イービルという言葉がある。悪を通り越して、邪悪、よこしまな悪とでも言おうか。
「グッフフフフフ」
東映映画『尼寺(秘)物語』では、全編において若山富三郎の邪悪な笑い声が響いている。地獄の釜の蓋から漏れ聞こえてくるような含み笑いが。
藤純子扮する涼心は尼であり、その美貌から市電にでも乗ろうものなら、
「いや。めっぽうベッピンな尼さんやないけー。尼にしとくには勿体無いわー」
「たいがい男にでも振られたんちゃうんか」
などと、噂される存在なのであった。
その涼心の暮らす尼寺は、かつてから門跡寺院としての格式を誇ってきた歴史ある寺だった。その住職である御前に三田佳子、さらに年増の尼、悠木千帆時代の樹木希林、藤純子、さらに下女として大原麗子という女たちが寺には暮らしていた。
この作品、見所はもちろん尼に扮する藤純子なのだが、デビューして間もないちょっとおきゃんな大原麗子もいい。
門跡寺院としての格式を誇っている同寺であったが、問題も抱えていた。
かねてから本堂修復のための資金が必要になっていたのだ。年増の尼はこの問題を涼心に解決させようとしていた。
これが〝夢にまで見た不幸〟の始まりだった。
尼寺の本寺に当たる寺院の宗務局長に就任したのは、誰あろう若山富三郎だった。
トミーは宗務局長就任の挨拶ということで、尼寺にやってきて三田佳子と対面したが、すでにその邪悪にねばついた目は、涼心のことを舐め回していた。
「涼心はん。シロアリの被害がひどい言う。本堂に案内してくれまへんか」
「へえ」
監督は東映のアナーキスト・中島貞夫。
本堂裏にてトミーと涼心が会話を交わすシーンのアングルは印象的だ。軒下にカメラを据えローアングルで二人を映し出す。さながら加藤泰の映画のように、この作品にて中島貞夫はローアングルを多用する。
さらに引きのアングルも多用し、それほどカットを細かく割るということもない。
「ここもシロアリにやられてしもうて、ひどいんどす。御前のためにもなんとか本堂の修復お願いできまへんやろか」
「涼心はん。なんぼわしが宗務局長いうても一存でそんなことはできまへん。せやけど安心してええんでっせ。悪いようにはしまへんから。それと、なんやこの寺には寺宝でせいこう(どう書くのかわからん)さんいう人形がありますやろ。あれを一目でいいから拝ませてくれまへんか」
「せいこうさんはうちらのようなものには、どうもなりまへん。ただ御前だけが触れるのだす」
「・・・」
「ただ覚全はん。あなたすでにせいこうさんを見てまっせ。さっき御前が膝の上に乗せていましたやろ」
せいこうさんというのは、この寺に代々伝わる寺宝の日本人形のことで代々の門跡が愛玩してきたものだった。
作品の時代設定は昭和11年から昭和12年。場所はいうまでもなく京都である。
寺の台所(昔の台所を想像してみてほしい。そこにはかまどもあり、土間もある)で、年増の尼、悠木千帆、そして大原麗子が雑用をしていた。
大原麗子はなんの気はなしに、お膳を拭こうとしたが、そこに年増の尼の怒声が飛ぶ。
「こら!はな!これはお前が手にしていいもんとちゃうんや!この御紋が目に入らんのか!お前のような下賤のもんが触ったら汚れるわ!」
そのお膳には菊の紋が入っていた。さらに下女である大原麗子には同じ寺とはいっても立ち入れない場所もあり、そういった時必ず叱りつけてくるのは年増の尼であった。
さらにこの尼は三田佳子に対しても不満があるようであった。
「本堂修復の件にしても、前の御前の時やったらもう話は済んでいたんえ。何しろ前の御前は皇族の出やったからな。けど今の御前は士族の出や。通る話も通りゃしまへん」
そう三田佳子のいないところで、悠木千帆にこぼすのであった。
