川島雄三監督の作品を見るのは二作目であるが、どうもその作風に馴染めないところがある。
芸者とおぼしき若尾文子は、どう見ても恋人とは思えない山村聡と床を同じにしている。
「ねえ。お名刺くださらない。恋人だって言うことにしておけばいいんですもの」
「ああ。そうか。恋人か。名刺ね」
すると。どこからともなく大太鼓の音が聞こえてくる。
「なんだい。あの音は」
「靖国神社の太鼓の音ですよ。毎朝、五時になると鳴らすんです」
靖国神社の界隈に花街がある(あった)とは知らなかった。若尾文子は、その置き屋に所属する芸者の一人であったが、踊ることも苦手、三味線や唄も苦手なことからドドンパ芸者と周りからは言われていた。
芸者。それは2020年代に生きる自分にとっては、縁遠い存在である。だが、この作品に登場してくる芸者たちは、酒宴の席で客をもてなし、そのまま男と寝ることになんの抵抗も持っていないというか、むしろそれを商売と割り切っている感がある。
男たちの意識も同様で、芸者の性は金でいくらでも買えると思っている。
昨今、世間を騒がしている芸能人の女性「上納」問題なのであるが、この時代(公開は1961年)会社などの接待の席で芸者を呼び、そのまま一夜を共にするなんて言うことは珍しいことではなかったのだろう。
だが現在のそういった花柳界文化が廃れた視点から、この作品を見てみると、作品の世界観そのものがいまいち読み取りづらいと言うか、理解に時間がかかるような気がする。
会社の社長なのか上田吉二郎もまた若尾文子(芸者名・小えん)を贔屓(ひいき)にしている男であった。その上田吉二郎が小えんを床に連れ込む時に、
「守るも攻めるも 黒金の」
と軍艦マーチを歌ったのには笑った。
そんな上田吉二郎が大きな酒宴を催す時に、連れてきていたのがフランキー堺であった。フランキーは上田吉二郎が馴染みにしている寿司屋の板さんとかで、酒を飲むのはからきしだめで酔いが回ったフランキーを、小えんが介抱してやると言うことで二人は、床を同じくした。そこでどうやら二人は、気が合ったようなのである。
この宴席の前に小えんは、ある知り合いの芸者から声をかけられていた。
「わたし。今度、銀座のクラブに移るのよ。芸者なんて堅苦しいし。どう。あなたも一緒にこない。お給料だって、ずっといいのよ」
「でも、そんなこと急に言われたって」
「小えんちゃん。何しているの。さっきからお待ちかねだよ」
「は、はい」
靖国神社の近くにある小えんが席を置く、置き屋の近くには学ランを着た藤巻潤がよく通っていた。その日、若尾文子は置き屋の仲間と銭湯に行った帰りに、藤巻潤を見かけた。
他の芸者たちは、藤巻潤に声をかけるチャンスだなんだのと言っていたが、小えんはやめなさいよ的なことを言っていた。
そんな芸者たちが食っていくためには、贔屓の客を何人も作っておかなければならなかったようだ。小えんはパパさんと呼んでいる男と、その車で箱根に行くことになった。
だが、このパパさんと言うのがスケコマシで、箱根の旅館に着いて浴場に行こうとするなり、昔なじみの女と出会ったのである。
「なんだい。奇遇だな」
「女風呂を覗こうとしている人がいると思って見たら、あんたじゃないの」
「どうだい。これからドライブなんか」
「とか言って。いい人でも連れてきているんじゃないの」
「あんなのどうとでも言って、東京に帰しちまえばいいんだからさ」
部屋に戻ったパパは入浴している小えんに言う。
「いや。なにね。昔の会社のやつらにばったりでくわしちまってさ。これからゴルフに行かなくちゃいけなくなっちまってね」
「パパさん。嫌よ。わたし一人で東京に帰るなんてつまらないわ」
「ごめんな。今度、埋め合わせはするからさ」
こうして小えんは、一人で東京に帰ることとなった。
置き屋に帰る道すがら、彼女はフランキーが務める寿司屋に寄った。この店には以前、パパと冷やかしで来たこともあった。
