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濡れた欲情 特出し21人

  • 執筆者の写真: makcolli
    makcolli
  • 2021年7月26日
  • 読了時間: 11分



このブログでも神代辰巳監督と、その作品に関して何度か書いたことがある。そしてこのように、神代辰巳の特性について記した記憶がある。


神代辰巳はロマンポルノの監督でありながら、作家性を前面に押し出してくる監督であると。が故に、その作風は独特であり、かなりの実験性に満ちている。


例えば映画における時制というのは、過去、現在、未来とオーソドックスに進行して、現在の中に過去の回想シーンが登場するなどというのが普通であるが、神代辰巳の場合はそうはいかない。


現在のシーンの中に突然、未来のカットが挿入されたり、一度写ったはずの過去のカットが突然現れたり、未来とも過去とも判然としないカットが登場したりする。


またカット割りやカメラワークも独特で、普通ならカット割りで繋ぐはずのシーンを、カメラの長回しやパンを行うことによって、構成して見せたりする。


要するに神代辰巳は芸術家肌の監督なのだ。

実験性、芸術性の高い作品をロマンポルノというフィールドで作り出したところに、神代辰巳の評価の高さがあるのかも知れないが、東映のやくざ映画やアクション映画を見て育った自分としては、神代辰巳があまりにも芸術性を強めた指向の作品については、正直言って辟易してしまう時がある。


あれは何年前だったのか。そう昔のことではない。

シネマヴェーラ渋谷で、ロマンポルノの女優として活躍し、伝説的な存在となった芹明香の特集上映があり、なんと芹明香本人のトークショーも挙行されるということになって、取るものもとりあえず、渋谷に向かったのであった。


その中で芹明香はスクリプターの白鳥あかねと、トークを繰り広げ、その中で神代辰巳のことにも話は及び、芹明香自身も出演している『濡れた欲情 特出し21人』は素晴らしいということを話していて、その話の内容は俺の頭の中に記憶され、いつかその作品を見たいと、常日頃から思っていたのである。


そんでだ。前置きが非常に長くなってしまうのだが、2019年、秋。『映画監督神代辰巳』という書籍が国書刊行会から出版され、それを記念して、またもやシネマヴェーラ渋谷にて、「蘇る神代辰巳」という特集上映が組まれ、その中の一本として『濡れた欲情 特出し21人』が上映されるということを知り、やはりそれなりに期待をして、久しぶりにシネマヴェーラ渋谷の座席に座り、その暗がりの中に身を沈めたのである。 作品の冒頭は当時、一斉を風靡していたのだろう。梶芽衣子の「怨み節」を口ずさむ、ホームレス的な男が路上で朝目が覚めたら、財布を拾い、その中に六万円が入っており、

「これで釜ヶ崎から抜け出せるんやーっ!」

と大騒ぎするところから始まる。


だが同時にこの作品は、今はなき伝説のストリップ劇場、浅草ロック座の女将の一代記的要素も兼ね備えていて、女将が現役の踊り子だった頃、支配人がギャラを不払いしたため、ケツをまくり、

「冗談じゃねえよーっ!金も払わないのに、女の大事なところ見せられるかよーっ!」

と、他の踊り子も引き連れ、劇場を出奔。


一踊り子に過ぎなかった女将は、持ち前の姉御肌を発揮し、踊り子たちを引き連れ、劇場から劇場を渡り歩き、サクセスストーリーを駆け上がっていく。

だが実は、この女将は本物の女将で女優でもなんでもなく、演技になっていない。だがそれが逆に、妙なリアルさを感じさせる。


他方、冒頭のホームレスは海辺のドライブインで男と話している。

ホームレスのことは、ここからスケコマシと書こう。なぜならスケコマシは、会話をしている男に、自分は根っからのスケコマシなんだと得意げに語っているからだ。


そのドライブインの片隅に芹明香が一人座っている。


それでスケコマシと会話をしている男なのであるが、この男が74年当時はまだ昭和元禄的な雰囲気が残っていたのだろう。当時の言葉で言ったら路上とかで、ハプニングを巻き起こす演劇人って言ったらいいの、とにかく相方と一緒に八百屋の前で突然、即興の時代劇を繰り広げ、最後は切り倒した相手に真っ赤なペンキをぶちまける、と言ったような2020年代においては、完全に消滅した類の人間で、この男が作品中、話の脈絡に関係なく現れては消え現れては消えを繰り返す。


ここまでで話はかなり入り組んでいるというか、複雑に構成されていると言ったら聞こえはいいが、要するに話があっちに行ったり、こっちに行ったりで散漫な印象は見ているうちに拭えなくなってきた。


それからスケコマシはスケコマシであるから、岸壁でさまよっていた芹明香に声をかけ誘い、芹明香もまんざらではなかったのか、そのままスケコマシとホテルに直行し、即肉体関係を回転ベッドの上で結んだ。


