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執筆者の写真makcolli

男はつらいよ フーテンの寅


渥美清がまだ「車寅次郎」に拘束される前の「男はつらいよ」を見るのはいいものである。

シリーズ第三作目『男はつらいよ フーテンの寅』で、のびのびと寅さんを演じる渥美清にその感を抱いた。

しかも監督は山田洋次ではなく、敬愛する森崎東。だが森崎東と渥美清は、『喜劇 男は愛嬌』、『喜劇 女は度胸』などの傑作をモノしてきたコンビである。

俺は山田洋次はある意味ずるいと思う。

それは同世代の同じ松竹の喜劇監督、森崎東や前田陽一が、喜劇性の中にも醤油を煮詰めたような人間の悲哀や怨嗟のようなものを描き、若松孝二風に言うなら「俺は手を汚す」というようなスタイルを貫いているのに対し、山田洋次はどこか優等生のように人間を見ている。

一見すると、市井に生きる人々に眼差しを注いでいるかのように見えて。実は少し高いところから人間を見ているのでは、という疑問を感じさせる。

ならば大島渚や吉田喜重、篠田正浩のような松竹ヌーヴェルバーグのように吹っ切れるかというと、そうでもない。

『学校』という映画がある。

あの作品で山田洋次は夜間学校にやってくる訳ある人たち、在日のハルモニや不登校になってしまった者、肉体労働者などを描いたが、結局は教師である西田敏行との友情みたいなところに物語が帰結して、面白くなかった。

そこにやってくる訳ある人たちの怨嗟のようなものはなかった。唯一、ドカチンである邦衛が最期、真っ黒いクソを垂れて憤死したのには救いがあったが。

山田洋次はこのような指向性というか、バランス感覚の持ち主故に、松竹大船調の正当な継承者とか、国民的監督と呼ばれるようになったのだろう。

だがその山田洋次の代表作である『男はつらいよ』を森崎東が撮るとどうなるのか?

基本的に脚本は山田洋次が書いているから彼の世界を大きく壊しているということではない。。

序盤も例のごとく、寅屋のみんなが、

「寅ちゃんどこにいるんだろうねえ?」

「まったくあのバカ、どこほっつき歩いているんだ」

なんて言っていたら、そこへひょっこり寅が現れ、そのままタコ社長の仕掛けた縁談に乗ってみたら、相手は以前旅で出会っていた春川ますみであって、ふたりは偶然の再会に意気投合。

すると春川ますみは一諸にラーメンの屋台をやっていた親父が、若い女に手を出して逃げてしまい、自分の腹の中には赤ん坊がいると、料亭の酒をかっくらいながら号泣する。

寅の頭の中には、この縁談を仕組んだタコへの怒りが込み上げてきたが、根が純な寅は、春川ますみを慰めてやるのだった。

しかしきびすを返し、寅屋に戻ると、おいちゃんから金を巻き上げ、千住方面へ急行する。

夕暮れ時、帰ってきた寅は、春川ますみとその亭主を伴っていて、相当に出来上がっている様子である。

「なあ!一度は好いた惚れたで一諸になった二人じゃねえか?腹にガキもいることだしよ。別れるなんて考えはよせよ」

「は、はい」

「おい!源公!酒じゃんじゃん買ってこい!それから芸者も一人や二人ばかり呼んで、近所のやつらにもめでてえことがあるから、寅屋に集まれって言ってこい!」

そしてドンチャン騒ぎの場と化してゆく寅屋。頭を抱えるおいちゃん、おばちゃん、博。

最後は春川ますみ夫婦の為にハイヤーまで呼び、その領収書は全部寅屋に回す寅。

みんなが帰ってあと、おいちゃん夫婦の怒りが爆発した。

「なんだよ!おいちゃんもおばちゃんも、あの二人を祝ってやんないのかよ!」

「そうじゃねえんだよ。なんでうちらが他人様の祝い事に金出さなきゃいけねえんだよ」

どこまで行っても噛み合ない寅の論理と世間の論理。この時は珍しく、タコ社長とではなく、博とガチで勝負した寅だが、そのまま遁走を決め込んだ。

湯の山温泉というひなびた温泉町。

そこの雑用人として寅は働いていたが、客には自分が宿の女将にどうしてもいて欲しいというので、困っちゃうけど、働いていると吹聴していた。

だが、仲居たちが言うには、あの男はテキ屋上がりで、女将さんに捨て猫のように拾われてきて、居着いてしまったという。

さらにその宿の宴会場で、国定忠次のような大衆演劇のような余興を披露し、人気者になっているのであった。

その女将が新珠三千代であり、寅は例のごとくこのマドンナにぞっこん惚れているのであった。

だが俺がこの湯の山温泉に舞台が移って、作品が俄然面白くなってきたと思ったのは、あるサイドストーリーの始まりだった。

ちなみに湯の山温泉では僧兵行列とかやっていて、そっちにも興味を持ったのだが。

新珠の宿では何人もの温泉芸者が働いていて、そのなかに染奴こと香山美子がいた。

新珠の弟、河原崎長一郎は学生であり、香山美子に思いを寄せていたが、香山美子がある男の二号になるということを知って、とさかに血が上りがちであり、香山美子に対しても、つい荒い態度に出てしまうのであった。