これはストーリーとは別の話になるが、この寿司屋のディティールというものが素晴らしい。現在では寿司屋と言えば、回転寿司を思い浮かべる訳であるが、当然この時代にそのようなものはなく、板さんが目の前でネタを握ってくれるスタイルである。
そこで板さんが威勢よく、
「はい。中トロお待ち!」
とか、
「何番さん。アガリでお願いします!」
などと言う光景は、今では見る機会がめっきり減ったものである。
話を元に戻すと、小えんは昼時に寿司屋にやってきた。そこでは従業員たちが、まかないを食べていた。
「あら。まだやってないの」
「もう。やっていますよ。何にいたしましょう」
「そうね。軽く見繕ってちょうだい」
「はい。承知いたしやした」
フランキーは包丁を研いでいる。
「野崎さん(フランキーのこと)。元気ないんじゃないの」
「へい。ちょっと風邪を引いておりやして」
「今夜。酉の市に一緒に行かない」
「からかっちゃいけやせんよ」
「でも、自家発電じゃ寂しいでしょ」
店内から一気に笑い声が起こる。
若尾文子の口からエロジョークが発せられるとは思っていなかった。
その夜、小えんと野崎は一緒に酉の市へと出かけた。野崎は小えんに小さな熊手を買ってあげた。ごった返す人熱(ひといきれ)の中、小えんが声をあげる。
「いやん」
「どうしたんだよ」
「だって。お尻を触ってくるんですもの」
「これだけの人手だからよ。我慢しろよ」
そう言うや否や小えんの臀部をタッチする野崎。二人はそのまましけ込んだ。
「売春防止法ができてよ。あんたらも商売上がったりだろ」
「そうでもないのよ。抜け道はいくらでもあるんですから。客っていうことじゃなくて、恋人同士っていうことならいいんですから」
「なるほどね」
そのまま二人は一夜を共にした。
若尾文子が籍を置いている置き屋には、銀子という芸者がいたのだが、この女が酒癖が悪く、酔うと大虎になり暴れるのであった。
そんな時、小えんに対する密告があり、彼女は商売ができなくなった。他の芸者たちは、銀子が小えんを妬んで垂れ込んだと考えた。置き屋の女将は靖国神社の社殿の前で手を合わせていた。
「あんた。神様になったんだろ。どうかアタシを助けておくれよ」
シーンが変わるとそこは銀座のクラブで、陽気にジャズのハコバンが演奏を繰り広げていた。そこに若尾文子がいる。
「わたし。ここに移ってきてよかったわ。小園さん」
「小園はやめてよ。芸者の時の名前なんだから」
「ああ。そうだったわね。わたし、なかなか癖が抜けなくて」
そう言う若尾文子は着物にティアラをつけていると言う、少しシュールな感じを受けるものであったが、これも当時の流行りなのであったのだろうか。
そんな店内で小えん、いや現在は友子と言う名前で出ている彼女は、冒頭の山村聡と奇跡のような再会を果たした。
「いや。小えんちゃんじゃないか。奇遇だな。こんなところで会うなんて」
「今は小えんじゃないわ。友子よ。本名なんです」
山村聡は一級建築士らしく、その周りには取り巻きがいた。クラブのビップルームに入った彼らは酒を酌み交わしながら歓談している。その取り巻きの中に桜田という男がいて、大工の棟梁であったが根がスケベそうな顔をしていた。
「じゃあ。今は芸者を辞めて銀座の蝶って言う訳だな」
「この店も先生が設計されたんですよ」
「まあ。そうなんですか。どうです。踊りませんこと」
「こりゃどうも。じゃあ一つ恥をかいてくるか」
そんな夜があった。
若尾文子が靖国神社の境内を歩いている時、あの藤巻潤の姿を見かけた。
「あの」
「ああ。あなたですか。よくお見かけしますね」
「学生さんでらっしゃるの」
「ええ。ここの社務所でアルバイトをしているんで、しょっちゅうこの辺りは通るんです」
「お名前は」
「僕、牧って言うんです」
「わたしは」
「小えんさんって言うんでしょ」
「よく。知ってらっしゃるのね」
「まあね」
「お食事でも一緒にどう」
「これから仕事があるんでね」
「また会えるかしら」
「僕、今度就職するんですよ。だから会えるかどうかわ」
