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執筆者の写真makcolli

札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥

岡山から駆け付けたというあいつは、完全にてんぱっていた。

『札幌•横浜•名古屋•雄琴•博多 トルコ渡り鳥』。世間的に見れば完全なションベン映画である。だが、ラピュタ阿佐ヶ谷の場内は超満員。補助椅子出すわ、通路に座布団敷くわでえらいことになっている。

さらにこの作品で芹明香のヒモを演じている東龍明さん本人が駆け付けてくれ、上映前に挨拶をしてくれた。

今からおよそ40年前のエロ映画であるが、時代は巡り、気づけば俺の両となりの席は女だった。なにがそうさせるのか?それはひとえに「わたしたちの芹明香」が放つ魅力が、時を超えても色あせていないということなのだろう。

この作品は日活ロマンポルノではなく、東映製作作品。監督は当時ホープと目されていた関本郁夫監督。

この作品はトルコへの潜入撮影。トルコ嬢へのインタビュー。トルコ経営者。ヒモへの取材というドキュメントをベースに、全国を流れてゆくトルコ嬢・芹明香とヒモ・東龍明の腐れ縁、ずぶずぶの関係というものを描いている。

短かったのかもしれないが、芹明香の時代というものが確かにあったのかもしれない。

今回の特集で組まれた作品のすべてが、73年から75年にかけてのものだし、そのなかでロマンポルノの奇才・神代辰巳や田中登はもちろんのこと、東映の深作欣二や関本郁夫監督。また松竹の監督ながら東映に招かれて、森崎東が手がけた傑作『喜劇 特出しヒモ天国』のような作品もある。

意識的な監督は、芹明香を被写体にしてみたいと思ったのではないか?

そのなかでシャブ中の娼婦。アル中のストリッパーなどを演じていった芹明香は、やはり希有な女優であったと言い切れる。演じているというより、その役のために生まれてきたとさえ思わせるものがある。

冒頭暗がりの中、男のケツに舌を這わせる芹明香嬢。

その後、南らんぼうを詐欺師にしたような東龍明と、ふうてんな、デラシネなトルコ渡り鳥としてあてどのない旅を続けるのだが、アパートの窓から放尿するという十八番をはやくも見せた。

そしてトルコのドキュメンタリー・シーンになり、本物のトルコ嬢が泡踊りにて、なめらかに男にサービスするのであるが、ここにナレーションを入れるのが我等が山城新伍。しかし新伍先輩の語り口はいつものようなC 調のものではなく、かなりシリアスな口調である。

闇の中で体を踊らせるトルコ嬢。そして彼女たちが語るモノローグ。なにかロマンポルノ以上に重たい雰囲気がのしかかる。

札幌を引き揚げ、横浜に向かう二人。その移動中の芹明香をカメラは写し出すのだが、そこで素の彼女が見られるような気がする。

屈託なく笑い、食べ、化粧をし、眠りこける芹明香。すっぴんの芹明香。そこには「よーい。アクション!」と言ってからカメラが捉えている彼女の姿とは別の彼女がいる。それでもこの人はやはり画になってしまう。そこが不思議としか言いようがない。

新伍先輩が語るには、トルコ嬢は月に平均100万円は稼ぐんだそうである。しかし、その100万をすべてギャンブルにつぎ込み、すってんてんになってしまう東龍明。

芹明香の前で土下座する東龍明。

「俺。働くわ。こないなことしていたらろくなことあらへん」

そう言って、芹明香に新聞の求人広告を見せる東龍明。

「別に無理しなくてもいいよ。あんたはあんたのままで」

「ひろみ(芹明香の役名)~っ!」

体を求め合う二人。

そのままカメラは雄琴のトルコ街を行き交う人たちを車から盗撮しはじめる。

そして新伍先輩は語る。雄琴のトルコ嬢の90%は、その生活の寂しさ故ペットを飼っていると。このドキュメントの部分と、フィクションの部分が見ていて、なかなかかみ合っていないなあ、と思ったし、途中で三悪追放連盟会や中P連、そしてなぜか黒鉄ヒロシへのインタビューなどがあり、中途半端な感じは否めなかったが、ある事件をきっかけにフィクションがドキュメントを凌ぐ勢いを見せ始める。

雄琴へ到着した二人は、新伍先輩の言う通り、一匹のマルチーズを飼い始め、芹明香はそのマルチーズ・ポニを溺愛し始める。

だが、東龍明がのんきにパチンコやっている間に、ポニはダンプカーに惹かれて死んだ。

東龍明はそれを見て愕然としたが、そのまま雀荘に行ってしまった。

芹明香が帰宅しても、そこには東龍明もポニもいない。心当たりに電話をする芹明香。東龍明は雀卓を囲んでいる。

夜の街をあてどもなくさすらう芹明香。

そこに取材したヒモたちの声が重なる。

「女なんてのはね。器量の善し悪しなんてのはどうでもいいんですよ。ヒモにとってはしっかり金にありつけるかどうかでね。これやりはじめたら、まじめに働くのなんかバカらしいですよ。女も20代過ぎたら賞味期限ないですわ」

