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執筆者の写真makcolli

濡れた二人


ファーストシーンのワンカット目。

都会のマンションの全景が映し出される。その一室のバスルームで、トーテムポールのような顔をした高橋悦史は、シャワーを浴びていた。

その半透明なバスルームの扉に背中をもたれて、体育座りをしているパジャマ姿の若尾文子。


「だから。仕事が忙しくて、その話は無理だよ」

「無理だ。無理だって言って毎年そうじゃないの。私たち結婚して六年経つけど、一回だって一緒に旅行に行ったことなんかないじゃない」


急に高橋悦史が扉を開けたので、若尾文子はバスルームにそっくり返って倒れた。その姿がなんともかわいい。


「僕のパンツを取ってくれないか」

「何よ。それが朝帰りの亭主が言うことなの。もっとしおらしくするもんだわ」


高橋悦史はパンツを履きながら言う。


「テレビ局の仕事っていうのは君が考えている以上に忙しいものなんだよ」

「そうやって毎年、毎年。約束を破ってきたんじゃないの。いいわ。私、もう一人で旅行に行きますから」


そう言うと若尾文子は高橋悦史の分の切符を破り、自身は新幹線車中の人となった。


そこは伊豆半島にある漁村だった。

漁港にやってきた若尾文子は、停めてあるバイクの座席にスーツケースを置くと、しばし漁港の様子を眺めていた。


そこに一艘の漁船が泊まっていて、今まさに水揚げの最中であったが、そこに黒豹のような姿をした北大路欣也がいた。

この作品『濡れた二人』の製作会社は大映である。そこに東映専属であった北大路欣也がなぜ出演していたのか、その理由は分からないが、他の大映の俳優には出せない野性味を、この作品の北大路が備えていることは間違いない。