「そう」
二人はそう言って別れた。
その頃、友子は筒井(山村聡)の愛人になっていた。ホステスも辞めアパートで一人暮らしをしていた。だが、その生活費も筒井から出ていた。
こう言うのを「二号を囲う」と言うのだろうが、この言葉で思い浮かべるのは、日本語ロックの祖と位置付けられている、はっぴいえんどのファーストアルバム通称「ゆでめん」収録の「続はっぴーいいえーんど」の歌詞における、「ベンツでも乗り回し 二号さんでも囲えば 幸せになれると言う」と言う一説だ。
このアルバムが発売されたのが70年。当時、「二号さん文化」は大いに残っていたのだろうか。
アパートの一室で友子は生活しはじめ、そこに筒井が帰ってきてはいちゃいちゃする。そんな暮らしが始まっていった。だが筒井はもちろん、妻子持ち。友子はあくまで日陰の身であった。
そんなアパートに江波杏子も住んでいた。彼女は女子大生風な感じで、友子にこんなことを聞くのであった。
「ねえ。ペッティングって知っている」
「なに。それ」
「愛撫のことよ。最後まではいかないってことなの。あなたのような女は、知っておくといいと思うわよ」
ある日、友子が買い物かごをぶら下げてアパートに帰るために、街路を歩いていると、あのパパが車を横付けして現れた。
「よう」
「あら。パパさん。お久しぶり」
「その格好だと誰かに囲われているっていうところだな」
「まあ。想像にお任せするわ」
「あんまり邪魔しちゃいけないから、これで失敬するよ」
そう言うとパパは、そのまま走り去って行った。友子はアパートに帰り、玄関ドアの前に立つと愕然とした。そこには夥しく二号、二号の文字が落書きされていたからだ。
ある夜。筒井は酒をしこたま飲んで酔っ払って、友子の部屋にやってきた。そして、寝転がりながらこう言った。
「お前なんかな。踊りもだめ、唄もだめ、芸はない。手に職でもつけなきゃどうやって生きていくんだ。一生二号をやっているつもりか。そのうち歳とってババアになって、誰からも相手にされなくなるんだぞ」
それを聞いた友子は台所へ行って、しくしくと泣いた。
「悪かったよ。俺が言い過ぎた。でも、それはお前を大切に思っているからなんだよ。愛しているんだよ」
「わたしね。怒ってなんかいないのよ。ただ悲しくなってね」
二人は抱き合った。
冒頭に川島雄三の作風に馴染めないと書いた。その何に馴染めないかと自分なりに考えてみると、淡々と物語が進行していく感じがするのだ。
逆に言えばドラマチックな展開がないとも言える。この作品に関してもそうで、登場人物もその紹介的な部分から出ていないで、深い部分は描いていない。
これは同じ大映でメガホンを取った同じく若尾文子主演の『しとやかな獣』においても同じことが言えた。だがこの若尾文子の二号生活のあたりから、徐々に登場人物たちが絡み合いながら動き出すことになる。
友子が映画館の入り口で券を買おうとしている時、一人の少年が近づいてきた。
「お姉ちゃん。券買ってくれよ」
「わたし。ダフ屋から券買うのなんて。嫌よ」
「そんなんじゃないんだよ。約束した友達が来なくてさ。一枚余っちゃったんだよ」
「それなら買ってあげるわ」
二人は映画を見終わったあと、百貨店の屋上でソフトクリームを食べている。
「コウちゃんとか言ったわね」
「うん。工員でね。きょうは休みなんだ」
「これからどっか行ってみない」
「オレ、山に行ってみたいなあ。上高地なんか行ったら気持ちいいんだろうな」
「コウちゃん。お姉ちゃん疲れたから、どっかで休んで行かない」
そのまま友子はコウちゃんを、連れ込み旅館に連れて行った。
「ここでのことは二人だけの秘密なのよ」
「・・・」
雨戸を閉めていく友子。その瞬間、コウちゃんが抱きついてきた。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
「コウちゃん!ね!ペッティングだけよ!」
