『極悪坊主 念仏人斬り旅』は若山富三郎主演、「極悪坊主」シリーズの第三弾として製作された映画である。
このシリーズの売りは身体にゴツい刺青を入れた若山扮する飲む、打つ、買うの三拍子が揃った破戒僧真海が悪を向こうに回して大暴れをするというものである。
だがその真海も当初は真面目な僧侶であったが、どうして真海がエロ坊主の道に進んだのかはシリーズ一作目を参照して欲しい。
そして、このシリーズのもう一つの売りは真海が拳法の使い手だと言うことである。どうもこの設定は、真海を追ってシリーズごとに現れる菅原文太扮する了達も同様に拳法の使い手であることから、彼らの宗派では修行の一環として拳法を身につけていると思われるが、この設定は『少林寺三十六坊』よりも早かった。
それで破戒僧になった真海は、旅から旅の生活を送るようになったのだが、今回は四国、徳島にやってきた。しかし徳島に渡る船の中で一波乱があった。
お遍路さんのために徳島に渡ろうと船客たちは船内で寛いでいたが、そこに銃を持った男たちが現れ船はジャックされてしまった。
だがそこは漢・真海のこと。自慢の腕っ節で男たちをのしていったが、その中の一人が船影からナイフを真海目掛け投げつけた。
銃声が響いた。空中で粉々になるナイフ。その銃を撃った男こそ東映の良心的脇役と言ったらこの人、大木実なのであった。
「いやあ。命拾いしました。あなたも徳島へ」
「ええ。ちょっとした用で」
徳島港では警察が検問を行なっており、大木実と服を取り替えていた真海は、警察に呼び止められた。
「おい。山南じゃないのか」
「えっ」
「大阪で人を殺した山南だろ。その格好は山南のものだ」
「いや。わたしは神戸で服を盗まれてしまいましてね。それで古着屋でこれを買っただけなんですよ」
そんなことを言って真海は検問をすり抜け、神社の境内で待っていた僧侶の格好をした山南とまた服を交換して別れた。
徳島の街に出てみると一人の男が真海に話しかけてきて、今晩うちに泊まってくれないかと言ってきた。断る理由がない真海は男のいうままに、その家に泊まることにした。
家には男の妻と娘がいた。ゆうげを真海がすましたあと、家族は揃って真海の前にやってきて、頼みがあると切り出してきた。
「この地方には昔からのしきたりがありまして。旅のお方に娘を女にしてもらわないと、嫁に出せんいいましてな。どうですか。お坊様のような立派なお方に、この子を女にしてほしいのです」
「女にな」
主が襖を開けると、そこには寝所が用意してあった。
「これなんかどうですか」
そう言って主はカゴに入った生卵を真海に差し出した。
「バカにしないでください。わたしはまだ若いんだ。こんなものを使わなくたってね。念の為にもらっておきます」
そう言って真海と娘はことに及んだのだが、肝心の真海が処女をたっぷり味わっているところは映っていない。
翌朝、真海が家の庭であくびをしていると、家族がやってきてまたもや頼みがあるという。
「いや。この子がもう真海さんじゃなきゃダメだって言うんですよ」
「ダメだって言われてもねえ」
「ついてはこの子と結婚を」
「だ、旦那さん。あの囃子の音はなんなんだい」
「ああ。あれは名物の阿波踊りの囃子ですよ」
「じゃあ。俺はその阿波踊りを見てくるよ」
杖と笠を持って脱兎のごとく走る真海。
「真海さん!」
娘の声に振り向く暇も見せず、真海は阿波踊りのひといきれの中に姿を消していった。
ただ、ここまで作品を見て今回の「極悪坊主」はパワーダウンしているのではないかという感を持った。
かつての東映が「不良性感度」という言葉を標榜し、なお作品のタイトルに「極悪坊主」と冠するなら、なぜ真海が生娘の身体を味わい尽くす模様を、これでもかと描かなかったのだろうか。
だからこそ娘も真海にぞっこん惚れ込んだ訳であって、他のシーンでも真海は若いお遍路さんの尻を触ったりと軽いエロ坊主で済ませているのである。
そんな俺の若干真海に対する、いや作品に対する不満めいたものを無視して作品は進んでいく。
四国にやってきた真海は、珍しく札所を目指して歩いていたが、途中で道を間違ってしまいある漁村の上にある山に着いた。そこからは漁村が一望できる。
村に降りて行った真海は井戸汲み場で、女たちがせわしなく井戸の水を汲んでは集落に運んでいるのを見て、手伝いを買って出た。
その手伝った女が、誰あろう「東映城のお姫様」と謳われた桜町弘子であった。
天秤棒を担いでフラフラになっておみね(桜町弘子)の家にたどり着いた真海であったが、その表札に「室正五郎」と書いてあるのを見て妙な胸騒ぎを覚えるのであった。
