最高殊勲夫人
- 高橋宏幸
- 7月18日
- 読了時間: 17分

この作品のファーストシーンは、丸の内のオフィス街の空撮から始まる。そこに被さるウェデングマーチ。今まさに一社を挙げての盛大な結婚式が執り行われようとしていた。
と、いつものように見た映画の文章を記憶している限り、ファーストシーンから書いていけばいいのかもしれない。だが、つまらない作品、見ていても退屈な映画というものも当然ある。
なぜ自分がこの映画『最高殊勲夫人』を見てみようかと思ったかと言うと、まず主演が好きな女優の若尾文子だからである。さらに監督が増村保造で、この二人のコンビは20本近い映画を生み出し、日本映画史における傑作をものしてきた。
例えば『赤い天使』、『刺青』、『卍』、『濡れた二人』、『青空娘』など。その作風の特徴と言えば、主人公である若尾文子が主体性を持ち、一個の人格を持った女を演じるというところにある。
このように書くと堅苦しい、あるいはフェミニストの先駆けのようなキャラクターと思われるかもしれないが、増村保造が引き出した若尾文子が演じる女と言うのは、本能的に生きる、つまり自らの性に関して素直に従う女なのだ。
その若尾文子演じる女は、時には清純な娘であり、時には男を惑わす妖婦、そして時には男を破滅させる悪女でもある。ただ、そのいずれにおいても若尾文子は、男に甘えたり、メソメソ泣いたり、男の前で言いたいことも我慢すると言ったような、「古風な女」ではなかった。
その意味において若尾文子、増村保造コンビが作り出した「女像」は、画期的であったし、時代の先を行っているものであった。そして、そういった「女像」は今見ても新鮮で、斬新なものであると感じ、自分はこのコンビの作品を多く見ることにしていった。
そして、当然同じコンビの作品である『最高殊勲夫人』にも同じものがあると考え、同作を見たのであるが、その歯応えはなかった。
同作の作風は、今風に言えばラブコメディだと言える。もともとそう言った映画は苦手な自分にとっては、同作はかなり退屈なものになってしまった。
まず登場するキャラクターの相関関係がかなり複雑なのである。
分かりやすく書くと、三原家と言う家族がいる。この家族の長男が船越英二で、父親が三原商事という会社を興し、現在は船越英二が社長として、その後を継いでいる。この下に次男がいるのだが、これは影が薄いものの、やはり三原商事の重役に就いている。
さらに三男として川口浩がいるのだが、彼は三原商事を飛び出し、現在は大島商事という会社で働いている。
これに対して野々宮家という家族がいた。野々宮家は長屋暮らしの、その当時(1959年)としては庶民的な家庭であったのだろう。
だが、その長女は現在、船越英二夫人、つまり三原商事社長夫人に収まっていた。彼女はもともと三原商事の一、ビジネスガール(この当時はまだOL、オフィスレディーという言葉はなかったようだ)に過ぎなかったが、猛然と船越にアタックし、その妻の座を手に入れた。
冒頭の結婚式のシーンは、三原家の次男と野々宮家の次女との結婚式の模様であった。長女は次女が、三原家次男と結婚できることを画策し、彼女を重役夫人に据えたのだった。
この長女がこの作品の裏の主役とも言える役割を果たしている。
彼女は貧乏人の子供として育ったことから、なんとしてもその境遇から脱したいと願い、それを果たした。そして、社長夫人の座を手に入れると、さらにその地位を盤石なものにし、自らの願望はなんでも実現せずにはいられない女へと変貌していった。
妹である次女を三原商事重役夫人に据えた彼女は、次に三女である若尾文子と、三原家三男である川口浩を結婚させようと動き出した。さらに彼女には、川口浩を三原商事へ呼び戻すという魂胆もあった。
そんな彼女に夫である船越は、完全に尻に敷かれた恐妻家になっているしかなかった。
次男と次女の結婚式を抜け出した川口浩と若尾文子は、一緒にバーに行った。
「君。何を頼むんだい。俺はハイボールにするぜ」
「わたし。レモンスカッシュでいいわ。案外こざっばりしたお店なのね。わたし。こういうお店って、すぐに女の人が抱きついてくるようなところかと思って」
「それはいいけどね。君、俺と結婚する気なんかあるのかい」
「てんでないわ。お姉さんの言いなりになるのなんて嫌よ」