その本堂修復の件に関して涼心は、トミーおっと覚全から呼び出しを受けていた。しかもそこは寺などではなく、オツに襖に春画なんかを張っている料亭であった。
「本堂修復の件。書類にハンコを押してくれるのどすか」
「ハンコな。ああ押したるわ。女将、酒持ってきてや。涼心はん。そんなところに座っとらんともっとこっちへきいや」
女将がお銚子に入った酒を持ってくる。
「酌してくれんか。涼心はん」
覚全の眼は邪悪に光を放っている。さらにタバコを吹かす覚全。
「本堂修復は御前のかねてからの願いで・・・」
「涼心!わしは!わしは!」
いきなり涼心に抱きつく覚全。
「涼心!好きなんや!すっきなんや!一目みた時からもうたまらないんや!」
「なにを!やめて!」
「涼心!!!」
こうして覚全は涼心の体をいただいちゃった訳である。肉体関係を結んじゃったのである。男と女の関係になっちゃったんである。
ついでに涼心が覚全に犯されている間中、庭ではししおどしが鳴っていたのである。
坊主頭が見えるか見えないかほどのアップになった涼心、いや藤純子の顔。その頬には涙が伝っている。
なんとも男の浪漫ではないか。あの大女優・藤純子が映画の中とはいえ若山富三郎という、むくつけき男に犯され、涙するという姿が見られるのである。
考えてみてもほしい。盛りのついた若山富三郎である。発情期の若山富三郎である。
そのビンビン度といったらオットセイ並みであったことは、想像にかたくない。
そんな化け物みたいなものに、あの藤純子が犯されるのだからたまらない。
藤純子の代表作といえば「緋牡丹博徒」シリーズである。
あのシリーズにてはプラトニックに緋牡丹のお竜、藤純子を慕っていた若山富三郎演じるちょび髭の熊が、この作品にては盛りのついた馬みたいに藤純子を犯しまくるという行為に出ているのだ。
『尼寺(秘)物語』の公開は68年。
「緋牡丹博徒」公開の直前ということになろうか。仮に「緋牡丹博徒」が先に企画され、公開されていたら、この作品はなかったであろう。
が、ゆえに貴重な作品であり、藤純子としては自身のフィルモグラフィーから抹消してしまいたい一本なのではないだろうか。
さらに目を転じると若山富三郎という役者は、東映にて芽が出ず都落ちの形で大映にて出演した映画『処女が見た』にては、なんとやはりエロ坊主、クソ坊主、生臭坊主を演じ、若尾文子扮する尼をこれまた犯して、犯して、犯しまくるという美味しすぎる役を演じているのだ。
邦画史上においてエロ坊主をやらせたら若山富三郎の右に出るものはなしのレベルである。
『尼寺(秘)物語』においても『処女が見た』においても、その撮影現場にて若山富三郎がその体内に赤まむしの一本や二本を流し込んでいたとしても、なんら不思議ではないのである。
あまりに発奮しすぎて本番にて、藤純子や若尾文子から、
「若山さん!やめて!」
と言われたことは想像にかたくない。
とにかく映画の撮影ということではあれ、若山富三郎が藤純子と若尾文子という邦画史上に燦然と輝く大輪の花を犯したことは間違いないと記しておこう。
覚全が涼心を犯しちゃったその夜、覚全は尼寺ではなにかと人手もいるだろうということで、タケという津川雅彦演じる男を寺男として連れて行けと言った。この津川雅彦がビッコを引いているキャラ。
尼寺への帰り道、道が二股に来たところで涼心はタケに先に行けと言い、自身は滝に打たれに行った。それは覚全に犯されたという邪悪すぎる出来事を、滝に打たれて洗い流したいということだったのだろうか。
しかし二股の場所に戻ってみると、そこには津川雅彦が待っていた。
「もしものことがあったらいけませんのでな」
「もしもって!もしもなんてあるわけないやろ!」