北大路は共に船に乗っていた平泉征に、後片付けちゃんとやっておけよ的なことを言うと大きな黒鯛を港で待っていた渚まゆみに見せた。


「スーツケース、どけてよ」


渚まゆみがそう若尾文子に言うと、北大路はバイクの座席の後ろに渚まゆみを乗せて漁港をあとにした。


「チェッ。威張りやがって。俺の親父は海で死んじまうし、お袋は街に出て行っちまうし。だからって俺のせいじゃねえや」


平泉征はそう言うと乱雑に魚が入った木箱を船から放り投げた。


若尾文子が向かったのは勝江という名の女の家だった。かつて勝江は若尾文子の実家で女中をしていたことがあったのだ。


「まあ。お嬢さん。久しぶりじゃないですか。よくこんな田舎に来てくれましたね」

「そのお嬢さんっていうのはやめてくれないかしら。私、もう32なのよ」

「でもお嬢さんお若いですよ。もう結婚して何年になりますかね」

「6年よ」

「お子さんの方は」

「まだなの。私も雑誌の編集者をしているでしょ。それなりにやり甲斐のあって面白い仕事よ」

「へっー。そうなんですか。子供は手はかかってもかわいいもんですよ」

「結婚のあり方も人それぞれじゃない。それに何が幸せかなんて分からないものだし」

「調節かなんかしているんですか」


勝江のこのプライベートの領域にぐいぐい踏み込んでくる姿勢に、若尾文子がたじろがなかったと言えば嘘になろう。


「ところで旦那さんはどうしたんですか」

「彼はね。仕事が忙しいとか言って結局来なかったのよ。でも一人で来た方が気楽でよかったわ」

「そうですかね。私がいつも電話を借りている水産会社の社長さんに頼んで旦那さんに電話してみた方がいいんじゃないですか」

「もう。いいのよ。彼のことは」

「いや。電話してみなさいって」


そう言われて若尾文子は勝江に連れられて、村の水産会社の前までやってきた。


「あの。社長。この方が電話を借りたいんですけど」

「あ。いいよ。それでどこにかけるんだい」

「東京のテレビ局なんです」


そう言うと若尾文子は社長に名刺を渡した。本局みたいなところへ電話して、テレビ局の電話を呼び出してもらう社長。


「もう。かけておいたから。あとは出るだけだからね。私はこれから取引きに行かなければならないんだ」

「じゃあ。私もこれで」


社長と勝江はその場から去って行った。


ところ変わって東京のテレビ局の企画室と思しき部屋が映し出される。

そこでは電話のやりとりの声が飛び交い男たちが忙しげに働いている。その中の一人である高橋悦史。その悦史に電話がかかってきた。


「なんだあ。君か。どうしたんだ。こんな時に」

「やっぱりこっちに来ることはできないの」

「きのうから君は無理ばかり言っているんだなあ。今は仕事で手一杯なんだよ」

「私たち夫婦なのよ。一回ぐらい私に付き合ってくれてもいいじゃない」

「また今度っていうこともあるじゃないか」

「そうやってもう6年も経ったのよ」

「僕は忙しいから仕事に戻るよ」

「分かったわ」


そう言うと若尾文子は受話器を下ろし柱にもたれて顔を伏せた。その頬には涙が伝っているようであった。

そこに現れたのが黒豹のような北大路で、手には黒鯛を持っていた。


「あなた。立ち聞きしていたの」

「そういう訳じゃなかったんだけどさ。ここ俺の家だから」

「じゃあ。あの社長さんの」

「まあ。息子だけどな。これあんたにやるよ」


そう言うと北大路は黒鯛を若尾文子に向かって投げた。突然のことに反応できなかったのか、それは若尾文子が着ているワンピースにぶつかって落下した。


「ははは。都会の女のあんたには、こいつはさばけないだろう。いいよ。刺身にして持っていってやるよ。あんたどこにいるんだい」

「勝江さんの家の離れよ」

「じゃあ。夜にでも届けるから」


そう言う北大路の目つきはギラギラしていた。獲物を見つけた時の黒豹のようにギラギラしていた。

若尾文子が去ったあと北大路と平泉征は、


「都会の女をたっぷり料理してやるか」


と舌なめずりをするのであった。


そしてその夜、北大路と平泉征は黒鯛の刺身と酒を持って勝江の家にやってきた。


「いや。なに。昼間、奥さんと知り合ってな。刺身持ってくるって約束したからよ」

「そうですか。お嬢さんも話し相手がいなかったからちょうどいいわ。お嬢さん。繁男(北大路の役名)さんたちがきてくれましたよ」


離れでは若尾文子が待っていた。


「おお。約束の刺身持ってきたぞ。あんたも一杯どうじゃ」

「わたし。お酒は飲めないのよ」

「ふん。つまらんのお」


なんだかんだ言いながら北大路は、酒をがんがんに飲んでゆく。


「ねえ。あなたの船に乗せてくれないかしら」

「あんた一人だったら乗せてもいいが」

「夫も一緒よ」

「だったら乗せん。第一あんたの旦那はここにはこんぞ」

「あら。どうして」

「あんたみたいな人をほっぽらかしにしておくひどい男じゃ」


結局、北大路は昔、都会の女に騙されたとか言って、べろんべろんに酔って、平泉征と一緒に帰っていった。だが程なくすると悦史から電報が届き、明日の朝列車でこっちにくるという。


翌朝。黄色地に模様が入ったワンピース姿の若尾文子がバス停に立っていた。


その前に北大路と平泉征と渚まゆみの関係には、微妙な変化が起こっていた。

その日も渚まゆみは北大路のバイクの後ろに乗ろうとした。だが北大路はそれを拒絶した。


「気安く俺の後ろに乗るんじゃねえ!」


と怒鳴ると、渚まゆみに平泉征の後ろに乗るように命じた。その平泉征の乗っているバイクは北大路のお古であった。渚まゆみが内心穏やかでないのも当然のことであった。


その北大路たちがバイクを飛ばしていると、バス停に若尾文子の姿があった。


「どこまで行くんだい」

「駅までよ。夫が来るの」

「旦那なんか来るもんか。まあ。いいや。乗って行けよ」

「いいわ。一人で行くから」

「いいから。乗って行けよ。こっちの方がずっと速いぜ」


若尾文子は当初、膝を揃えて北大路の後ろに乗ろうとした。


「違うんだよ。跨るんだよ。そしたら俺のことを強く抱きしめるんだぜ。いいか。飛ばすぜ」


そう言うと北大路はアクセルを蒸したのである。

下衆な考えになるかも知れないが、股を広げて若尾文子がバイクに跨っている。そう考えただけで感じるものがある。

その感じるものを北大路は黒豹のような本能を持って、この時点でいち早く察知していたのだろう。


駅に到着した一行だったが、列車が到着するにはまだ間がある。渚まゆみは悪戯に線路脇に並んでいる杭を使って、来る来ない遊びを始めた。杭を一つ叩いては来る、一つ叩いては来ないと繰り返すのである。