「君。恋人はいるのかい」
「えっ?」
「大好き人はいるのかいってことだよ」
「い、いるわよ。あなたはどうなの」
「いるんだよ。それが大島商事の令嬢でね。えらく変わっているんだ」
「じゃあ。あなたとわたしは結婚しないっていうことなのね」
「そう。結婚しないことに乾杯」
二人はグラスを傾けた。
その当時、若尾文子は仕事をしていないで実家にいた。
彼女には弟がいて、長屋の前の道で初老の父親とキャッチボールをしていた。若尾文子は弟と代わると、父親とキャチボールを始めた。
そこへ長女が百貨店で買い物をしたのか、大きな箱の包みを何個も持って現れた。
縁側で話し始める家族。
「どうだい。杏子(若尾文子のこと)。お前も働きに出たら」
「わしには異存はないが」
「お父さんは黙っていてちょうだい。こんな長屋でくすぶっていても仕方ないだろ。わたしから、あの人に口を効いてあげるからさ」
「わたし。どうしようか迷っているのよ」
「わたしは、この家での貧乏ぐらしには懲り懲りなんですからね。いい返事を聞かせてちょうだいよ」
そう言うと長女は去って行った。
しばらく経った日の朝、若尾文子は念入りに三面鏡を見ながら化粧をしていた。それをからかう弟。それから父親と彼女は一緒に家を出た。
田園風景の中を歩き、バスに乗り、満員電車に乗る二人。
「いいか。きょうは出社初日だ。まずみなさんにきちんと挨拶するんだぞ」
「はい。でも、わたし子供じゃないんだから、ちゃんとわかっているわ」
「まず。みなさんにかわいがってもらわなくてはいけないぞ」
「それより。お父さんはいつまで働くの」
「ああ。お父さんはあと半年で定年だ。それまでは、お父さんも精一杯やるよ」
若尾文子は三原商事社長、船越英二の秘書として働き始めることとなった。
社内を挨拶回りする彼女。別嬪である彼女の容姿に、社内のチョンガー社員たちは色めきたった。ちなみにチョンガーとは、この当時使われていた独身男性を意味する言葉で、現在は死語になっているが、こんなところからも時代を感じ取ることはできる。
だが逆に社内の女子社員たちにとっては、若尾文子の存在は脅威の的となった。なぜなら自分が想っている男性社員が、俄然目の色を変えて若尾文子に興味を持ち始めたからである。
給湯室で化粧室で、女子社員たちは若尾文子の噂をしはじめた。そして意中の彼が、若尾文子になびいていくのをなんとか阻止せんと、共闘戦線を張ることにした。
若尾文子は川口浩に対して、自分にも恋人がいると嘘をついてしまった。その手前、三原商事の社員の中から恋人を選ぶことは、彼女にとって急務の課題であった。
それがまた女子社員たちを、戦々恐々とさせるのであった。
川口浩には富士子という恋人がいた。それが先にも書いたように、現在川口が働いている大島商事の令嬢で、その当時の言葉で言えば、飛んでいる女といった感じであり、フェンシング、さらに前衛書道を習っていると言った変わり種で、川口浩にはあまり関心がないようだった。
そんな川口浩、富士子、若尾文子がある夜、前述のバーで集まった。余談になるが川口はバーに行くと、ハイボールばかりを注文する。この当時、ハイボールが流行りの酒であったのだろうか。そして、どことなく場違いな感じがしている若尾文子。
「どうしたんだい。君にも彼がいるんだろ。呼んで一緒に楽しもうじゃないか」
「彼は今、旅行中なの」
「あいにくだな。今度紹介してくれよ」
「そうね。わたし、もう帰るわ」
「なんだい。富士子には気を使わなくていいんだぜ」
「でも」
「正直言って、わたし彼と一緒に楽しみたいの」
「やっぱり。帰るわ」
そんな夜もあった。
違う晩、長女は夫である船越英二から、川口には恋人がいる、若尾文子も恋人を探しているという話を聞くと、ヒステリックに怒った。自らが計画している川口と若尾文子を結婚させるという計画が頓挫するかもしれないということが分かると、彼女は唇を噛み締めながら、
「どんなことがあってもわたしは、負けないわよ」
と言った。
若尾文子は船越社長の秘書として働き始めたが、その社長室に足繁く通ってくる女がいた。その女は見た感じ、社員というふうではなく、どこか水商売めいた雰囲気を漂わせていた。
実はこの女は、ポン吉という名の芸者で船越の愛人だったのである。恐妻家の船越は、長女に隠れて芸者を囲っていたのだ。