結局、覚全に犯された夜、料亭に泊まった涼心は朝帰りをした。
「昨夜は覚全はんと本堂修復の話が長なってしもうて、本寺に泊めさせてもろうたんです」
「そうならええけど。ここは戒律の厳しい尼寺でっせ。門限は守ってもらわなあきまへんで。そうでっしゃろ御前」
「まあ。ええやないか。涼心が無事に帰って来たんやから。寺男のことも覚全はんの頼みやしええこととしよう」
津川雅彦が尼寺にやってきて一番喜んだのは、大原麗子であった。あまりの嬉しさに石を投げて自分の部屋の障子を破いた。
さっそく薪割りをやっている津川雅彦に話しかけたが、彼がビッコを引いているのを見て、
「ふーん。だからあんた寺男なんかにきたの」
と聞いたが、当の津川雅彦は貝のように押し黙ったままであった。
破れている障子の向こうに納屋が見える。そこからカメラがズームバックすると、その破れている障子は例の大原麗子が開けたもので、そこから納屋の様子を伺っている彼女がいるというカメラワークは秀逸。
そのまま大原麗子は納屋に近づき戸を開けてみた。一瞬、ドキッとした表情を見せる大原麗子。そこには上半身裸の津川雅彦がいた。
その後、大原麗子は納屋の土間に自分の名前はなと津川の名前キクを書いたり、焚き火をくべてやったり、津川の体を拭いてやったりした。
無口な津川は黙っていたが、そのまま大原麗子をいただいちゃったのである。
翌朝の大原麗子は嬉々として仕事をこなしていた。
一方、涼心はといえばまたもや覚全から呼び出しを受けていた。
本寺の大伽藍。その門のところで涼心は覚全に言った。
「話ならここでええじゃおへんか」
「生娘やあるまいし。アホらし。わしの部屋へくるんや」
そして覚全はまたしても涼心の身体をむさぼった。まさぐった。もてあそんだ。
覚全はタバコをくゆらせながらこう言う。
「本堂修復の件な。あれ。会議に測って見たけどあかんかったわ。せやけど心配することないで。新年のお茶会あるやろ。あれ成功させたるわ。そしたら金もできるしな」
坊主頭に尼さんが被る頭巾をかぶり、着物の乱れを直している浄心に対して、覚全はなおも続ける。
「タケな。あいつ変わっているヤツやろ。もともと能登の方の小作人の倅でな。わしが面倒見てきてやったんや。あの足な自分で銃で撃ったんや。なんや女のためにやったとか、兵役逃れるためにやったとか噂があるけどな。そのこと聞いても一向にしゃべらんのや」
そこに実際に津川が日本海の海岸らしきところで、ライフルで自分の足を撃ち抜く映像がインサートされる。
この大伽藍である寺のロケは知恩院にて行われたそうである。その巨大な階段の上で藤純子を待ち伏せていた若山富三郎は、またしてもグッフフフフと邪悪な笑みを浮かべていたがロケはゲリラ撮影で、しかも作品が作品なだけに中島監督は知恩院から出入り禁止の処分を受けたという。
不敵な笑みを浮かべている覚全であったが、なにやら骨董商のような商人のような芦屋雁之助に金を催促されていた。
「ここにはくるないうたやろ」
「せやけど覚全はん。話が違うやおまへんか。宗務局長になったら金は全部自由になるいうたやないですか」
「もう使ってもうたわい」
「使ってもうたってそんな。まあわいにいい考えがありまんのや。覚全はん。最近、あの尼寺林光寺に出入りしてまんのやろ。どないだ。そこにあるせいこうさん持ってきてくれるいうのわ」
「せいこうさんを」
年が明けて尼寺ではお茶会が催された。
御前への新年の挨拶をするため○○閣下と呼ばれる人間や京都市長などが訪れ、それらの者たちに御前は、
「今年もよろしゅう」
と京言葉で返答をしていた。
その尼寺の門に続く階段を場違いな家族が登っていた。