「ほうら。やっぱり。来ないじゃない」


ここには渚まゆみなりの考えがあったと思う。彼女は彼女で若尾文子に傾いてゆく北大路の心を知っていたのだ。


やってきた列車から悦史が降りてくることはなかった。一人ホームに佇む若尾文子の胸中には何が去来したのであろうか。


またしてもバイクで疾走する一行。

この作品の監督は増村保造。若尾文子とのコンビ作で、数々の名作をものしてきた監督として有名である。しかし一連のバイクのシーンを見ていて、増村保造はアクション監督ではないということを思った。


言い換えればバイクが疾走する模様がありきたりなのである。これが東宝の岡本喜八や東映の石井輝男だったら、もっとうまく撮っていたと思う。


バイクに乗る前、若尾文子は、


「今度はもっと飛ばして。うんとよ」


と北大路に言った。


渚まゆみは今度こそ、北大路たちのバイクを抜いてよと平泉征に葉っぱをかけたが、一行が林道を抜けている時に、そのバイクが急に停まってしまった。


「どうしたのよ」

「あれ。調子がおかしいな。故障しちまったよ」

「もう。こんなポンコツのバイクになんか乗っているからよ。あんたなんかてんでダメなんだから。男だったらバイクの一つでも買ったらどうなの。この乞食」

「いいやがったな。このアマ!」

「なによ。親なしっ子!」


林の中に渚まゆみを引き摺り込む平泉征。その体を地面に倒し、その上に襲いかかる。それを必死の抵抗で跳ね返そうとする渚まゆみ。

だが一度火がついてしまった平泉征の本能の勢いはとどまるところを知らない。


このシーンを作品の中の伏線的な事件とみなすこともできる。だが、増村保造という人は常になにを描いてきたのか。そこには絶えず「性」があった。

思想というほど難しくはないだろう。ロマンポルノよりは露骨ではないだろう。しかし、増村保造という人は、人間存在の基底に「性」が存在することを見逃さなかったし、それを映画という手段を用いて表現しようとした。


程なく北大路がバイクを走らせていると異変に気づきブレーキをかけた。


「どうしたの」

「さっきからエンジンの音が聞こえないんだ」


すると遠くから渚まゆみの悲鳴が聞こえてくる。北大路たちがとって返すと、林の奥に白い渚まゆみの裸体が見え、その上で体を動かしている平泉征の姿があった。

北大路は目を背けクラクションを鳴らし続けるのであった。渚まゆみは北大路のフィアンセであったのだ。


浜辺にやってきた北大路と若尾文子。波打ち際に座っている二人。

北大路は若尾文子の肩を抱き寄せた。

「今度はわたしの番っていうことなの」

「俺、あんたのことが好きなんだよ。結婚してくれよ」

「なにを言っているのよ。きのう出会ったばかりじゃない」

「そんなの関係ねえんだよ。とにかく、あんたのことが好きなんだよ」

「あなた。歳はいくつなの」

「25だよ」

「わたしは32なのよ。7つも年上よ」

「そんな歳なんてどうでもいいんだよ」

「結婚してどうやっていくの。わたしたち」

「そんなの、そんなのどうだっていいじゃないか」

「ははは。やっぱり。あなたっててんで坊やね。わたし結婚なんてどうでもいいのよ。もっと自由に暮らしたいんだわ。やりたいことをやって。行きたいところに行って。くたくたになりたいのよ」


言葉を返せなくなったからなのか、北大路は若尾文子を平手打ちした。そして足で若尾文子に砂をかけると、バイクに跨り行ってしまった。

しかし、若尾文子は余裕の笑みを浮かべていた。そして手のひらで砂を掬い取ると、気持ちよさそうに自身の体にこぼした。


この時、若尾文子は砂浜に体を横にしているのであるが、ワンピースの下が風に煽られていて、太ももが半分あらわになっている。それがまたたまらないものを感じさせるのである。