男はセックスをしながら芹明香に、

「京都行こう!京都行こう!」

と何回も言い、芹明香は、

「行くーっ!」

と喘ぎながら答えた。


ロック座の女将が率いる一座は、巡業先で夜を迎え、雑魚寝をしている踊り子とそのヒモは、暑さも手伝ってなのか、次第に発情し始め、それを羨ましそうに見ていた、仮にここではデバガメと呼ぶことにしよう、デバガメもむらむらきてしまい、隣で寝ている踊り子の片桐夕子にちょっかいを出したが、思い切り拒絶され、そのまま片桐夕子は一座を遁走してしまった。


翌朝。

デバガメは女将に詫びを入れ、頼んでもないのに小指を詰め、血飛沫あがる指を抱えながら、病院に向かって走るというトンマさを見せつけたが、そのデバガメは踊り子の絵沢萠子のヒモであるという、人間関係の相関が複雑であるという側面もこの作品にはある。


スパイダースの「エレクトリックお婆ちゃん」が、BGMとしてかかるなか、芹明香はスケコマシに乗せられて、ストリップの練習をしていた。

「ストリッパーはええで!トルコ嬢みたいに体売ることもない。ホステスみたいに嫌な客とることもない。あのストリップの殿堂、浅草ロック座の女将も元々は踊り子や。裸一貫から始めたんや!ストリップには夢があるでえ!」


そこに片桐夕子が現れる。

やはりスケコマシはスケコマシらしく、片桐夕子もヤツの女で、彼女はヤツを追ってやってきたのだ。だが不思議なことに、芹明香と片桐夕子の間でケンカが起きることはなかった。


三人は冬の東北へと移動した。その道中、片桐夕子は雪景色の中に座りこみ放尿した。


山形だっただろうか。

現地のストリップ劇場に到着すると、スケコマシは芹明香と片桐夕子にレズビアンショーをやらせた。


話は前後するのだが、初手からストリッパーだった片桐夕子は一人で踊ったのだが、その見せ方が、

「はいよ。はい。そっち見せるよ」

と言った具合に非常に冷めていて、ビジネスライクなところがあった。


ところが芹明香とのレズビアンショーになると、もうノリノリで天狗の面を股間に着けた片桐夕子は、芹明香のことを絶頂に導くのだった。

さらに感じやすい芹明香は、次第に心も片桐夕子に惹きつけられてゆく模様であった。

「お姉さーん。うち感じやすいんや。あんなこと1日4回もやったら、もう体がボロボロになってまうわ」

そう言って芹明香は、片桐夕子の肩にしなだれかかった。


劇場には布団敷きの爺さんがいた。

ただストリッパーが舞台の上で寝るための布団を敷く係である。ストーリーにも一切絡んでこない。その爺さんが舞台袖で、深く陰影がついたバックを背にして、佇んでいるカットが突然挿入される。


かと思うと、波間を走る芹明香の全裸姿が突然現れる。


神代辰巳の作品をそれなりに見ていて思ったことがある。

それは神代辰巳は、鈴木清順のことを強く意識していたのではないのかということだ。鈴木清順は60年代、日活専属の監督だった。

だが現在でもその作品を見てみると、実験性や芸術性に富んでおり、明朗青春映画やアクションが主体の日活作品の中においては、異端中の異端であった。

あまりに作品が実験的過ぎるため、鈴木清順の作品には客が入らず、結果的に日活を解雇されてしまった。


神代辰巳のデビュー作品は、日活がロマンポルノに転向する前の一般作品で、『かぶりつき人生』という、これまたストリップを題材にしたものであったが、客があまりにも入らなかったため、神代辰巳はその後干されることになってしまった。

彼が活躍するようになったのは、日活がロマンポルノに転向することになり、多くのスタッフたちも日活を退社することになったため、そこでお鉢が回ってくることになったからだ。


神代辰巳は密かに思ったのかも知れない。鈴木清純的な方向をロマンポルノでやってみようと、あるいは鈴木清順の後を継げるのは自分しかいないとさえ思ったのかも知れない。


仲を深めた芹明香と片桐夕子にとって、スケコマシは単に邪魔な存在でしかならなくなった。

「あなた。私たちのためならなんでもするって言ったわよね」

「ああ。言った。言った」

「それなら。もう。私たちと別れてよ。二度と現れないで」

「・・・なにい。このアマぁ。そんなことできる訳がないやろがぁ!」

「私たち。もう。二人だけでやっていけるんだから!」

スケコマシは暴力によって、芹明香と片桐夕子を屈服させようとしたが、結局は劇場を出ていく羽目になった。


それで話はあっちに行ったり、こっちに行ったりするのだが、指詰をしたデバガメは、やくざにいつの間にか転身していた。そしてロック座の女将の前に現れ、こう切り出した。

「縁もゆかりもある女将さんに、はなはだ迷惑をかけ続けてきたあっしですが、ここは女将さんを女の中の女と見込んで、一つ頼みがあります。やくざ稼業の義理ありまして、車が必要なんです。どうか女将さん。車を貸してもらえないでしょうか」

