某日。神保町シアターの特集、「監督と女優 エロスの風景」の『でんきくらげ』(70年。増村保造監督)を観に行く。
70年。大映も末期症状を呈していた。末期症状=エロ路線へのシフトはお決まりのコースで、日活はそのままロマンポルノに突入した。
大映黄金時代の増村監督は、若尾文子を主演に据えて、名作、秀作を数々ものしてきた。そんな名匠であるが、大映末期のこの頃、安田道代を主演に据えて『セックスチェック 第二の性』という怪作を世に送り出していることを忘れてはなるまい。
渥美マリ。その女の名前を聞いただけで、エロいイメージが脳内に溢れるのはなぜなのだろう。だがそのエロとは、東映の脱ぎ脱ぎ女優であった池玲子や杉本美樹とも違うものだ。彼女たちがおっぱい丸出しにして、やくざやチンピラ相手に、おもいっきりパンティー丸見えで、蹴りなどを喰らわせていたという、あっけらかんとしたエロさであったのに対し、渥美マリのエロさとはもっとじめっーとしているというか、なにかが重いのだ。その重さとは人間の業のような重さとも違い、やはり大映の作風に顕著な重厚な画面構成やライティングのなかに発散されたエロスというようなもので、奔放なエロスというよりも内に秘めたエロスという感じだ。
そんな高尚な表現を使わないでも、偶然古本屋で手に取った70年前後のエロ本のモデルがスクリーンの中で動き出したと思ったら、それが渥美マリだった、という表現の方がリアリティーが強い。
玉川良一は渥美マリの母親のヒモのようなものだった。一応保険の外交員はしているが、渥美母(根岸明美)のアパートに転がり込み、日がな一日ビールを飲んだり、テレビを見たりして気楽に暮らしていた。
根岸明美は中原早苗(故深作欣二婦人)の経営するスナックでホステスをしていたが、年増、他のホステスの客にたかるなどの行為によって、スナックでは鼻つまみものであり、甲斐性なしの玉川良一を、
「あの人は優しい人だからいつか結婚してくれる」
と淡い夢を抱き、渥美マリには立派な女になって欲しいと、洋裁学校に通わせているのだった。
だが玉川良一は溜まっていた。しつこい根岸明美とはセックスレス状態が続いていた。そんな玉川良一の目の中に、ミシンを踏む渥美マリの生足という裏筋をキンキンに刺激する光景が飛び込んできた。
「そんなに根詰めちゃ体に悪いぜ。こっちきて一緒にポーカーでもやんねえか?」
渥美マリとポーカーを始める玉川良一。そのトランプが普通のトランプじゃなくて、エロトランプというのがミソである。
「俺は前々からおめえの体が欲しかったんだよ!!!」
ゲームの途中、やにわに渥美マリの体を奪う玉川良一。そしてマリの体にきつい一発を喰らわせるのであった。
玉川良一をそこまで発奮させた渥美マリの肢体であるが、2017年という現在の視点からしてもかなりイカしている。渥美マリがニューヨークのサウスブロンクスをモンローウォークで歩いたら、助平な黒人が「ヒュー。ヒュー」と口笛をくちづさむかどうか分らないが、劇場の暗がりのなかで渥美マリの肢体を見つめていた多くの野郎たちが、ピンコ起ちとはいわねども、その息子から我慢汁の一筋やふた筋を滴らせたとしても不思議ではない。
ましてや当時は現在のようにAVなどというものは考えもつかなかった時代である。エロの情報源は限られていた。銀幕の中でエロスを発散させる渥美マリに、世の男どもは映画を頭ではなく、下半身で見ていたはずではないのか?渥美マリはまさに大映倒産直前に咲いた徒花だったのではないのか?
しかし全編を通して意外にマリの露出度は低い。おっぱいも丸出しにはせずに手ブラで隠しているし、全編おっぱい丸出しで疾走する東映三角マークの不良娘たちとは違ったエロスの発散の仕方を増村監督は描きたかったのか?それともそれが大映の限界で、が故に倒産したのか?