若尾文子は勝江の家に戻った。


「どうしたんですか。お嬢さん。やけに嬉しそうじゃありませんか」

「繁男さんのバイクに乗ったのよ。それから海にも行って。わたし、体中が砂だらけだわ。お風呂もらえるかしら」


風呂と言っても昔の田舎の五右衛門風呂である。だがその湯船の中で、若尾文子は少女のような屈託のない笑顔を見せていた。 夜。北大路は自分の家の庭で、手ぬぐいでもって体を拭いていた。そこに顔を腫らして、荷物をまとめて担いでいる平泉征が現れた。


「どうしたんだ。京江(渚まゆみの役名)をやったから、親父に殴られたのか」

「まあ。そんなところだ。俺はもうクビだってよ。だがよ。俺も一人前の漁師だ。どこに行っても喰っていけるさ。最後に言っておくが京江はもう俺のお古だぜ」


そう言うと平泉征は暗がりに姿を消した。代わりに姿を表したのは若尾文子だった。


「なにしにきたんだよ」

「あなたって綺麗な体をしているのね。明日、船に乗せてくれないかしら」

「俺は漁があって、・・・明日10時に岸壁に来てくれよ」


翌朝。二人は船で海に出た。だが、その船は漁船と言った感じのものではなく、手漕ぎのボートと言った感じだった。

この時、若尾文子が着ているワンピースが真っ赤なノースリープのもので目にも鮮やかである。


カメラは船の前部に備えられていて、船そのものが揺れる模様を映し出している。若尾文子は、「気持ちいいわねえ」とか言ったのであろうか。と思うと、彼女はやにわに海に飛び込んでいった。


「助けて!私、泳げないのよ!」


急いで海に飛び込む北大路。そして船上に若尾文子を助け上げた。


「あんた。無茶するぜ。なんでたって海になんか飛び込んだんだ。はやく服を脱がないと風邪引くぜ」


ずぶ濡れになった若尾文子のワンピースのファスナーを下ろす北大路。だがその瞬間、北大路の本能はすでに着火していて、そのまま若尾文子の唇を奪った。

それは若尾文子も望むことであったのだろう。北大路は彼女を抱きしめながらワンピースを脱がしていくが、そこに若尾文子の乳房が一瞬垣間見れたのだ。


エロスの表出。そんなありきたりな言葉では表せない「女性」を、この時期の若尾文子は放出している。観音菩薩に例えるなら、若尾文子が放っているオーラは、観音菩薩から発せられる後光と言ってもいいだろう。