「なに言ってんだよ。お前なんか、踊り子は逃しちまう。これまで散々どじ踏んできて、車を貸してくれもなにもないもんだよ」

「これだけ頼んでも、車は貸してもらえないんでしょうか」

「車なんか貸さないよ。いいから帰んな」

するとデバガメは脱兎の如く走り出し、女将の家を後にした。


その夜。

デバガメはドスを持って女将の家に進入し、女将をドスで斬って刺殺した。そして鮮血にまみれた女将の死体が床に転がった。


ハプニングは例によって、駅の待合所でハプニングを繰り広げていたが、今度という今度は警察に捕まり連行された。

「なんだよ!俺の演劇をなんでやめさせるんだよ!俺の芸術が分かるのかよ!」


留置所に入れられたヤツは一人歌った。


しきしまの

やまとおのこのゆくみちは

あかききものか

しろききものか


俺だけは死んでいく時に

おふくろのことを思い出すまいと思って

いたが・・・

やっぱり浮かんで来る

あんたは俺のなんなんだ

顔さえみりゃ泣いていたな

だがもう泣くなよ

おふくろ

涙の種が消えて行くんだ

あんたの涙の種が

消えて行くんだよ


女か・・・

顔も忘れた 名前も忘れた

道ばたの石ころのように

拾っては捨てた女たち

俺が死んで

泣くやつ千人 笑うやつ千人

知らぬそぶりが千人か・・・

それでいいんだ

まとめてアバヨを云わせてもらうぜ


どこかで聞いたことのある歌だなと、映画を見ながら脳内の記憶を手繰り寄せると、それは漢・安藤昇の歌う「男が死んで行く時に」(作詞・阿久悠、天才的)という名曲であった。当時、流行っていたのだろうか。


一方、行き場をなくしたスケコマシは夜汽車に乗っていた。

スケコマシは自分の席の脇を、それなりに見栄えのする女が通り過ぎるのを確認すると、すぐに女の後を追った。

そして女が列車の連結部分に入ると、ヤツは彼女を後ろから抱きしめ、そのまま行為に及んだ。

「どうや。京都行かんか。京都に」

「行くーっ!行く訳ないでしょ!」

こうしてスケコマシは通報され、その両手には手錠がかけられた。そして向かった先は、ハプニングが、「男が死んで行く時に」を歌う留置場であった。


しかし、その留置場でハプニングとスケコマシが、どんな会話を交わしたのかを一向に思い出せない。俺は人と比べて、記憶力はかなりいいほうだと思うのだが、さっぱり思い出せない。


ストリップ劇場の物干し場で、芹明香と片桐夕子が洗濯物を干している時だった。

急に片桐夕子は、その手を口に当てて苦しそうにしだした。

「あんた。まさか・・・」

「そ、そんなんじゃないよ」

だがすぐにまた彼女は、口を手で抑えた。それは明らかにつわりであり、片桐夕子はスケコマシとの新しい生命を、その胎内に宿しているのであった。


だがなにか映画としてはこの作品は、ここらあたりで終わっているように見えた。このあと、このシーンにスケコマシが車内で犯した女が現れ、さらに人間関係は奇妙なものとなり、さらにスケコマシが帰還し、片桐夕子のことを、

「やっぱり。お前が一番やあ。お前がごっつ好きなんやあ」

とか言って犯し始め、片桐夕子は、

「おしっこ。漏れちゃうーっ!」

と言ったと思ったら、あの雪景色の中で彼女が放尿するカットが、プレイバックのように突然挿入された。


あとは芹明香と列車の女がレズビアンショーを繰り広げる、というシーンで作品は突然のように終わった。


神代辰巳には気を付けろと言いたい。

娯楽に徹し切った『悶絶! どんでん返し』や、娯楽と実験性が程よく融合した『濡れた欲情 ひらけ!チューリップ』のような作品は好きだが、やはりこの作品のように実験性を前面に出した作品は、ついていけないものがあるし、単純につまらないと思ってしまう自分がいる。


映画の見方というのは当然、人それぞれなのだが、神代辰巳の難解性を難解だから高尚なものなんだと、したり顔をして映画を語るような人間にはなりたくない。


ただ。今回刊行された『映画監督神代辰巳』は読んでみたい気がする。

そこに神代辰巳の謎を読み解くなにかが記されているだろうから。



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