その関係にやがて若尾文子も気づいたのだが、船越は彼女にボーナスだと言って現金を渡し、口封じを図った。
その船越とポン吉は、お忍びで鬼怒川温泉にて落ち合うことになっていた。
部屋には先にポン吉がネグリジェ姿でいた。そこに入ってくる船越。昔、温泉宿に行くと中居とか女中と呼ばれた従業員がいて、お茶を入れたり、なにかと世話をしてくれたのだが、船越とポン吉にとっては、その中居さえ邪魔だといった感じで、そうそうに退散させた。
「ポン吉。セクシーだなー」
「もう。ミーさん(なんかこんな感じで呼んでいた)。待ったわよ」
二人はいちゃつきはじめたが、その部屋に川口が現れたから、船越は腰を抜かした。
「ど、どうして!お前!ここへ!」
「こんなことじゃないだろうかと思って、兄さんをつけてきたんです。この宿には姉さんがいるんです」
「も、桃子が!」
「僕と一緒に来たほうがいいんじゃないですかね」
そう言われると、船越は部屋を出て、川口のうしろを青ざめた顔をして着いて行った。そして、川口が入った部屋に自分も入るなり、土下座をして謝った。
「桃子!許してくれ!これはほんの出来心だったんだ!」
「ここには姉さんはいませんよ」
「なに」
「僕は兄さんを試してみたかったんです」
「こいつ。俺をからかいやがったな」
ここまでこの映画に関する文章を書いてきて思ったのであるが、ここで実際に部屋に長女がいて、もう気も狂わんばかりにヒステリックに怒り、船越も川口も手がつれられない、そこへポン吉も乱入し、もう男と女の修羅場が展開されるなんていうことになっていたら、この作品も少しは面白くなっていたのかもしれない。
端的に言えば、この作品には見どころがないし、ドラマチックではないのだ。だからストーリーがだらだら続くような感じがして、退屈になってくる。
それに増村保造作品に特徴的なテンポの良さや、映像の鋭利さも感じられない。
同じ増村保造作品で、会社、サラリーマン物としては、58年の『巨人と玩具』という映画がある。こちらは高度経済成長期において、猛烈に働く菓子メーカーのライバルたちを、マスコットガールの野添ひとみの視点を通して描くことによって風刺するという秀作であった。
こちらの原作者は開高健である。原作は読んだことはないが、おそらく開高健の狙いは、高度経済成長を批判的に描くことにあったと言える。
そこで『最高殊勲夫人』の原作者も気になり調べてみた。この人が源氏鶏太(げんじけいた)という人で、50年代後半から60年代前半においては、人気作家であったようだ。
源氏鶏太は長らく自身も会社員をしながら執筆活動をしていた人で、その経験から等身大の会社員を描くことに長けていたようだ。つまり会社員の視点に立って作品を書いていたことから、「会社員が共感できる」作品を生み出していたことになる。
高度経済成長期のこの時代にあって、日本映画全盛期というものもちょうどこの時期に重なっていた。つまり多くの会社員たちが映画館に足を運んだこの時代にあって、「会社員が共感できる」映画というものは、映画会社にとって、重要な商品であったに違いなく、その理由から、この時代にあって源氏鶏太原作物映画が、大量に作られたのであると思う。
それは主に大映において作られたが、他社に目を向ければ東宝における植木等の「無責任男」シリーズ、森繁久弥の「社長」シリーズが人気を博したことも、同じ要素から成っていると言えよう。
しかし、会社員の生態というものが、映画にとって普遍的な命題かというと、そうもいかない場合ということのほうが多いと思う。例えばバブル期における会社員、2020年代における会社員、そして50年代における会社員は経済動向による影響も違えば、文化による影響も違い別の世界に住んでいるとも言える。だから、今改めて「無責任男」シリーズや「社長」シリーズを観てみようと思う人は少ないだろうし、観てもどこか古臭い感じがしてしまうだろう。
どう働いても給料が上がらない、代わりに物価だけが高騰していく、そんな時代にあって高度経済成長と歩調を合わせて、お気楽に生きる人間の映画を観ても、共感はできないだろう。
簡単に言えば、このような作品は時代を飛び越えてくるような普遍性を持ち合わせているような作品ではないのだ。普遍性などと書くと堅苦しい芸術映画に特有のものかと思うかもしれないが、娯楽映画についてもこれは重要な要素であると思う。