とにかく北大路と若尾文子は船上で、お互いに身体を求め合った。そして「濡れた二人」になった。


船上で互いに身体を密着させて寝ている二人。


「あなたの足って長いのね」

「あんたの肌も透き通るように白いぜ。俺のとはまるっきり違っていらあ」


情事を終えた後の気だるさ。そのようなものに二人は包まれていた。


「明日もまた船に乗ってくれよ」

「分からないわ」

「なんでだよ」


若尾文子はもったいつけているといった態度であった。だが、彼女が勝江の家に戻ってみると思いがけない展開が待っていた。

その茶の間には来ないと思ってた悦史が座っていたのだ。


「お嬢さん。旦那さんが来てくれたんですよ」

「いつ着いたの」

「お昼にな。やっと仕事を抜け出してくることができたんだよ。どうだいこっちのほうがのんびりしていていいかい」

「私、お風呂をいただくわ」


そう言うと若尾文子は、またあの湯船に入った。あの赤いワンピースを抱いたまま。


夜。当然、離れで若尾文子と悦史は床を一緒にした。


「あなた。いつまでここにいられるの」

「明日、朝一番の列車で帰るさ」

「じゃあ。ここにはなにをしに来たの」

「なにをしにって君のことが心配になってきたんじゃないか」

「嘘よ。心配になんてなってないんだわ。こんなの人間らしい生活って言わないんだわ。人間らしい生活って言うのは、もっと泣いて笑って喜ぶものなのよ」

「どうしたんだ」

「私、もう。あなただけのものじゃないのよ」

「・・・」

「私、昼間。船の上で繁男って人と」

「その繁男っていう男は、この村の人なのか」


うなづく若尾文子。


「君はその男のことを愛しているのか」

「分からないわ。分からないのよ」

「忘れるんだよ。旅行先の事故だと思って忘れるんだよ」


そう言うと悦史は若尾文子が着ている浴衣の帯をほどき愛した。


翌朝。若尾文子は悦史と共に東京に帰るということになった。そのバス停までの道のりに立っていた北大路は、信じられないといった面持ちで二人のことを見つめた。


「この人が繁男さんかね」


黙ってうなづく若尾文子。


二人はバス停で駅に向かうバスを待っていた。が、そこへバイクに乗った北大路が現れ、二人目掛けてはバイクを急発進させ。また急発進を繰り返す。


「見るんじゃない。バスに乗れば、全てが終わるんだ」


だが執拗に北大路は急発進を繰り返す。そこへバスが近づいてくる。


「バスが来たぞ」


だが次第に若尾文子の視線は北大路を追うようになってきた。


「どうしたんだ」

「彼は怒っているのよ。あなたは全然、私に怒ってくれようとしなかったじゃない」


停車するバス。バイクを停め諦めたような表情を見せる北大路。程なくしてバスが発車すると、そこには若尾文子の姿があった。


「あ、あんた!」

「連れて行って。あなたが私のことを殴ったあの砂浜に連れて行って」


これは当然のことのように思われる。どこに妻を寝取られた男が、その妻を詰問することも手をあげることもなく許すだろうか。

フィクションの中の出来事とは言え、自分に対して無反応な悦史よりも感情をあらわにする北大路の方に惹かれた若尾文子の心性と言うものも理解できるのである。


二人は例の砂浜に行って、身体をよこたえ、その唇を再び重ねようとした。


「アッーハハハハハハ」


突然、叫声のような笑い声をあげたのは渚まゆみであった。


「あたいが見ていてあげるから、二人で乳繰り合ってご覧よ。あたいはあんたらが考えているほどバカじゃないんだからね」


そう言うと渚まゆみは走り去って行った。 別れ際、若尾文子は、


「夜。勝江さんの離れに来て。雨戸を一枚開けておくから」


と言った。


家に帰った北大路は親父から大目玉を食らっていた。


「この野郎!東京の人妻なんかに入れ上げやがって!まだ都会の女に懲りないのか!」

「うるせえな!好きなもんは好きなんだよ!」

「なんだと!お前にはこの京江がいるだろ!」

「親父はこいつが網元の娘だから、俺と結婚させたいんだろ!」


その模様を静かに見ている京江。書くのが遅くなったが京江は、父の水産会社の事務員をしているのである。


「都会の女なんてな厚化粧の下ではなに考えているか分からない化け物なんだ!まだ分からないのか!この野郎!」

「とにかく俺はあの人のことを愛しているんだよ!」


北大路のことを下駄で踏みつける親父。


「てめえの根性を叩き直してやる!」


その足を振り払うと北大路は脱兎のごとく、家から飛び出して行った。


一方、若尾文子の方でも大変なことになっていた。興奮している勝江。


「お嬢さん。雨戸なんて開けておいても繁男は来ませんよ」

「・・・」

「今頃、社長に痛いほどお説教されているんですよ。お嬢さんもお嬢さんですよ。もういい歳をされているのに、若い男なんか誘惑して。狭い村のことですからね。すぐさま知れ渡っちまうんですよ。二人が船の上にいたことだって、山の上から見えていたんですよ。もう。すぐにこの家から出て行ってくださいよ」

「今夜だけ。今夜だけ泊めてくれないかしら」

「お嬢さんは東京に帰る場所があるじゃないですか。でも私の主人は社長の会社で働いているですよ。下手したら私たちここに住めなくなるんですからね」

「お願い。今夜だけ」

「明日。朝、一番のバスに乗ってもらいますからね」

「分かったわ」


それは自身の本能に忠実に行動しようとする者と、世間の倫理が衝突した瞬間だった。 カットが変わると、そこには真紅のネグリジェを身にまとった若尾文子がいた。 まさに淫婦。ファムファタール。蠱惑的。色気。艶っぽい。いや。そんな凡庸な言葉では言い表せない「女性」そのものがそこにいる。ましてSexyなどと言う言葉は野暮になる。


その若尾文子が北大路を迎え入れるために、鏡を見ながら口紅を引き、その身体に香水を振りかける。なにかその仕草が性行為以上に、女の見てはいけない秘密を見てしまったという感を抱かせるのである。