突き上げる十代の性衝動が、ペッティングなどという生やさしいもので収まるはずもなかった。
アパート。友子の頬をビンタする筒井。床に崩れる友子。
「この牝犬め!俺が知らないとでも思って、あんなチンピラを引きずり込みやがって!俺のところの桜田が、お前とあのチンピラが連れ込みに入ってゆく一部始終を見ていたんだ!」
筒井はおもむろにドスを取り出すと、その刃を床に突き刺した。
「キャーッ!」
「年甲斐もなく俺は、これでお前を殺して俺も死ぬつもりだったんだ!それくらいお前を愛しているんだ!それなのにお前ってヤツは!」
「お父さん。ごめんなさい」
「今度こんなことをしたら本当に承知せんぞ」
結局二人は抱き合った。
それから程なくして友子は、筒井の手に職をつけろと言う話に応じて、小唄を習い始めた。そして、その成果を筒井に披露した。
二人は部屋ですき焼きを作っている。唄う友子。
「なんだい。随分立派なものじゃないか。芸者の時はドドンパ芸者なんてからかわれていたのによ」
「そう。そんなに上達したかしら」
「そうよ。それじゃあ。誰の前に出してもおかしくないぜ」
この時が二人の幸福の絶頂期だったのかもしれない。小えんは小唄の発表会に臨んでいた。その楽屋に電話が入る。
「えっ!お父さんが入院したんですって!」
だが友子は二号の身。すぐさま病院に駆けつける訳にもいかなかった。
雨がそぼ降る日。友子は病院近くの花屋にいた。そこにレインコートを着た桜田もいる。
「今のですぜ。本妻って言うのは。なに。あんな鬼婆なんてことはありませんよ。いざとなりゃああっしが。あっ。奥さん。今のうちですぜ」
友子は本妻が病院から帰ったのを見計らって、筒井の部屋へと赴いた。
「あっ。お前か」
「お父さん。会いたかったわ」
「俺もだよ」
友子は別の日に筒井への差し入れのために、野崎のいる寿司屋に寄った。
「あら。野崎さん。いないの」
「へい。辞めましてね」
「暖簾分けでもしたの」
「いや。信州のわさび屋に婿に入りしやして」
「まあ」
「しっかりしたやつでしたからね。相手はコブ付きなんて言ってやしたよ」
筒井が入院した代わりに、友子の生活費などは桜田が届けていた。友子のアパートの玄関先に座っている桜田。すでに出来上がっている様子である。
「桜田さん。そんなところに座っていないで、上がっていきなさいよ」
「そうですかい。本気にしちまいやすよ」
「お酒。もっと飲む」
「こりゃあどうも。じゃあ。いただきやすかね」
さらにメートルを上げていく桜田。
「いっときますけどね。奥さん。奥さんの魅力の虜になったのは、先生一人じゃねえんですぜ。この桜田も大工の棟梁だ。ね。奥さん。少しだけいいじゃありやせんか」
そう言って抱きつこうとする桜田を、友子はビンタした。脱兎のごとく退散する桜田。
友子は筒井と相談の上、また芸者として働きに出ることになった。だが以前のように、誰彼となく寝ることはないと誓った。
しかし、芸者復帰のその最初の相手は、あのパパさんだった。
「小えんはいい人がいて身持ちが固くなっているですよ」
「なあに。ドジョウと芸者を弱らせるには、どんどん酒を飲ましちまえばいいんだからさ。じゃんじゃん酒を持ってきてくれよ」
結局、パパに寝ることを迫られる友子。
「ねえ。パパ。わたし、もう昔のわたしとは違うのよ」
「ここまできてお互い野暮なことを言うのはよそうぜ」
「ねえ。後生だから許して」
「所詮は芸者じゃねえか」
突然、電話のベルが鳴る。それは置き屋の女将からのものであった。
「えっ!お父さんが!」
「そうなんだよ。今さっき亡くなったっていう知らせがあってさ。小えんちゃんどうするんだい」
「・・・」
友子は茫然自失といった感じで、そのまま部屋から出て行った。
置き屋の仏壇に筒井の遺影を飾り、線香を供え、酒を飲んでいる友子。
「本当にいい人ほど先に逝っちゃうのね」
それを見ていた銀子が、
「なんだい!喪服なんて着て仰々しい!こっちは線香臭くてたまらないよ!」