なぜなら、この映画の監督、増村保造は同じ若尾文子を起用した作品、前述の『赤い天使』や『刺青』、『卍』などによって、女の「性」を描き時代を飛び越えてくる傑作を残したからである。どうやら増村保造と源氏鶏太の組み合わせは、うまくいかなかったようだ。
少々持論を展開するのが長くなってしまったようである。
ある夜、ある店で川口は富士子に別れ話を切り出した。
「その。君が嫌いになったとか、そういうことじゃないんだよ」
「いいのよ。はっきり言って」
「俺たち別れないか」
「それならそれでいいのよ。わたし、やりたいことが一杯あるし、アメリカに行こうと思っていたの。ちょうどよかったわ」
そう言うと富士子は、店から出て行った。
川口と若尾文子は近況報告的な感じで、たびたび例のバーやトンカツ屋で会っては、互いの周りで起こっている出来事を屈託なく話し合った。
「俺、富士子と別れちゃってさあ」
「えっ」
「向こうは別れるって言っても、ケロッとしてやがるんだよ。アメリカに行くんだってさ」
「じゃあ、あなたもうフリーって言うことなの」
「まあ。そうさ」
店から出て川口と別れる時、若尾文子はその顔に微笑みをたたえていた。
三原商事のチョンガー社員の中から、俄然若尾文子にアタックしてくる二人の男が出てきた。仮にその二人をA男、B男と呼ぶことにしよう。だが、二人の男には、それぞれを想うA子、B子という女子社員がおり、若尾文子にアタックを開始した、それぞれの彼の行動を気が気ではない思いで見つめていた。
川口浩の彼女である富士子の兄は、テレビ局のプロデューサーであり、川口とは友人の関係にあった。ひょんなことから川口は、その兄が勤めているテレビ局を、若尾文子に案内することになった。
秒刻みで働くテレビマンたち。廊下や階段には、時代劇の衣装を着けた人たちが行き交っている。まさに日本におけるテレビの勃興時代。花形産業として成長していくテレビ局の現場には活気があった。
「へえー。ここがテレビ局って言うところなのね」
「どうだい。面白いだろ」
「なんだか。わくわくするようなところだわ」
富士子の兄は、川口と二人きりになったところで切り出した。
「おい。あの彼女とどういう関係なんだよ」
「どういう関係ってね。俺の兄貴が、彼女の姉貴と結婚していてさ。ただそれだけの関係だよ」
「じゃあ。俺が彼女にアタックしてもいいんだな」
プロデューサーは若尾文子を意中の人とした。だが、そのことを聞いた長女は、またしても自身の野望が打ち砕かれる恐れがあると、プロディーサー宅を訪れ、その母親に猛抗議したが、母親は我関せずと言った態度であった。
会社の昼休み。若尾文子はA子から泣きつかれた。
「ねえ。A男さんのことをどう思っているの」
「どう思っているって。まあ。ボーイフレンドって言うところね」
「それじゃあ困るのよ。わたしはずっと彼のことを想ってきたんだから」
「そうなの。じゃあ一肌脱いであげるわ」
そして、若尾文子、A子、A男は件のトンカツ屋で落ち合った。
「あなた。ビールを四本飲むと、人に抱きつきたくなるでしょ。そして、五本飲むとホテルに行きたくなる。じゃあ六本飲んじゃいなさいよ」
「えっ」
「結婚したくなるから」
「誰と」
「A子さんとよ」
男はもうヤケクソだと言わんばかりの勢いで、ビールを六本飲み干し、そのままA子に抱きついた。
川口浩は若尾文子の父親から、定年後の再就職先を世話してくれないかと頼まれていた。そして、その話をプロデューサーに振ってみた。
「誰がそんな爺さんの仕事先なんか見つけるかよ」
「その爺さんって言うのは、杏子さんの親父さんだぜ」
「えっ!」
プロデューサーの目の色が変わった。そして、程なくするとテレビ局の関連会社に口をきいて、若尾文子の父親を入れてやったのである。
三原商事内では若尾文子にアタックしてくるのは、B男だけとなった。だが、川口と若尾文子を結婚させるんだと息巻いている長女にとって、B男は邪魔なだけの存在であった。
ある夜の三原家の寝室。船越、長女共に寝巻き姿になっている。
「ねえ。あなた。B男さんを札幌に飛ばしましょうよ」
「なにを言っているんだ。お前は」
「B男なんかに杏子を渡さないわ。左遷して仕舞えばいいのよ」