と、そこに雨が降ってきた。雨戸は半分開けてある。

その庭にすでに北大路はいた。植木の間から若尾文子の様子を窺っていたのだ。ずぶ濡れになっていく北大路は、苦悶の表情を浮かべる。

なぜ行かないのか。その様子を見ていて、思わずそう思ってしまった。すでに北大路の下半身はビンビン状態だったはずだ。それでも北大路は若尾文子めがけて突撃をしない。思わず後ずさりした北大路は、植木鉢を地面に落としてしまった。


「繁男さん。繁男さんなの」


その音に反応した若尾文子は、水溜りの中に降りてきて辺りを見渡す。そしてまた部屋に戻って行った。停電なのだろうか。部屋の明かりが消えた。そこに雷の閃光が辺りを照らす。

その中には若尾文子の白い裸体が!もちろん差し替えだと思うのだが、男の浪漫としては、あれは紛れもなく若尾文子の裸体だと信じたい。


北大路は苦悶の表情を浮かべ、その首に飾っていたネックレスを濡れた地面に叩きつけると去って行った。

理性で自分をコントロールしたとでも言うのか。イキそうになる自分を制御したとでも言うのか。ただ北大路が自分の本能に逆らったのだけは事実だと言えるだろう。


若尾文子はその体にバスタオルを巻き床に座っていた。そこへ勝江が再びやってきて、赤いネグリジェを手にしまたもや言った。


「お嬢さん!いい加減にしてくださいよ!なんなんですか!これは!世間の手前って言うものがあるでしょ!」


無言のままでいる若尾文子。


「そんなことしていたって繁男は来ないんですからね。朝になったら出て行ってもらいます」


朝の漁港。

北大路は漁の準備をしている。そこへスーツ姿の若尾文子が現れた。


「なんだよ。帰ってくれよ。あんたなんかには用はないんだからよ」


尚も北大路の前に立っている若尾文子。すると北大路は、側にいた渚まゆみを抱き寄せた。


「こいつは俺の婚約者でよ。もう三年前から決まっていたのよ。あんたとは遊びだったんだよ。ちょっと遊んでやったからって困るぜ」


勝ち誇ったような顔をする渚まゆみ。


「そう。別にそれでもいいのよ。私、あなたにお礼が言いたくって。きのう、あなた私のところへ来てくれたんでしょ」


そう言うと若尾文子は懐から北大路のネックレスを取り出した。やにわに渚まゆみを払いのけ、若尾文子の肩を掴む北大路。そして彼女を組み伏せるようにする。


「もう。仕方ねえじゃねえかよ。俺たちどうすることもできねえじゃねえかよ」


北大路の顔は半泣きだった。そして、それは彼が若尾文子と言う「女性」の前に屈服した瞬間だった。若尾文子はなにも言わずに漁港を後にした。


バス停に佇んでいる若尾文子。そこに勝江の息子と娘が駆けてやってくる。


「どうしたの」

「お母ちゃんがおばちゃんにこれを渡してこいって」


それは悦史からの電報だった。


リコントドケニ ハンヲ オサレタシ


「これでいいのよ。これで。もう冬が来るのね」


と言うところにエンドマークが重なる。


この作品が公開されたのは1968年である。60年代の後半、欧米では性の解放、いわゆるフリーセックスが叫ばれていた。

この作品にその影響があると考えるのは、うがった見解であろうか。あるいわクライマックスシーンは、高度経済成長期においても尚、地方において残っていた夜這いの習俗を想起させる。


ただ若尾文子が高橋悦史に対して、私はもうあなただけのものじゃないと言ったことは事実である。それでなくとも増村保造と言う人は、60年代前半から女性の中に存在する「性」を描いてきた人であり、それ以前の日本映画では、こういったことを主題として取り上げる者はいなかった。


そして、その主題に対して見事に応えた女優が若尾文子だった。若尾文子以外にも増村保造は、安田道代や渥美マリ、関根恵子などを使ってこの主題を継承していったが、若尾文子以上の成果はもたらされなかったと言える。


だから、これからも増村、若尾コンビが挑戦した世界を見るために、その二人が作り出した作品を見ていきたいと思う。


この作品は「女性」を描いた秀作であったと言えよう。

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