おみねの家で一泊を取った真海であったが、おみねは真海の笠にその名が記されているのを見て血相を変え、
「すぐにここから出て行ってください!」
といい放った。面を食らう真海。
「もしあなたが真海さんなら、三年前に室鬼道という男を殺したでしょう。鬼道はわたしの夫だったのです」
真海の脳裏に三年前の出来事がフラッシュバックのように蘇る。
そこには片腕が鉄製のフックのようになっているモンスターのような室鬼道(東映の水牛のような悪役と言ったらこの人。関山耕司)の両腕を切断して殺した真海がいた。
「確かにあんたの旦那を殺したのは俺だ。だがあいつを殺ったのは、世のため、人のため、あいつを生かしていたんじゃ泣く人たちがいたからよ」
「それでも、わたしにとってはかけがえのない人だったんです!」
二人がそんな会話をしている頃、村を見下ろす山の上には一団の得体の知れない男たちがいて、ライフルを担ぎながら村を見下ろし、不敵に笑っていた。
「この村はちょうどいい」
「男たちはルソンに遠洋漁に行っちまっていていねえ」
「次にシンガポールから届く武器や弾薬も、この漁港なら持ち運びやすい」
「ここで一ヶ月でも粘っていりゃあ大勢は俺たちの方に転ぶぜ」
そう言うと男たちは村を占拠するために、武器を片手に山を降りて行った。
銃声が鳴り響く村内。何事かと飛び出してきた村人。そこへ駐在警官が現れる。
「なんだあ!貴様たちは!本官が逮捕するぞ!」
「逮捕できるもんならしてもらおうじゃないかよ。ワッハハハハ」
駐在はあっという間に人質になってしまった。それを見た村人の一人は逃げ出したが即座に射殺された。
その騒ぎを聞いてやってきた真海。
「なんだあ!てめえら、海賊だなあ!」
「海賊?勘違いしちゃ困るな。我々は血政社という国士だ。この国を変えるのだ」
「国士だかなんだか知らねえが、なんでこの村の人たちを困らせるような真似をするんだ」
「ちょうどこの漁村が我々にとってうってつけでな。この駐在は預かっておくからな」
そう言うと血政社の連中は、島を占拠するために各持ち場に散って行った。彼らはその名前の通り、一種の政治結社のように思えるが、その中にはならず者、無頼者、あぶれ者が少なからずいた。
そして、その〝輩〟の中に川谷拓三、志賀勝と言ったのちにピラニア軍団の中核を担う者どもの顔が映っていたことも確かなのである。
また血政社の中に、あの山南の姿を真海は見つけた。
「山南さん」
「御坊」
そう言葉を交わすと二人は別れた。
村の婆さんが赤ん坊の産湯を汲むために井戸に行くと、そこには血政社の連中がいて、いきなりダイナマイトを投げつけてきた。
たまげた婆さんは村にとって返し、村長たちにことの次第を告げた。
「俺が水を汲みに行ってやる」
そう買って出たのは真海であった。しかし予想通りに真海が井戸に近づこうとすると、連中はダイナマイトを投げつけ、猟銃を連射するのであった。
くどいようであるが、その猟銃を連射してくる男が川谷拓三であったことは記しておこう。
なかなか井戸に近づけない真海であったが、そこに袴姿の男が現れ真海と共に井戸を目指す。しかし炸裂するダイナマイトに加えて、川谷拓三が連射する銃のおかげで二人は井戸には近づけず村に戻ることになった。
村に戻った袴姿の男は真海に海辺に呼び出され、俺がお前の兄を殺したのだと告げられた。
「お、お前が真海!よくも兄さんを!」
「あいつを生かしておいちゃお天道さんに申し訳がなかったんだよ」
構える二人。
だが勝負は一瞬で終わった。真海の飛び蹴りをくらい崩れ落ちる男。
「兄貴の仇を取りたかったら、もっと修行してからこい」
「龍次さん!もうやめて!」
そこへ二人の女が駆けつけてきた。一人は室鬼道の妻おみね。そしてもう一人は龍次の恋人のお多恵であった。
「龍次さん!もういいの!」
「なにを言っているんだ姉さん!俺はこの男を倒してみせるぜ!」
だが真海、龍次の二人は血政社に逆らったとして捉えられ、龍次は手の甲を潰された。
「このへんにはサメがよく出るそうじゃないか。この坊主をサメにくれてやれ」
血政社の首魁がそう言うと真海は船の先に括り付けられ、船は瀬戸内海クルーズを開始した。だがこのシーンにサメの映像がインサートされるのだが、そのサメがホオジロザメとかじゃなく、小判鮫みたいだったのにはずっこけた。
ライフルの銃声が響いた。そして真海を括り付けていたロープが切れ、真海は海中に消えて行った。
「なぶり殺しにするのは趣味じゃない」