大通りを歩いている時、暗がりの中で彼女が目撃したのは変わり果てたポニの姿だった。

アパートの部屋でひとりベッドに入っている芹明香。そこへ東龍明が帰宅し、布団のなかに入ってくる。

「こんな遅くまでどこ行ってたの?」

「どこって、男の付き合いやがな」

「ポニはどこいったの?」

「知らんがな。そこらへんで遊んでいるんちゃうの?」

ポニの死体を突きつける芹明香。

「なんで!なんでなの!あんたの仕事はポニの面倒見ることでしょ!」

「交通事故や!事故やったんや!また買えばええやないか!」

「そういう問題なの!?ポニは!ポニは死んじゃったのよ!」

さらに他のトルコ嬢に手を出してしまった東龍明。

荷物をまとめている芹明香。

「ほんま。ほんま。わしが悪かった」

例のごとく、泣き落としに出る東龍明。

「そんなにあの女が好きだったら、一諸に暮らせばいいでしょ。さよなら」

玄関を出て、階段を下りていく芹明香。東龍明の表情が怒りのそれに変わる。芹明香を追いかけ、部屋の中に引きずり込み、彼女をレイプしはじめる。

泣きわめきながら必死に抵抗するが、東龍明の暴力の前に屈する芹明香。

「どうじゃ。しょせんおまえはわしから逃げられんのじゃ」

パンティ一枚の姿で、散乱した部屋の床に横たわり、ぴくりともしない芹明香。

が、次の瞬間、そのままの姿で脱兎のごとく走り出し、往来を疾走する。パンティ一枚で駆け抜けてゆく。それを追ってくる東龍明。

芹明香はタクシー事務所に走り込み、そのままタクシーに乗り逃げてゆく。遠ざかってゆく東龍明の姿。

この作品を見た時、初めて芹明香の演技力というものに気づいた。

田中登の『(秘)色情めす市場』にしても、深作欣二の『仁義の墓場』にしても、森崎東の『喜劇 特出しヒモ天国』にしても、芹明香はそこにいるだけでいいと思っていた。

そこにいるだけで充分過ぎる魅力と存在感を放っているし、この人は演技力うんぬんで語るべき人ではないと思っていた。

しかしこの作品で、泣き、笑い、セックスをし、男に甘え、甘えられるという一連の彼女を見た時、実は本能的な、なにかがそうさせているのかもしれないが、多面体としての女を見事に演じ切っているということに出くわしたような気になった。

少し気になったので、関本郁夫監督著『映画人列伝』を読んでみたら、芹明香について以下のようなことが書いてあった。

「芹明香 これ程、うまい女優を僕は知らない。僕は今迄、映画七本、TV十一本を撮ったが、一度も注文を出さなかった女優さんは、おそらく芹明香ぐらいではなかろうか、とりたてて美人という顔ではないが、芝居がうまいと実に綺麗に、なにをやっても絵になるように見えてくるから不思議である」

 芹明香に関してロマンポルノの独特な存在感を放つ女優と見る向きはあっても、名女優と見る向きは少ないだろう。だが退廃的な役柄を演じる、演じてみせるということひとつを取ってみても、この人の演技人として潜在能力が高かったということは事実だろう。

その後、一人になった芹明香は北に向かって旅立つ。生まれ故郷の津軽の漁村にやってくる。このシーンが実にいい。

真っ赤なマキシコートを着て、津軽の荒海を望む浜に立っている芹明香。風は強く吹いている。真っ赤なルージュを引いている。津軽三味線が鳴っている。

フルショット。アップ。さまざまな角度から彼女を映していく。

「故郷に手紙出すなんて言うてもね。雄琴っていうとバレるから、わざわざ京都の郵便局まで行って出したりね。最近は週刊誌でもなんだかんだ言っているでしょ。田舎の人でもそれくらい知っているのよ」

そのドキュメントで拾った声、全トルコ嬢の哀感を体現しているかのように、芹明香は津軽の荒海を前に立っている。

で、最後はなんだかんだ言って、東龍明と腐れ縁でよりが戻るんだけど、先の監督の書によると列車の便所内でのセックスシーンは、実際に列車で移動中の監督がとっさに閃いて、ゲリラ撮影にて撮られたそうである。

トンネルのなかに突入し、またもや抜ける、さらに突入する。そこを当然手持ちカメラで撮っている臨場感がいい。

座席でビールを飲んでいる芹明香。便所に行きノックをするが使用中。すると最後尾のドアを開け、スカートをたくし上げ、パンティーを下し、再び放尿する芹明香。ここまでは列車内からの撮影なのであるが、次のカットでは屋外に構えたカメラが走り抜けてゆく列車の最後尾で放尿している彼女を、ばっちり捉えている。

その姿に浮かぶエンドマーク。

すべてが終わった時、場内から拍手が起こった。

聖と俗。卑猥と秀麗。はかなさと生命力。毒とはじらい。せつなさと連続性。背徳と秩序。それらをすべて兼ね備えた「わたしたちの芹明香」よ!永遠に!

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