「ええか。何聞かれても結構です。結構です言うておくんやぞ」
「結構です。だけでええの」
その三人は父・曽我廼家明蝶。母・ミヤコ蝶々。娘・桑原幸子(同時期、東映制作のお色気アクションドラマ「プレイガール」にて活躍)であった。
明蝶家族はお手前に預かったのち、本堂の修復費用として幾ばくかを寄付した。それはお茶会に列席した皆がそうしたことであったが、明蝶はさらに焼き物の暁烏と呼ばれる名器を寺に預けた。
その後、皆は浄心の説明で展示してあるせいこうさんを拝観することになったが、その中に邪悪な目つきをしている覚全がいることはもちろんなのであった。
女だけの生活空間に男が一人入ってくれば、どのようなことになるか。
津川と大原麗子のことはすでに年増の尼の耳に入るところとなっていた。
「この戒律の厳しい尼寺で下女と下男のこととはいえ、ふしだらなことがあったとあっては世間がなんと言うか。即刻、あの二人にはここを出て行ってもらうべきやおへんか。御前」
「まあ。下女と下男のことや。好きにさせたらええやないか」
「御前!」
だが人間というのは不思議な者である。
津川が本堂のシロアリに食われた箇所に熱湯をかけている時、そこへ浄心がやってきた。
「キク。あんた。わたしのことを汚れていると思っとるのやろ」
「・・・」
突然、キクの体に抱きつく浄心。
「こんな気持ちになったのは初めてなんや。生まれて初めてなんや。なあ。キク」
その様子を遠くから大原麗子は見ていた。すっかり逆上してしまった彼女は、しまってあった暁烏の箱を持ち出し、谷底に向かって投げ捨て叩き壊してしまった。
これにもう頭きちゃったのが明蝶であった。
尼寺に押しかけ、男子禁制の領域に突入し三田佳子に、
「暁烏どうしてくれるんや!金はろうてくれんか!」
と詰め寄った。
すると三田佳子は年増の尼に、
「お茶会で皆さんからもらったお金があるやろ。あのお金を全部この方にあげてしまいなさい」
と言った。尼が、
「でも御前。あのお金は本堂修復の」
と言っても、三田佳子は、
「いいから。あげてしまいなさい」
と言った。明蝶は寄付金すべてを懐に入れると、そそくさとその場を後にした。
浄心は御前にタケへの思いをカミングアウトした。
「御前。わたしは五歳の時にこの寺にやってきて以来、世間のことも知らずに尼として過ごしてきましたが、自分が女であるということが分かったのどす。わたしは人形やおへん。生身の女なのどす」
御前は覚全に手紙を書いた。浄心とタケを石川のほうの寺に移してほしいと。
覚全はタケを例の料亭に呼び出した。
「われえ。浄心となんぞあったんかい」
「・・・」
「御前がこんな手紙寄越すいうことは、なんかあったということや。さあ。言うてみい」
「・・・」
「まただんまりかい。昔からお前はそうや。都合の悪いことになると貝みたいにしゃべらへん。浄心に惚れたん言うんけ。浄心を抱いたん言うんけ。なめたらあかんぞ!わしも宗務局長にまで上り詰めた男や!お前みたいな小作人の倅に自分の女取られたなんていうことがあるけえ!浄心女にしたのはわしや。このわしが女にしたんや!あいつ今からここにくるんや。その耳であいつがわしに抱かれて、よがる声聞いとけ!」
そう言うと覚全は津川を夜の庭に放り出した。そこへやってくる浄心。
「遅かったやないけ」
タバコを吹かす覚全。体を征服した=俺の女という覚全の発想が素晴らしい。デリカシーのカケラもないその発想が素晴らしい。
「もう話し合うことなんかおへんやないどすか」
「そうツンケンすることありゃせんやろ。本堂修復の件な」
「それはもう会議であかんいうことになったんちゃいますの」
「話を最後まで聞けや。せいこうさん持ってこいや。そうしたら本堂の修復はなんとかしてやるさかいに」