と山南。
「大衆を苦しめて、それで本当の革命ができるのだろうか。我々が目指している革命とはそんなものなのだろうか」
「大事の前の小事。革命を達成するには多少の流血は必要なのだ」
「だからと言ってこの村を占拠し、村人に迷惑をかけてなにになるのだ。それに同志の中には思想も志も持たない者もいるじゃないか」
「革命の前に感傷は禁物だぞ。もっと気を引き締めていけ」
山南と首魁はそう革命論を戦わせた。
ここでこの血政社という政治結社について、頭を巡らせることも無駄なことではいと思う。
「極悪坊主」シリーズの時代設定が戦前であることは間違いない。明治の後半から昭和初期あたりだろうか。
現代では革命論、革命運動というと左翼のそれを思いつくが、ネトウヨなどという輩が存在しなかった戦前には右翼にも革命論や革命運動があったのだ。
北一輝の国家改造論から影響を受けたと思われる二二六事件。題目を唱えながら要人を暗殺していった血盟団事件。
彼らは天皇という存在を護持しながら国家改造という革命を夢見た。さらにそれを遡れば明治初期の不平士族による反乱にまで行き着くのだろうか。
だが確実に明治維新によって埒外に置かれてしまった者たちもいた。傍流にされてしまった者たちもいた。この作品に出てくる血政社も、その系譜の中にいるのだろうか。
ただ間違いなく言えるのは、血政社の登場によってこの作品が俄然面白くなってきたということである。
真海が気づくと、そこは浜辺であり、真海は赤ふんどし一丁で寝転んでいた。それを興味深く眺めている海女たち。
「なんだ。目の前にアワビが転がっているぜ」
「いややわ。この坊さん」
そう言うと海女たちは浜辺を走り海の中に入って行った。それを追う真海。そして、おまん(真山知子、この時期の若山富三郎とはよく共演している女優)と言う海女に海中で抱きついた。
「タコ踊りっていうのもあるんだぞ」
海中にてねんごろの仲になった二人。
一方村人たちは村長以下、この緊迫した状況をなんとか打開したいとして、一人の男が街の警察まで走ることになったが、ライフルを持った血政社の奴にあっけなく撃ち殺された。
その血政社の奴が逆にヨレヨレの軍服を着ていて、ニタニタ笑っている。奴は西南戦争崩れと言ったところだろうか。
血政社の連中は村の神社の鳥居の下で、駐在を晒し者にして楽しんでいた。
「おとうちゃーん!」
そう叫ぶ駐在の妻。
「奴らめ」
「荒巻さん。ここは出ていちゃいけねえ」
荒巻とは徳島港で検問を行っていた刑事であった。彼は血政社を追うため、この村にやってきたのだ。
真海と龍次は和解したというかタッグを組み、その拳法を使って川谷拓三、志賀勝、逆に軍服を着ている奴など血政社の下っ端の連中をのしていき駐在所の豚箱に放り込んだ。
真海は海女たちから話を聞いた。対岸にある鬼子島という島には、横川教という名の宗教の教祖がいて海女たちも横川教に夢中なのであると。
その鬼子島こそ血政社の幹部連中が拠点にしている場所で、幹部連中と横川教の教祖は密談をしていた。
「教祖が我々に資金を提供してくれるので、非常に心強い」
「グフフフ。血政社が政権を握った暁には横川教を。分かっているだろうな」
「それはもちろん。信者の女たちもシンガポールに売り飛ばしてしまおう」
「グフフフフ」
そうほくそ笑む横川教の教祖に扮するのは、東映の油ぎった悪役と言ったらこの人、遠藤辰郎なのであって、その装束は修験者のように結袈裟を着け、頭には孔雀の羽を飾るというちんぷんかんぷんのものであったが、それが逆にど田舎の新興宗教の教祖を演出しているのであった。
海女たちに混じって袈裟を脱ぎ横川教に潜入した真海。本尊の前には屏風がついたてのように置いてあり、その両側に男女が別れて座っている。趣き的に言えば70年代に一世を風靡したテレビ番組、「パンチでデート」のようでもある。
「さあ。皆のもの。心の赴くままに求め合うのだ。男女の悦楽の中に浸るのだ」
そう遠藤辰郎が言うと屏風が取り外され、その場にいた男女は互いに抱き合った。真海とおまんも抱き合ったが、ふと真海は我に帰った。
「なにが横川教だ。こんなインチキ邪教」
「なんだ。貴様は?」
「横川教のあんまにでもなりやがれーっ!」
「ギャーッ!」
真海は目潰しを喰らわせ、遠藤辰郎は悲鳴をあげた。
この横川教についても、ひとくさり書いてみたい。
この横川教という名前を聞いて、すぐにある宗教が思いついた。それこそ真言立川流である。中世において隆盛を見た立川流は、密教と陰陽道が複雑に習合したものであり、男女の性における合一感、恍惚感こそ悟りの境地であると説いた。