「恐ろしい女だな。お前は」
昼休みの屋上。B男は若尾文子に泣きついてきた。
「僕。札幌に飛ばされるんです。それが僕が杏子さんにアタックしたことが、社長夫人の怒りをかったことが原因じゃないかって、もっぱらの噂で。秘書であるあなたから、社長になんとか言ってくれませんか」
「そんな。姉さんがそこまでするなんて」
B男を慕うB子は、B男のためなら一緒に札幌まで着いていくとB男に告白していた。そんなB男はロカビリーが好きで、よくその演奏会場で飛び入り参加しては、自慢の喉を披露していた。
プロデューサーは、野々宮家の実家である長屋にやってきていた。
「僕は満員電車よりもキャデラックを好み、長屋よりもマンションを、焼酎よりもバーボンを愛する男です。お父さん。お父さんにとっては、僕は付き合いにくい男かもしれない。それでもどうですか。僕と杏子さんを結婚させてくれませんか」
「お父さんの仕事を紹介していただいたことと、結婚のことは話が別ですわ」
と若尾文子。
「今この場で返事をもらえなくてもいい。いい返事を待っているよ」
そう言うとプロデューサーは帰って行った。
川口浩の耳にも長女がB男を左遷させたこと、そしてプロデューサーが若尾文子にプロポーズしたことは入っていた。
丸の内の地下街で川口と若尾文子は、偶然に出会った。
「おい。ヤツからプロポーズされたんだってな。ヤツにどんな返事をするんだよ」
「彼からの話はお断りしようと思っているの」
「じゃあ俺が代わりに言ってやるよ」
「いえ。わたしが直接、お断りするわ」
そのまま若尾文子は公衆電話から、プロデューサーの元へ連絡を入れた。本番前で殺気立っているテレビ局内。
「えっ。話を断る。そんな。今夜にでも会って話ができないかなあ」
「本番30秒前です」
「とにかく直接会って、話がしたいんだよ」
「本番15秒前です」
「よし!もう面倒くさいや!諦める!諦めるよ!」
そう言って受話器を下すとプロデューサーは、スタジオに入って行った。
ところ変わってロカビリーを演奏しているクラブ。そこで激しく演奏されるロカビリーのリズムに熱狂する若者たち。そんな姿が50年代後半という時代を象徴している。
B男は飛び入りでステージに登ると、持ち歌を熱唱し始めた。そんなB男に抱きつくB子。
そのクラブのV字カウンターで、相対して座っている川口と若尾文子。激しい演奏と嬌声の中で川口は言った。
「好きなんだよ」
「えっ」
「君のことが好きなんだよ」
「何を言っているか、聞こえないわ」
「ずっと前から君のことが好きだったんだよ」
「わたしもあなたのことが好きだったのよ」
「なんだって」
「あなたのことが大好きなのよ」
三原家に集まった川口、若尾文子、船越、長女。
「いいですか。姉さん。会社の人事には口を出さないでください。そしてB男君の転勤を取り消してください」
「俺だって、きょうは言わせてもらうぞー」
「なによ!みんなして私を悪者にして!わたしがこんな女になったのも、みんな貧乏が悪かったのよ!わたしは貧乏から脱したかったのよ!お坊ちゃん育てに育ってきて、苦労なんかなに一つ知らないあなたたちに、この思いはわからないでしょ!」
長女は例の調子でヒステリックにまくしたてたが、川口がその二点を守ってくれれば、若尾文子と結婚し、三原商事にも戻ると告げると、クールダウンした。
そして一社を挙げての盛大な結婚式が挙行された。若尾文子の弟が記念写真を撮ろうとして、新郎新婦である川口と若尾文子にカメラを向けると、川口はおどけた顔をし、若尾文子はウィンクをしながら、
「来年の最高殊勲夫人は、わたしよ」
と言った。その姿に被さるエンドマーク。
先にも書いたように、この作品『最高殊勲夫人』は自分にとっては退屈な作品であった。その中においても、見るべきものがあるとすれば、1950年代後半の若者たちの恋模様であろうか。
先に書いたことと矛盾するかも知れないが、恋愛というものは時代を飛び越えて、人が共感できるテーマなのかもしれない。この作品はラブコメディ形式の作品であると考えるが、もう少しコメディの要素が強ければ、楽しい作品になっていたかもしれない。
そんなことを考えた一本であった。
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