「せいこうさん!?そんな無茶な!」
「無茶もクソもあるけえ!」
浄心を布団の引いてある部屋に投げ飛ばす覚全。
「もう別れて!」
「そやったらせいこうさん持ってこんかい!せやなかったら永遠にわしの女でいてもらうで!」
精力の権化のようなものが浄心に襲いかかり、三たびその体を揉みしだき、舐め回し、奈落の底に突き落としていった。
「グッヒヒヒヒ。今の全部タケが聞いておったんや。タケは庭におったんや。グッヒヒヒヒ」
「・・・」
たまらず庭から出て行くタケ。
朝、尼寺に帰った浄心は托鉢僧の格好をして寺から出ていく。その懐にカミソリを忍ばせて。向かった先は彼女にとっては忌まわしい記憶しかない例の料亭だった。
「覚全はんなら出かけよりましたえ」
「それなら庭で待たせてもらいます」
そう言うとカサを被った彼女は、庭の一角にしゃがみ込んだ。その庭ではあの夜のように、ししおどしが鳴っている。
「タケ。どこまで行くんや。せいこうさん持ってくる言うから、こうして出向いてきたんやぞ。なんやここは薄気味悪い。歴代の御前の墓やないけ。男も知らんとな人形ばっか抱いて死んでいったんや。不憫なもんやで」
覚全の言うとおり、彼はタケの後ろについて尼寺の墓場を歩いていた。だが気づくとタケがいない。
「タケ!タケ!どこや!」
言うやいなやタケは背後から覚全に襲いかかり、その首に紐を巻きつけ力の限りに引き締める。情け容赦なく覚全の首に食い込んでゆく紐。
「タケ!ぐっ!」
必死の形相をして、なおも紐を引き締めてゆくタケ。覚全のハゲ頭が紅潮していく。そして彼の体から力が抜け、人形のようになった時、覚全は息耐え、タケは人殺しとなった。
その様子をせいこうさんを抱いた三田佳子が見ていたのである。
「あんじょうしいや。わたしも林光寺の御前や」
その言葉を受けてタケは覚全の死体を埋めるための穴を鍬で掘り始めた。やがてタケを手伝い始める大原麗子。
一方、料亭にては涼心がくるはずのない覚全を待っていた。その懐にカミソリを忍ばせて。だが彼女の身体を異変が襲う。
「うっ!」
急な吐き気に見舞われて、竹垣まで走り込む涼心。それはいわゆるつわりであった。そしてことの意味を知り、運命のどん底に叩き落とされる涼心。
精力絶倫な若山富三郎、おっと覚全は涼心の腹にタネを植え付けていたのだ。
街を茫然自失状態で歩く涼心。その反対側から兵隊たちが列をなし、軍靴を響かせて歩いてゆく。
ところ変わって本寺の一室。
「きょうは御前自らお出向きとは、どのようなご用件で」
「なに。覚全はんの最近の様子などはいかがと思って」
「それが覚全は宗務費を使い込みましてな。誰にも顔向けができないとみえて逐電しましたわ」
「ふっ。ふふふ。あっはははは。あっーははははは」
三田佳子のその笑い声にかぶさる「終」の文字。
60年代の日本映画界は尼映画が量産されていた時代であった。この作品もそんな一本であったに違いない。
藤純子はこの作品が初主演作だという。若山富三郎に犯しまくられたこの作品が処女作だという。この時点では誰も彼女がスターになるとは思ってもいなかったろう。藤純子自身も思ってもいなかっただろう。
だが仮にこの作品の主演が藤純子でなかったとしたら、単なるプログラムピクチャーの一本として歴史のかなたに消え去っていたことだろう。
誰にでも思い出したくない過去や、消してしまいたい記憶というものがあるはずだ。藤純子にとって『尼寺(秘)物語』は、そんな映画に違いない。
だが邦画ファン、東映ファンにとってはだからこその『尼寺(秘)物語』なのであるが。
「グッフフフフ。純子はいただいちゃったよ」
そんな若山富三郎の声が聞こえてきそうである。