横川教がこの立川流をモデルにしたものであることは確かである。
真海が鬼子島から戻ると、村の女が話しかけてきた。
「お坊さん。なんや知らんが幽霊みたいな坊さんが、あんたを訪ねてきたで。石切り場で待っている言うて」
真海が石切り場に行ってみると、そこには菅原文太扮する了達がいて、その目は閉じており、濃くアイシャドーが塗られていた。
「極悪坊主」一作目において宗派内の抗争から戦った二人であったが、最後は真海が了達に目潰しを喰らわせ、以降了達は盲目になりながらも執拗に真海を追ってくるのであった。
「遅いぞ。真海」
「了達。決着をつけるか」
そう言うと二人は突き蹴りを繰り出し始めた。
了達の蹴りがその腹に入ると反吐を吐く真海。真海の唐竹割りが炸裂すると流血する了達。
若山富三郎と菅原文太の格闘シーンというのは、非常に迫力がある。
これは、この作品の後年になるのだが、『青春の門』という作品で二人がボタ山を舞台に格闘を繰り広げたシーンも非常に迫力のあるまさに「漢の戦い」という様相であった。
若山と文太。素においても熱かった二人の喪失は、邦画における熱の喪失とも言えるだろう。
真海の突きが了達の腹に入った時、了達は血反吐を吐きながら膝から崩れ落ちていった。
「了達。またいつでも相手になってやる。腕を磨いてこい」
ここら辺、詳細を忘れてしまったのだが、山南は豚箱に入っている一応同志である血政社の連中を逃した。
「大勢を立て直すために一度島に戻るんだ」
だが釈放されてはしゃいじゃっている連中は有頂天になり、村の家屋をダイナマイトで吹き飛ばし、村人をライフルで無差別に打ち殺し始めた。
さらに井戸に差し掛かった時、
「ついでの駄賃だ!」
といい井戸を爆破。その場にいた祝言をあげる予定でいた龍次とお多恵も殺害した。
「もう我慢ならん!こんなものは革命でもなんでもない!」
そう山南は言うと日本刀を抜き川谷拓三以下数名を殺害したが、すぐさま残りの者たちに撃ち殺されたのであった。
そこに駆けつける真海と荒巻。残りの者たちは真海の手によって片付けられた。
「山南。お前はついに俺の手の届かないところへ行ってしまったな」
「荒巻さん。この人は自分の志を貫徹したんですよ」
顔に白い布が被せてある龍次とお多恵の遺体。泣き崩れる桜町弘子。そこには「夢にまで見た不幸」(by 三上寛)があった。
「仏説 摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多 時照見五 蘊皆空度 一切苦厄。まさか俺が二人の供養をすることになろうとはな」
浜辺。ゴツい刺青入れて赤ふんどし一丁の真海は、鬼子島目指して舟を出そうとしていた。
「あんた。死にに行こうとしているんだね。あたいも一緒に連れて行っておくれよ」
そう言ったのは海女のおまんであった。
「だめだ。来ちゃならねえ」
真海に抱きつくおまん。
「そうか。そうか。一緒に死んでくれるか」
そう言って二人は舟に乗り、鬼子島を目指した。 鬼子島の浜辺では首魁をはじめ血政社の連中が待ち構えていた。
「俺たちの革命を邪魔する者は許さん!」
「なにが革命だ!弱い者を泣かすような奴らは生かしちゃおけねえんだ!」
仕込みの杖を抜く真海。若山富三郎 KILL KILL TIMEの始まりである。
だが真海の肩に銃弾がめり込む。それでも真海の怒りを止めることはできない。その刃が一人、また一人と血政社の連中が仕留めていく。
その様子を舟に隠れて見ているおまん。
ついに首魁一人になった血政社。その首魁の白刃が真海の腹をかすめる。真海の腹から滲み出る血潮。その腹を押さえる真海。ゴツい刺青を入れて、赤ふんどし一丁の真海。
首魁と真海の身体が交錯する。浜辺に突っ伏して倒れる首魁。
それでも真海のダメージも大きかった。浜辺に寝転がる真海。
「あんた!」
「ふっ。ふふふ。なんだか知らねえが、いい心もちになってきたぜ」 真海の腹からは赤く鮮血が滲み出していた。死の恍惚感に浸る真海。彼の明日をも知れない旅はさらに続くのだろうか。という、ところでエンドマークが浮かび上がる。
通俗B級映画と侮ることなかれ。
ただ今回の「極悪坊主」は、真海以外のキャラクターのほうが魅力的だったり、興味を引かれたこともまた確かだった。
そういった意味では第四作目に期待したいところである。
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