「なに言ってんだい!あんたなんか涙の一つも流してやる相手なんていないだろ!」
「ああ!そうだよ!こっちには棺桶に片足突っ込んでいる相手なんて、いないんだよ!」
そのままキャットファイトに突入する二人。そこへ女将がやってくる。
「およしよ!二人とも!奥様が来たんだよ!」
ついに筒井の妻が友子を訪ねてきた。この妻の役が山岡久乃で、やはりこういう役をやらせると上手い。
「わたくし。筒井の家内でございます。生前は筒井が面倒を見ていただいたそうで、感謝しておりますのよ」
「は、はあ」
固唾を飲んで見守っている芸者たち。
「それはそれで、もう片付いたことでございますから、いいんですけどね。ヒスイの指輪だけは返してもらうないでしょうか」
「わたし。ヒスイの指輪なんて知らないですけど」
「他の物はどうでもいいんですけどね。あのヒスイの指輪だけは、母の形見の品で返してもらわなければ困るんです」
「だから。わたし、そんな指輪のこと知りません」
「だいたい!あなた!盗人猛々しいとは、このことじゃありませんか!人の夫を横取りしておいて、その上私の形見の指輪まで持っていくとは!」
「お言葉ですけどね!奥さんのサービスっていうものが足りなかったから、先生はわたしのところへくるようになったんです!そりゃ。先生は優しかったですよ!でも、そんなに贅沢をさせてもらった覚えはないですよ!」
頭に血が上がったままであったが、女将が中に入って、妻は帰って行った。
また別の酒宴の夜があった。そこに姿を見せたのは、あの藤巻潤で今はスーツを着こなしていた。
「あら。牧さんじゃないの。随分立派になって」
「久しぶりだね。小えんさん」
「わたしの名前、覚えていてくれたのね。嬉しいわ」
牧は仕事の接待として白人を連れてきた。芸者たちの唄や踊りに喜ぶ白人たち。小えんが廊下に連れ出された。そこにはやり手ばばあみたいなのがいる。
「えっ。牧さんがわたしに、あの外人さんと」
「そうなんだよ。あんた、この前しくじっているんだしさ。どうだい」
「本当に牧さんが、そう言ったの」
「そうだよ。なんなら、本人の口から聞いてみるかい」
「その話ならお断りして」
「いいんだね」
コウちゃんは映画を見にきていた。ガールフレンドのような女の子がトイレに行ってくると言ったので、一人で待っていた。それを偶然見たのが友子だった。
「コウちゃん」
「あっ。お姉ちゃん」
「今のはガールフレンド」
「そんなんじゃないんだよ。さっき知り合ったばかりで」
「そう。それなら、わたしに付き合わない。あなた山に行きたいって言っていたでしょ。行かない」
「今からかい」
「そうよ。上高地に行きたいって言っていたじゃない」
こうして友子とコウちゃんは列車に乗り、上高地を目指した。どのくらい列車を乗り換えたのだろうか。すでにその車窓は、長野のそれになっていた。
「もう。次で降りるんじゃねえかよ」
そう言って車内に乗り込んできたのは、わさび屋の前掛けをした野崎だった。彼は友子の姿を見ると、バツの悪そうな顔をして、妻子と一緒に次の駅で降りて行った。
上高地に到着した友子とコウちゃん。
「ここから先は、コウちゃん一人で行くのよ」
「えっ。お姉ちゃんは」
「わたしは長野に親戚があって、そこを訪ねるからね」
「わかったよ。気をつけて行ってくるよ」
駅舎に戻った友子。ふと腕を見やる。そこに腕時計があるはずだったが、それはさっきコウちゃんに渡してしまったのだった。一人、駅舎で佇む友子。そこへ「終」の文字が浮かぶ。
結論を書けば、若尾文子が男から男へと流れているだけの映画のような気がした。大映得意の愛憎ものとも言えなくもないが、そこに女性の主体性や自立性のような物は、描かれていない。やはり大映においては、増村保造監督、若尾文子コンビがそう言ったテーマをいくつもものしていただけに、本作は見劣りがしてしまう。そんな作品でもあった。
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