そんな疑問符が多く残る中、とにかく玉川良一はきつい一発を決めちまった。そこへ酔いどれ気分で寿司のお土産持って、根岸明美・母が帰宅した。
なんだか部屋には気まずい空気が漂っている。ポーカーフェイスで煙草なんか吹かしている玉川良一。
「なんだい。どうしたんだい。お前?」
「言えないわ」
「この娘はちょっと疲れているんだよ。なあ」
「母さんに言えないことなのかい?」
「じゃあ言うわ。この人私の体無理矢理奪ったのよ!」
一気に凍り付く室内。
「あ、あんたって人は・・・」
「こうなりゃやけくそだよ。そうさ。やったのさ。目の前にこんなピチピチした体見せつけられて我慢してろってほうが罪ってもんよ!ババアのてめえと違って十分に楽しませてもらったぜ!これで俺も若返ったってもんよ!ざまあみろ!」
台所に走り、包丁を手にする母。
「なんだ?俺をやるって言うのか?やりたきゃやってみろよ!こんなババアほっておいて二人でほかで暮らそう!」
一発決めたから、すでに渥美マリは〝俺の女〟と単細胞な玉川良一は、マリの腕を引っ張りアパートから出て行こうとしたが、そのまま刺殺された。母はブタ箱送りに。
このあとストーリーは、渥美マリが母同様、中原早苗が経営する場末のスナックでホステスとして働き出し、そこで縄張りを取り仕切るやくざに拉致されて、またもやきつい一発を決められそうになったりするのだが、そこへ銀座の高級クラブのマネージャー川津祐介が現れ、渥美マリを引き抜き、一流ホステスに育て上げるというものだが、川津祐介はそこの雇われママと恋人の関係にあり、渥美マリにくらくらきそうになるのだが、そこを理性で我慢し、最終的に渥美マリはクラブの社長・西村晃のものになってしまうというもの。
西村晃は渥美マリが、
「背中でも流しましょうか?」
と風呂場に見に行ったら、湯船の中で心筋梗塞で死んでいた・・・。
ママとの関係も解消した川津祐介と渥美マリは、やっとのことでモーテルにしけこみ回転ベッドが廻り、ルームミラーが裸の二人を写す中結ばれるのであったが、西村晃の財産相続の話が持ち上がり、ごうつくな親戚たちはその財産を一銭でも多くむしり取ってやろうという魂胆であったが、渥美マリの腹の中には川津祐介のタネであったが子供ができていて、それを西村晃との子供だとマリは主張。
「畜生!こんなホステス上がりの女に財産を取られてたまるかよ!」
と婆さんはマリの腹に蹴りを入れるのであったが、元弁護士の川津祐介の知略によって全財産はマリの手に入るのであった。
すべてを手に入れ、やっとふたりきりの生活が約束されたかに見えたが、渥美マリは川津祐介との子供を堕胎してしまうのであった。そして彼と別れる決意も・・・。
「あなたが私を社長のものにするとあきらめた時、私はすでに死んでしまったのよ」
と、そんな今さらなことを口にするマリ。
だがそれは川津祐介にとって当然の報いだったのかもしれない。何度も何度も何度も渥美マリは川津祐介を誘ったのに、誘惑したのに、川津祐介は頭の中でママとの関係とか社長への義理とか、クラブにとってホステスは商品で自分はそれを管理するマネージャーとか余計なことを考え過ぎて、いっそあの刺殺された玉川良一のように男としての本能の赴くまま、アドレナリンとドーパミンを全開にしてマリの体にむしゃぶりついてしまえば良かったのだ。
男前を気取っている場合ではなくて、大卒の元弁護士なんていう下らないエリート意識をうっちゃって、かなぐりすてて、とにかく気も狂わんばかりに渥美マリのおっぱいめがけて猪突猛進すれば良かったのだ。
男として玉川良一と川津祐介の生き方、女との接し方どちらを選ぶかとしたら、俺はあの刺殺された玉川良一のパンツのなかパッツンパッツンで辛抱たまらないから、そのふとももにむしゃぶりついた率直な生き方を選びたい。
そう思わせる渥美マリのB級なエロさがたまらない一本だった。