勝手口の階段から落下して、庭で雨に打たれている静子の姿があった。
その傍らには割れた金魚鉢があり、水で溢れた地面では金魚がぴちぴちと跳ねていた。
すぐさま屋内に運ばれた静子であるが、体の痛みからうめき声をあげている。
「しーちゃん。心配せんでもいいからな。すぐにお医者さん連れてくるさかいな」
「医者なんか連れてこんでもええ。ほっておけば、そのうちに治るやろ。わしゃ麻雀に行ってくるからな」
その言葉を聞いて孝子の中の何かが振り切れた。台所に行き包丁を握る孝子。次のカット。ことぶき屋の玄関からよろめきながら出てくる山田の姿。
ここは非常に効果的である。一番肝心なところ。ここで言えば山田が孝子に刺される瞬間が映っていないのだ。吉村公三郎は、このような手法をよく使う。
この一番肝心なところをあえて映さないことによって、その瞬間は観客、見る者の想像力に委ねられるのだ。
よろけながら街路を逃げてゆく山田。包丁を握りしめてそれを追う孝子。山田が電信柱までやってきた時、孝子はとどめとばかりに山田の体に包丁を突き刺した。
それを俯瞰の位置から捉えるカメラ。
山田は最期に、
「人殺しーっ!」
と叫んだ。何事が起きたのかと集まってくる人々。やがてそれは群衆を成してゆく。その中にいるあの女流小説家と男。
「なんでも養父殺しだって言うじゃありませんか」
「どうです。少しは大阪の本当の姿が見えてきたんじゃありませんか。作品を書く気になりましたか」
「ええ。もちろん。わたくし、ぜひ挑戦してみたいですわ」
そこにあの文学気狂いの老人が現れ、ビッコの犬を連れながら、またしても萩原朔太郎の詩を朗々と詠じるのであった。
そこに被さるエンドマーク。
非常に見応えのある作品であった。特に終盤からクライマックスにかけての流れは、一気に見せられた迫力あるもので、それまでおりなしてきた人間ドラマが加速度的にピークに向かっていくというものであった。
そこに脚本・新藤兼人、監督・吉村公三郎の才気を感じずにはいられない。
大阪、天王寺地区を舞台にした映画で面白いものはなにがある、と聞かれれば、間違いなくタイトルを上げる一本だろう。
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