そんなある日の食堂。

「なんだよ。染めちゃん嫌がってるじゃねえかよ。そんな力ずくで女をどうこうしようって、粋な男のやることじゃねえよ」

「いいから。あんた黙っていてくれよ」

「なあ。染めちゃん。宿で寅さんとコイコイでもやってるほうが面白いもんな」

寅の顔に水をぶっかける河原崎。

シーン替わって、二人とも橋の上。

「ごろめんつうの場合、いちいち面倒な仁義は省かせてもらうのが常ですが、おあにいさんとは初めてのめんつう同士、お控えなすって。アッシ、姓は車。名は寅次郎。関東、関東と申しましてもいささか広うございます。ネオンジャンク瞬く東京の空の下」

寅がそんなことを橋の欄干に足をかけて言っているうちに、河原崎はナイフを持って迫り、寅は川の中に落ちて行った。

寅は新珠に向かって河原崎のことを解説する。

「ありゃイロモーゼっていうんですよ。そりゃ若いからね。もう溜まってきちゃうんだなあ。でもインテリはね。こうごちゃごちや考え過ぎちゃうんですよ。テレビの裏っかわ、あれみたいにね。回路がごちゃごちやしちゃって、だからインテリはだめなんだな」

そんな寅のインテリ批判とは裏腹に、実は香山美子も河原崎のことを想っていた。

そのことに気づいた寅は、河原崎の飛ばすバイクに二ケツして、ある場所へと向かった。

そこは打ち捨てられたようなバラック集落。遠くで煙突から炎が上がっている。

そこにある掘建て小屋が香山美子の実家であり、アル中でよいよいの父親・花沢徳衛とふたりで暮らしていた。

香山美子が芸者をしているのも、ある男の二号になるとしているのも、徳衛のためであった。

「おまえが染めちゃんと結婚するって言っても、この親父の面倒みれるのかよ」

「み、みれるよ」

「温泉宿のぼっちゃんとして、おんぶ日傘で育ったおめえが、本当にこの親父の面倒みれるのかよ。染めちゃんと所帯持つってことはそういうことなんだぞ」

すでによいよいになり、一升瓶を抱えながら、声に成らない声を発する徳衛。

「はあ。が。はあ。あ。があ。があ」

「染めよ。俺がいままで悪かったおまえにばかり苦労させて」

なぜかそれを同時通訳する寅。

「があ。は。ああ。あが。はうが。うが」

「もう。おまえたちの好きなようにするがいい。染めを芸者に出したときも、妾に出すって決めたときも悔しくて泣いたが、今は嬉しくて泣いているんだ。なあ。親父さんもこう言いなすってくれてるよ」

「お父さん!」

「寅さん。ありがとう!」

「ばか。例言うなら親父さんに言うんだよ。東京の浅草観音様近くに、こういう境涯の人たちの面倒を見てくれる奇特な方がいらっしゃるんだ。おまえら一人前になったら親父さんを迎えにくるんだぞ。そうと決めたら早いとこ駆け落ちしちまいな!」

ふたりが消えたあと急に改まり、

「さきほどからお見受けしましたところ、御同業の先輩おあにいさんと推察いたしやした。さぞやご苦労なされたんでしょう。

アッシ姓は車。名は寅次郎。軒先三寸借り受けましての挨拶と代えさせてもらいやす。関東関東といいましてもちと広うござんすが、葛飾柴又帝釈天で産湯を浸かりました駆け出して者で、訳あって親持たずの兄弟持たずの若輩者ですが、人呼んでフウテンの寅とはっしやす。以後お見知り起きのほどをよろしく頼みます」

と仁義を切る寅。

「はう。がう。あう。がう」

徳衛のうしろには神棚があり、そこに祀られているのは神農なのだろうか。

ここにはまぎれもなく、渡世人、アウトサイダーとしての車寅次郎がいる。シリーズも回が重なってくると、この部分は巧妙に隠されてしまうのだが、ここにはかたぎではない車寅次郎がいる。

そしてそれに対している花沢徳衛の姿は、アウトサイダーの末路、根無し草に生きてきた人間の末路を象徴しているとも見える。その姿にさえも敬意を払う寅。

この一連のシーンを見た時に、やはり森崎東だと感じた。醤油を煮詰めたような人間たちの怨嗟。それがここにもあった。

社会の最底辺のバラック部落。そこに住んでいるというか、生きているアル中よいよい人間とフウテンの寅と呼ばれる男同士の間で交わされるプライドとリスペクト。

やはりこれは山田洋次には描けないものではないか。

その後物語は、寅が新珠三千代から惚れられていると勘違いするが、彼女には別に想いを寄せる人がいて、結局振られる、というパターンを辿ってゆく。

そして「男はつらいよ」は山田洋次によって超ロングラン作品として化けてゆくのだが、この作品にはまだ〝危険な香り〟のする車寅次郎がいた。

森崎東監督作品としても佳作であると言える。

そして女優陣の中では、新珠三千代よりも倍賞千恵子よりも、香山美子が出色のできであった。

この人はもっと評価されていいのではないだろうか?

そんな気にさせる一本であった。

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